力士が愛した「相撲茶屋 大塚」で、気楽にちゃんこ鍋を。【福岡市中央区高砂】
薬院駅から歩いて約10分、福岡市中央区高砂の住宅街にある「相撲茶屋 大塚」。床に土俵の土が敷かれ、壁には歴代の力士の写真や手形が並ぶ座敷で、ちゃんこ鍋と「幻の高級魚」とも呼ばれるあらの料理を味わえるお店です。元力士の大将(ご主人)と店を始め、1989年に大将が亡くなってからも店ののれんとちゃんこ鍋を守り続けてきたのが、女将の大塚洋子さんです。今回は大塚さんに、相撲茶屋の始まりや一尾まるごとのあら料理、力士たちとの思い出、そして開店当時の高砂の街について話を聞きました。
この記事の目次
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【プロフィール】
大塚 洋子さん/相撲茶屋大塚 女将。元力士の大将と結婚。最初は「店に出さない」という約束だったが、洗い物や掃除、レジの手伝いをするうちに、いつしか店の中心に。
1989年に大将が亡くなった後も従業員とともに店を続け、現在は娘の一代さんとともに店に立つ。
現役力士の店から始まった相撲茶屋
―まずは、お店がどのように始まったのか教えてください。
大塚:もともとは、高砂部屋の力士だった白田山さんが1972年に始めたお店なんです。引退した大将と私がそれを引き継いで、1988年に「相撲茶屋 大塚」と名前を変えました。
―大塚のちゃんこの味は、どこから来ているのでしょうか。
大塚:当時横綱だった北の富士さんがオープンしてすぐの頃からよく来てくださっていたんです。北の富士さんは北海道と東京でちゃんこ屋さんを何軒かされていて、大将は北の富士さんのお父さんからレシピを全部習いました。
ただ、そのままでは福岡の人の口に合わないので、大将が福岡向けにアレンジしたのが、うちのちゃんこの始まりです。

―当時は福岡にも、ちゃんこのお店が多かったのですか。
大塚:お相撲の関係の方がされているお店がいくつもありましたよ。でも今は、ほとんどなくなりましたね。うちが続けてこられたのは、ちゃんこだけじゃなくて、あらがあったからだと思います。
―女将さんご自身は、創業当初からお店に立たれていたのですか。
大塚:結婚するときにはうちの両親が「うちの娘はこういう商売には向いていませんから」と心配していて。大将は「店には出しません。家のことだけしてもらえばいいです」と言っていたんです。
それが、結婚してすぐに「洗い物のできる人がいないから手伝って」と言われてお店を手伝うようになりました。そこからはお掃除の人がいないから手伝って、レジの人がいないから手伝って…としているうちに、ついにお店を乗っ取ってしまいました(笑)
でも大将が亡くなる前にお店の名前を大塚に変えていなかったら、私はそのときに店を畳んでいたと思います。
一歩入れば土俵の上。高砂の街角から相撲の世界へ

―入ってすぐに土俵があるのに驚きました。
大塚:床も全部、両国国技館などと同じ土俵の土です。お客さんが靴の裏につけて持って帰られるから、だんだん減っていくんですよ。
それを料理長がずっと足してくれていて、水をまいて締めています。大将がいた頃は、九州場所の時期に若いお相撲さんが来て、掻き起こして叩いて固めていました。
徳俵も実際の土俵と同じ俵なんですよ。東京でしか作れないものなので、何年かに一度、東京から呼出さんが持ってきて入れ替えてくださっています。



内臓から皮まで一尾を余さず。大塚のあら料理

―「幻の魚」とも呼ばれる高級魚のあらですが、大塚であらを扱うようになったきっかけを教えてください。
大塚:昔は、あらはちゃんこの中に入れていたんです。でもある時期からちゃんこにはほかの魚を使うようになり、あらはお刺身やコースでお出しするようになりました。
今は7割ぐらいが、あらを召し上がるお客さんだと思います。

―大塚のあら料理の特徴は何ですか。
大塚:うちは必ず一匹を料理するんです。大きいのも小さいのもありますけど、一匹まるごとだから、皮の唐揚げも食べられるし、胃袋やエラといった内臓も食べられる。あらの身以外は普通、一匹を料理しているところでないと食べられません。
大きいものだと20から30kgを超えるものもあります。だから内臓も、普通の魚に比べてとても大きいんです。それを全部きれいに掃除して、洗って、ボイルして、においなく食べられるようにする。一匹を余すことなく、ここまで丁寧に料理するのが、うちのやり方です。
皮から内臓、しゃぶ、はら身、塩焼きまで、一匹のあらをフルコースで食べていただけるのは、一匹まるごと料理しているからこそなんです。



―あらしゃぶは、女将さんたちが付きっきりで用意されるそうですね。
大塚:あらしゃぶは、私か娘が必ずお部屋について、最後のちりまで入れて取り分けます。お客さんがお鍋を触ることはありません。せっかくのおいしいものを、おいしく食べていただきたいので、私たちがしっかりと担当させていただきます。
お鍋って火をつけっぱなしにすると、塩気が勝っておいしさがなくなることもありますでしょう。だから、スープの味見も必ずして、全部こまめにチェックしています。最後のちりまでしたら、本当にスープがおいしいんですよ。

鶏ガラにあらの骨。50年以上続くちゃんこに加わった新しい味

―50年以上愛されてきた大塚のちゃんこの味が最近変わったと伺いました。
大塚:ここ1年のことなんですけど、ちゃんこにあらの骨を入れているんです。うちは常に一匹をおろすから、骨がありますでしょう。それを入れてみたら、全然出汁が違ったんです。まろやかになって、「ちゃんこが変わった?」と言われるくらい、味により深みが出ました。
―あらの骨で出汁を取ろうと思ったのには、何かきっかけがあったのですか。
大塚:決定的だったのは、男性のグループのお客さまが大関コースを召し上がっていたときです。大関コースは本来あらの入らないコースなんですけど、ちょうど骨があったので、ちゃんこに入れてみたんです。
通常は締めにおじややうどんなどを入れるので、スープは残してあるんですが、しばらくして「いかがですか」とお部屋をのぞいたら、スープがきれいになくなっていたんです。「スープがおいしくて、全部飲んでしまいました」とおっしゃって。それで「これだ!」と決めました。
それからは、「今日はちょっと違うね」とすぐに気づくお客さんもいらっしゃいました。よそでは作れない、大塚だけのスープです。

「女将さんについてきます」。大将亡きあとも、のれんを守った37年
―ご主人が亡くなられたとき、お店を続けると決めた経緯を教えてください。
大塚:大将は入院して20日で亡くなりました。とても急なことでしたね。亡くなったのが1989年の9月でしたから、九州場所や年末に向けてご予約がもう結構入っていました。みなさんせっかく予約してくださっているのに、キャンセルしていただくのも申し訳なくて。
どうするかとなったとき、私の父が「従業員全員がついてくると言うなら続けなさい。一人でも辞めると言ったら、もう辞めなさい」と言ったんです。そうしたら全員が「女将さんについていきます」と言ってくれたので、初七日を終えてすぐに店を再開しました。
―そこから、またお店が忙しくなったそうですね。
大塚:大将が亡くなる少し前の1987年に、当時まだ「相撲茶屋 白田山」だった頃のお店がグルメ漫画の「美味しんぼ」に登場しました。それをきっかけに全国から取材の依頼をいただいていたのですが、大将が亡くなって先がわからなかったので、最初はお断りしていたんです。
でも「いつまでできるかわかりませんが、ご予約が入っているので営業しています」とお伝えしたら、「続けるんだったら」と、みなさんたくさん宣伝してくださって。

スポーツ紙の1面に前の料理長があらを抱えた写真が載ったり、全国放送の番組にも出たりして、ありがたいことにわーっと忙しくなりました。
それから、三回忌までやればいいかな、七回忌までかなと思っているうちに、十三回忌、三十三回忌。大将が亡くなって、もうこんなに長い時間が経ちました。何年かすればいいと思っていたのに、お客様のおかげさまですね。
曙さん、小錦さん……力士たちと過ごした座敷
―力士の方々との印象に残っているエピソードを教えてください。
大塚:随分と昔になりますが、曙さんが久しぶりにいらしたとき、「あらお久しぶりですね」とご挨拶をしたら、「敷居が高くて」とおっしゃったんです。だから「横綱の足ってそんなに短いの?長いように見えるんだけど」と言ったら、みんな大笑い!
曙さんも小錦さんも、日本に来たばかりのころは、2階のお部屋でちゃんこを召し上がっていたんですよ。でも段々とお身体が大きくなって気がつけば1階のカウンターがお二人の“いつものお席”になりました。
朝潮さんとはランチをしたり、大鵬さんとはここで一緒にお酒を飲んだり。今の琴櫻さんのおじいちゃんとも、うちで一緒に飲みましたね。寺尾さんは、ご兄弟3人でよくいらしてくださいました。
今も親方さんたちが場所中にいらしてくださいますよ。大将と結婚する前は、お相撲には全然興味がなかったんですけど、不思議なご縁ですね。

住宅地の真ん中に、ぽつんと一軒の相撲茶屋
―開店当時の高砂は、どんな街でしたか。
大塚:本当に何もなかったんですよ。東映ホテルにはまだ映画館があって、その辺りに少しお店があったくらい。あとは住宅街でした。
だからご近所の方は、「こんなところでお店をして、すぐダメになるのに」と思っていたみたいです。それが今では周りにお店も増えて、こんな賑やかな街になりました。

ー当時のご近所でお付き合いのある方々はいらっしゃったのでしょうか。
大塚:お店の前に、昔は町の大工さんがいましたね。その大工さんが相撲協会の優勝額を作っていた縁で、曙さんや千代の富士さんの写真をいただいて。
お座敷に飾ってある額もその大工さんが作ってくれたんです。今もその額にお写真を入れて大切に飾っています。

「のれん」と再婚し店を守り続けた女将と、それを未来へつなぐ娘
―今は娘の一代さんと一緒にお店に立たれていますね。
大塚:娘がここで働きたいと言ってくれたときは本当に嬉しかったですね。
今は娘が、ちゃんこスープを九州場所の売店に置いていただいたり、明太子の売り上げを伸ばしたりと、店の外に販路をいろいろ広げてくれていて頼もしいですね。今後も新しい取り組みをしていこうと考えてくれていると思います。


―厨房の次の担い手については、どのように考えていますか。
大塚:料理長も50年近くここで働いてきてくれましたが、板場も世代交代が必要になるときが来ると思うので、ここで修業したいという若い人に、もっと来てほしいですね。
やる気のある子には、大将も最初から包丁を持たせていました。厨房の仕込みの手伝いなど、女性も活躍できますので、ぜひこれからの大塚を一緒に作っていってほしいですね。
―女将さんは、今も毎日お店に立たれていますね。
大塚:よくお客さんに「女将さん、再婚しないんですか」と言われるんです。そういうときは「もうしましたよ」と答えるんですけど、誰も気づかない。相手は、のれんです。のれんと再婚したから、もう離婚はできないでしょう。
だから、自分の体はしっかり鍛えておかないと。今も週に何回か、朝早くにプールで水中を歩いています。私が動けなければ、仕事になりませんから。お店を続けるための、これも大事な仕事のひとつなんです。
敷居は高くない。気楽に、ちゃんこを楽しんで

―最近は、どのようなお客さんが多いのでしょうか。
大塚:意外かもしれませんけど、30代後半から40代の方が中心なんです。初めていらっしゃる方も多いんですよ。おひとりでもちゃんとお部屋をご用意できますから、ゆっくり鍋を召し上がっていただけます。
―最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。
大塚:もう本当に、気楽にお店に来てほしいんです。お電話していただいて、空いていればちゃんこだけでも。ちゃんこの出汁も、あらの骨を入れて一段とおいしくなっていますから、ぜひ味わいに来てほしいですね。
歴史があるからって「敷居が高いから」と思わなくて大丈夫。皆さん、足が長いから、ひょいとまたいでお店に入ってきてください。
11月の九州場所が近づき、福岡の街にも相撲の季節がやってきます。取組を見た後に、半世紀分の相撲の記憶が詰まった座敷で味わう鍋は、きっと別格です。
「敷居は高くない」という女将さんの言葉を信じて、店の敷居をまたいでみてはいかがでしょうか。
Information
- 相撲茶屋 大塚
- 住所
- 福岡市中央区高砂1-19-3
- アクセス
- 福岡市地下鉄七隈線/西鉄天神大牟田線薬院駅から徒歩10分
- 営業時間
- 18:00〜22:00
- 定休日
- 不定休
※営業日はHP内にある営業日カレンダーを確認
- TEL
- 092-531-9100
※電話での予約受付時間 10:00〜21:00
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