100年前の日本、2人に1人は農林水産業で働いていた
作成:大正大学 地域構想研究所 中島ゆき主任研究員(出所:『国勢調査』時系列データ)
世の中には、さまざまな種類の仕事がある。厚生労働省が2011年6月に公表した『新職業分類表』によると、職業名の数は1万7,209にも上る。
これらの職業は、大きく3つの産業に分類される。つまり、農林水産業を主体とした『第一次産業』、製造業や建設業などの『第二次産業』、卸売・小売業や金融・保険業、情報通信業、医療・福祉・教育、不動産業などの『第三次産業』だ。
もともと、第一次産業主体の農業国だった日本は、この100年間で一気に第二次産業の工業国になり、そして今日、第三次産業の国になっている。
大正大学地域構想研究所の中島ゆき主任研究員は、研究レポート『統計データからみる④ この15年で日本の産業構造はどう変わったのか?』において、国勢調査の統計データをもとに産業別就業者割合の推移を図表にまとめている。
中島主任研究員の図表によると、今から100年余り前、第1回国勢調査が実施された1920年当時、日本で働く人たちの半分以上は、農林水産業である第一次産業に従事していた。
その後も日本は1950年代まで農林水産業が盛んな国であり、産業別就業者割合でのトップは第一次産業だった。
1950年代に入ると、テレビ・洗濯機・冷蔵庫のいわゆる〝三種の神器〟の登場に象徴されるように工業国化へ突き進んでいく。
その後の経済成長によって農林水産業の第一次産業主体の国から、電化製品などのモノを作る第二次産業が主役になる国へ移り変わっていく。
日本の経済成長について、中島主任研究員は前述の研究レポートで次のように記す。
現代の日本、7割以上の人々が第三次産業で働く
資源の乏しい日本は戦後、海外から原材料を輸入して生産・加工した製品を海外へ輸出していく加工貿易で発展した。1950年代に自動車の本格的な輸出が始まり、1970年代にはテレビやラジオなどの電化製品の輸出も増加した。
日本製品が海外市場を席捲し、日本の製造業が〝我が世の春〟を謳歌する。その一方、発展途上国でも工業化が進み、次第に世界的な価格競争が始まった。
そして、日本企業も国内でのモノづくりから、賃金や物価などの安いアジア諸国などへ工場を移転させた。その結果、一部の産業で国内生産が衰退していく〝産業の空洞化〟という状況も起きて、第二次産業は減少していく。
また、農林水産業を主体とした第一次産業は、海外貿易の自由化によって安価な農産品や食料品が大量に輸入されるようになり、第一次産業の減少を加速させた。
たしかに日本国内の第一次産業、第二次産業の従事者は減少したものの、人々の暮らしは豊かになり、グルメや旅行、娯楽などへの支出が増えた。その結果、外食産業や観光産業などが盛んになり、より豊かなサービスを求めるようになっていく。
日本社会の経済発展と共に人々の生活スタイルやニーズが多様化していき、コンビニチェーンや情報通信産業などのサービスを提供する第三次産業が大いに発展した。中島主任研究員は前述の研究レポートにおいて、次のような見解を示す。
「平成の時代背景として、やはり高齢化の影響による産業構造の変化は大きく、『医療・福祉』の分野で就業者が急増していることが分かります」
「また、『情報通信業』や『教育、学習支援業』といった分野の拡大は平成の時代を象徴する一つと言えるでしょう」
福岡市は9割強の人々が第三次産業で働き、従事者数割合で東京23区を上回り、日本の大都市で第1位
出典:公益財団法人福岡アジア都市研究所データブック『Fukuoka Growth リアル』
※令和3年経済センサス活動調査より対象抽出法が変更され、より幅広く把握されたことから、比較については参考値である
公益財団法人福岡アジア都市研究所が、福岡市のさまざまな情報をホームページ上で発信する『Fukuoka Growth リアル』の集計データによると、全国の20政令指定都市に東京23区を加えた21大都市における第三次産業の従事者数の比率が最も高かったのは、福岡市の90.2%だった。
この数字は東京23区の90.0%を上回り、札幌市88.7%、仙台市88.2%、千葉市87.6%が続く。
「なぜ、福岡市では、第三次産業で働く人たちが多いのか?」
この謎について、前述の調査を手掛けた福岡アジア都市研究所の主任研究員である畠山尚久情報戦略室長は、次のように考える。
このため、福岡市は他都市に先駆けて第三次産業を中心とした〝都市型産業〟の振興に取り組んできたことが大きかったと考えます。
そして、福岡市が一早く第三次産業で成長していく中、日本全体も工業化から第三次産業化へと変化していきました。
一日の長があった福岡市は、多くの人が集まるようになり、より都市型の産業構造へと進化しながら、現在の『生活の質の向上』と『都市の成長』を基軸とした都市経営の基本戦略につながったと考えられます」
十分な工業用水や工業用地を確保できなかった福岡市は、結果的に第三次産業に特化した都市になったといえる。もっとも、国を挙げて工業化に取り組んだ1960年代初めに福岡市も工業都市を目指した経緯もある。
自治体が住民と共に目指す都市像を定めて、行政サービスや都市経営などの骨格となる総合計画を日本の都市で初めて採用したのは、福岡市だった。1961年に福岡市が策定した日本初の『第1次総合計画』では、工業都市を目指す内容だった。
翌1962年に西日本新聞社が有識者らで組織した『都市診断委員会』は、「根本的な考え方や市の未来図の描き方が不十分で市民を説得する迫力に乏しい」との診断結果を発表した。また、福岡青年会議所も『福岡によせる期待と提言』を発表して、「第三次産業を中心に発展すべきだ」と訴えた。
そして、1966年に策定した『第2次総合計画』では、商業地としての福岡・博多の歴史を踏まえ、第三次産業を重視した路線へ大転換した。
その後、第三次産業主体のまちづくりを進めることで福岡市は順調に発展し、1972年に川崎市、札幌市と共に政令指定都市となった。
山陽新幹線が博多駅に乗り入れた1975年に福岡市は、人口100万人を突破。1979年には工業都市だった北九州市の人口を追い抜き、九州の経済・情報・文化の中枢機能を担う都市としての発展を遂げていった。
今日、〝元気都市〟として評価の高い福岡市において躍進する転機になったのは、2010年に「短期的な交流人口増」「中期的な知識創造型産業の育成」「長期的な支店経済からの脱却」という新たな成長戦略を打ち出したことだった。
そして、基本構想を四半世紀ぶりに改訂し、新しく第9次総合計画を2012年12月に策定した福岡市は2014年5月、国家戦略特区『グローバル創業・雇用創出特区』に選ばれた。
『福岡市経済の概況』(2022年9月版)によると、2012年度に名目で7兆300億円(実質7兆700億円)だった福岡市の市内総生産は、2018年度には同7兆8,500億円(同7兆6,300億円)まで伸ばしている。
そして、天神ビッグバンや博多コネクティッドなどの都心再開発が本格的に動き出した福岡市は、いま都市としての新たなステージを迎えようとしている。
出典:福岡市 経済観光文化局『福岡市経済の概況』(2022年9月)
戦略的な計画づくりが都市経営の浮沈を握る
出典:福岡市 経済観光文化局『福岡市経済の概況』(2022年9月)
これまでの経緯を踏まえ、今後の福岡市の都市経営について、どのように考えたら、良いのだろうか?
この点について福岡アジア都市研究所の畠山室長は、次のような見解を示す。
福岡市の未来については、日本で最初に総合計画を策定した都市として、新たな都市戦略の描き方に掛かっていると考える。
【参照サイト】なぜ第三次産業の割合がこんなに増えたの?~日本の資源・エネルギーと産業~
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005120461_00000
【参照サイト】この15年で日本の産業構造はどう変わったのか?
https://chikouken.org/report/report_cat01/9225/
【参照サイト】第4回改訂厚生労働省編職業分類 職業名索引
https://www.jil.go.jp/institute/seika/shokugyo/sakuin/index.html
【参照サイト】福岡市経済の概況(令和4年9月福岡市 経済観光文化局)
https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/46140/1/keizainogaikyoR4.9.pdf?20221026141215
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