【特集】歴史から生まれる「福岡」の魅力

創業111年。医療機器のキシヤが地元業界NO1企業となった訳は、信頼の構築にあった。

創業111年を誇る医療機器商社の株式会社キシヤは、地元業界で売上高トップのナンバーワン企業です。堅実で保守的な経営に重きを置く老舗企業は、小規模で事業を営む同業者が多い中、なぜ〝最強企業〟になり得たのでしょうか? 同社の〝中興の祖〟ともいえる末石藏八会長にお話しを伺いました。

老舗の医療機器商社は、顧客第一の発想で革新を起こす


日本の医療費総額は43兆6000億円で、国民一人あたり34万5000円に上る――。厚生労働省保険局調査課は2020年8月、『令和元年度医療費の動向』として、2019年度における医療費の速報値を発表した。

今日、医療現場で用いられる医療機器や医療用品は、CT(コンピュータ断層撮影装置)やMRI(磁気共鳴画像検査装置)、放射線治療装置などに代表される最先端の医療機器をはじめ、カテーテルや注射器、人工透析用品など60万アイテムにも及ぶといわれる。

そんな中、1910年にルーツである『きしや製作所』として福岡市・中洲で誕生。以来、111年にわたって医療機器を手掛けてきた株式会社キシヤは2003年、他社に先駆けて革新的なSPD(病院内物流管理)事業を立ち上げている。
 
SPD事業とは、カテーテル類や注射器を含む医療材料の全てを一元管理する物流管理システムであり、病院経営と医療現場の効率化を実現する。

SPD事業で強みを発揮する同社は、直近10年間の売上高165%もの伸びをみせ、2021年5月期で750億円を見込む。

 同社がSPD事業を手掛けるきっかけは、顧客である大学病院からの要請だった。もっとも、膨大かつ高度で複雑なシステム構築作業となるために当初、同社内では「時期尚早」の声も多かったという。だが、顧客との関係性を重視し、顧客第一の発想で事業展開を志向する同社経営陣は、革新的なSPD事業の構築を決断した。

そして、1966年に義兄が3代目社長を務める同社に入社し、1998年に4代目社長となり、創業100年を迎えた2010年からは代表取締役会長を務める末石藏八さんは、SPD事業への取り組みをこう説明する。

末石さん

SPD事業は、従来看護士の担当だった発注業務や管理業務をプロである当社が代行することで本来の看護業務に専念できる。ですから、病院にとっても良いこと尽くめのサービスです。
その一方、SPD事業は社内で〝地獄の業務〟と呼ばれていました。SPD事業の立ち上げには半年から8カ月を要し、何十人もの社員を投入して、発注内容の把握や部材の管理状況、業務工程の洗い出しなどから始めました。
これらの作業は、病院の通常業務に支障の無いように夜中作業となり、週2日は徹夜という、体力や精神力の限界に挑戦していく仕事です。
SPD事業自体では儲かりません。しかし、地獄のような業務を逃げすに取り組む社員の姿勢は、医療現場において絶対的な信頼関係を育みます。
今回の新型コロナウイルス感染症による緊急事態下でも盤石の信頼関係は、コロナ対策事業の支援業務でも遺憾なく発揮されました。利益追求でなく、現場の人たちのための取り組みは、結果的に業績面でも貢献しており、ようやく花が咲いた感もあります。

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老舗企業として培ってきた信頼という〝伝統〟に加えて、SPD事業という〝革新〟を社内向けの、いわばカンフル剤としたことが、事業拡大の土台となっている。
 

なぜ老舗企業は、地元業界№1企業になれたのか?

老舗企業の場合、事業の発展性よりも継続性に重きを置く傾向がみられる。このため、老舗企業は長い業歴の半面、堅実経営で小規模事業になっているケースも多い。一方、先端医療機器を取り扱う同社は、九州一円に事業拠点を構え、地元業界でナンバー1企業となっている。
 

『企業が生き残るための秘訣を「長寿企業」に学ぶ!100年企業を生む鍵は、家族的な経営にあった』において、地元の老舗企業の動向に詳しい田中滋幸さんは、「時代に応じて改良、改革をくりかえすことで、老舗企業は存続してきています。何代目かに一人、商売の“天才”も生まれ、事業を拡大した例は多い」とする。
 
同社の場合、〝伝説の営業マン〟だった末石さんの獅子奮迅の結果、九州大学病院での圧倒的な実績が、地元業界最大手への橋頭堡となった。
 
末石さん

私の入社時は、営業マン5、6人という小さな無名企業でした。私は、「福岡でナンバー1の医療機器商社にする」との誓いを立てて、その目標に向かってひたすら走りました。
当時から九州の医療界での〝主戦場〟は、九州大学病院でした。九大病院前に従業員100人以上の同業大手が複数あり、営業部長を先頭に複数人体制で営業をしていました。当時、20歳台前半だった私は、たった1人で立ち向かいました。
毎日、朝から晩まで事務方や現場を問わず、病院内のいろいろな部署に顔を出して、圧倒的な訪問活動で他社を上回って、医師や看護師からの信頼を得ました。さらに最先端の医療知識についても徹底的に習得するように努めました。
年度末には週7日・1日18時間勤務。毎日4回事務方へ足を運んで書類作成も積極的に手伝うなどの努力を積み重ね、強固な人間関係を築きました。その結果、全体的な流れを一早く把握でき、常に先手を打つことができました。
そして、20代後半には、九大病院での医療機器や医療用品の取扱高で、約7割を1人で占めるまでになっていました。お客さまから≪あっぱれ≫と言われて、期待以上の仕事を積み重ねていくことによって、自ずと道は開けます

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その後、産業医科大学病院や佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)付属病院が相次いで誕生すると、九大病院での実績や人脈が同社の事業拡大に大きく寄与したのだという。

老舗企業の経営者が明かす企業経営の神髄とは?

「常に天を意識し、堂々と生きる」「世の為、人の為に尽くす」を座右の銘とする末石さんは長年、社会から求められて必要とされる〝本物の企業〟を目指し、〝本物の人材〟育成にも打ち込んできた。
 

人間学探究誌『致知』を愛読する経営者らで組織する『木鶏クラブ』の全国組織で副会長を務める末石さんだが、若手経営者やベンチャー起業家に対して、どのような思いを抱いているのだろうか?
 
末石さん

若い経営者には、「人生の目的意識をきちんと持つべきだ」という話をしています。「何のために生まれてきたのか」「自分はどのように生きていくのか」を常に自分自身に問い掛けることが必要です。
また、彼らには、「社員や部下を自分の身内同然だ」「仕事以外のことでも相談に乗って一緒に悩み・悲しみ・喜ぶことが大事だ」と伝えています。
会社は公器です。昨今、注目を集める公益資本主義では、株主だけでなく従業員、顧客、取引先、地域社会などの利益還元を説いています。最終目的は社会貢献であり、利益追求は手段でしかないことを肝に銘じておく必要があります。


創業者・山本平助は、自らの出身地である糸島郡岐志(きし)の地名にちなんだ屋号を掲げた。

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老舗企業であり、地元業界最大手に成り得た同社の姿勢や取り組みから学ぶことは大きい、と筆者は考える。
 
<参考資料>
『令和元年度医療費の動向』(厚生労働省保険局調査課)

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編集者兼ライター
近藤 益弘
1966年、八女市生まれ。福大卒。地域経済誌『ふくおか経済』を経て、ビジネス情報誌『フォー・ネット』編集・発行のフォーネット社設立に参画。その後、ビジネス誌『東経ビジネス』、パブリック・アクセス誌『フォーラム福岡』の編集・制作に携わる。現在、『ふくおか人物図鑑』サイトを開設・運営する。

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