世界最強のビジネス軍団だった日本
日本中が緊急事態宣言で外出自粛ムードだった2020年の黄金週間、その週末である5月9日にこんな経済ニュースが飛び込んできた。アメリカの株式市場に上場するマイクロソフト・アップル・アマゾン・グーグル(アルファベット)・フェイスブックなど時価総額上位5社の合計(約560兆円)が、東証1部約2170社の合計(約550兆円)を上回ったというのだ。
この事実を平成元年の日本人が知ったらどう思うだろうか。かつての日本はすごかった。世界の時価総額ランキングの、トップ10位中7社も日本企業がランクイン。その当時の日本の「オフィス」は、いったいどのような風景で、どのような働き方だったのだろうか。インターネットはおろか、モバイルもパソコンすらも普及していないという土俵で、世界最強にまで上り詰めたビジネス軍団“日本”は、世界とどのように戦ったのだろうか。
世界の時価総額ランキンググラフ
平成が始まり、テレビドラマ「101回目のプロポーズ」や「東京ラブストーリー」が高視聴率をたたきだし、日本の経済はバブル崩壊へと突入する。このドラマの中のオフィスシーンでは、パソコンのないデスクが向かい合って島を形成、「デスクでタバコを吸うシーン」すら登場する。
その後、Windows95の登場もあり、1課に1台、1人1台へとパソコンが普及し、インターネットが整備され、仕事の内容と効率は変化していった。しかし、日本が世界最強に上り詰めた当時から、日本の「オフィス」や日本人の働き方は、いったいどれほどアップデートされてきたのだろうか?
博多にある築100年を目指すレトロビル
話を福岡ドローカルに移そう。
今年で築62年を迎えるレトロなビルが博多区上川端町にある。博多どんたくパレ―ドの出発点である冷泉公園のすぐ近くに、そのレトロビル「冷泉荘」はある。この冷泉荘、2000年ごろはホームレスが居座ったり、見知らぬ外国人が出入りしたり、何の仕事かわからない会社の事務所が入っていたりと、いかにも近寄りたくない雰囲気プンプンのビルだった。
当時、父親からビル経営を受け継いだ𠮷原さんは、このビルを建替える予算もない中で、廃業を選ばず「築100年を目指す」、と手探りで様々な取り組みを始めた。退去者が出たその部屋を、次に賃貸で借りる人に「現状回復せずに自由にいじって良い」と貸したのだ。
株式会社スペースRデザイン・代表取締役の𠮷原勝己さん
今では、満室にもかかわらず「空室が出たら入居したい」と問い合わせが来るほどの人気物件に。築60年を越えているのに、オフィスとして貸りたい個人や法人が後を絶たず賃料の相場が新築ビル並、さらに2012年には福岡市都市景観賞も受賞している。
いったい何が、冷泉荘の付加価値を高めてくれたのだろうか?
組織という「箱」の付加価値が高まった理由
付加価値のカケラも感じられなかった当時の冷泉荘で、𠮷原さんが仕掛けたこととは。「築100年を目指す」というミッションを掲げ、入居者自身が部屋を自由にカスタマイズできる「余白」を設けたことだ。さらに退去時は「現状回復なしでOK」という手法が、入居者のこの部屋を「もっと良くするために何ができるだろう?」を掻き立て、入居者自身による部屋づくりを促した。
昔の冷泉荘
現在の冷泉荘のテナントの様子
今風な言葉に置き換えるとセルフリノベーション、英語のDo It Yourself(ドゥ イット ユアセルフ)の略語で、「自身でやる」の意味でもあるDIY。このDIYができる賃貸物件として、世の中に冷泉荘を解き放ったのだ。
そこから起こったことは、入退去のたびに「部屋がバージョンアップされていく」好循環だった。𠮷原さんはもう1つ、入居者が抱く「もっと良くするために何ができるだろう?」がより掻き立てられる法則を見つけた。それは、ビルという「箱」のコミュニティ活動や、入居者同士の関係構築活動だった。
さて、そんな𠮷原さんが社長を務めるスペースRデザインという小さな会社がある。福岡県内の築古ビルを、付加価値を高めることでレトロビルへと昇華させるプロデュース集団だ。その会社に近年大きな変化が訪れた。𠮷原さんは知ってか知らずか、ビルという「箱」で得た知見を、オフィスという「箱」、そして組織という「箱」にも応用してみたのだ。
“住む”のデザインから“働く”のデザインへ
2018年、この小さな会社で始まった新たな挑戦。それは、従来の社内規定だと退社の選択しかなかった、結婚して他県に移住する社員を「20%社員」という形で契約を換え、リモートワークを導入したのだ。さらに外部人材を「10%社員」「5%社員」という形で契約し、外部から常に刺激が入るようにした。
変化はじわじわと訪れた。この1年半で社員の総労働時間は減少、にも関わらず営業成績は1.4倍へと生産性が向上。さらに、長年続けていた、デスクが縦長に並び「島」を形成し社長席から全員を見渡せる灰色の「オフィス」について、そのあり方を全員で対話しあったのだ。
すぐに「自分たちがよりよいパフォーマンスを出すには、どんなオフィスが良いか」の問いで全員が対話し合い、「オフィス」について学び合いながら仕様が決まった。
そして、2020年1月に「オフィス」は生まれ変わった。
1人1人のデスクは集中しやすいように視界を制限、それでいて社内で声掛けが起きやすいようにも配慮され、デスクが半ブース化した「手裏剣型」のユニットが並ぶ「オフィス」となった。
作業に集中したいときは「声をかけないで」が可視化される、アナログなサインも登場。
そして、何よりこの「オフィス」になった直後にやってきたのが“新型コロナウイルス”だ。「3密を避ける」と言われはじめ、企業の働き方がガラリと変わっていく中、同社はすでに1人1人が半ブース化されているため、ソーシャルディスタンスが保たれていた。さらに社内の換気を行うことで、すでにコロナ対策がされている「オフィス」になっているということに、全員が気づいたのだった。
長く会社にいるスタッフはこう発言する。
「昔は給料のためと割り切って仕事をしていたけど、今は、会社のために何ができるだろう?って考えるようになってます」。
付加価値を生み出す組織が持っているもの
アメリカにギャラップという世界規模の調査会社がある。2017年、世界各国の企業を対象に従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)の調査を行った。この調査によると、「熱意あふれる社員」の割合が、アメリカは32%だったのに対し、日本は6%と139カ国中132位の最下位クラスだった。
この調査が引用されている、2019年の経済産業省主催の「経営競争力強化に向けた人材マネジメント研究会」の第2回目研究会資料に、エンゲージメントスコアが高い企業と低い企業の比較が載っている。
経産省研究会資料
エンゲージメントスコアが高い企業は、従業員の欠勤率や離職率が低いだけでなく
・顧客評価
・生産性
・売上
・利益率
が高かったのだ。つまり、エンゲージメントスコアが高い組織ほど、生産性が高く、高付加価値を生み出す組織になっていると言えるのだ。
この研究会資料では、エンゲージメントを経営に活かす整理として、以下のようにまとめている。
①多様な個を包摂し、組織の求心力となるミッション・ビジョン・バリュー(MVV)の構築と徹底
②「個」のニーズを踏まえた、タイムリーかつ柔軟なエンゲージメント強化策の実行
③「個」のコミットメント強化やイノベーションを促進するための、オープンな情報開示 ・権限委譲
これは、組織が目指す方向性を明確にして共有することで、組織という「箱」に愛着や誇りを持つ「個」が集まり、この組織を「もっと良くするために何ができるだろう?」と、考えたり行動したりことを促すと、競争力の高い組織になるということだ。
世界も注目する福岡の新方程式
話を福岡に戻そう。福岡DIYリノベWEEKというイベントが毎年11月に開催されている。𠮷原さんが代表理事を務める、NPO法人福岡ビルストック研究会が主催のイベントだ。
このイベントは、福岡県内にあるレトロビルや空き家・空き店舗を起点に、DIYやコミュニティ活動によって付加価値を高め、それがまちにはみ出して「まちづくり」になる事例を紹介し学び合うものだ。2019年は、福岡市、糸島市、太宰府市、久留米市、八女市、柳川市、大牟田市の事例が登場。中には、シャッターだらけだった商店街が、まちの若者たちの起業によって全てのシャッターが開き、活気が戻ってきたという事例もある。
これからの日本では、地方は人口が減少し、まちの担い手が不足していくと言われる。人口が160万人をついに突破し、政令市中の若者率がナンバーワンの福岡市ですら、各地域の自治会長や公民館館長に話を伺うと「地域の担い手不足」が必ずキーワードとして出てくる。
しかし、この福岡DIYリノベWEEKのメンバーたちが各地域で起こしてきたことは、、古い不動産という「箱」に人の営みが掛け算していくことで、付加価値が高まり、まちへ伝染していくという方程式になっていることだ。
これら一連の事象を繋げて見ると、オフィスも、ビルも、組織も、まちも、ここを「もっと良くするために何ができるだろう?」と行動する人の営みが加わることによって、付加価値が生み出されていることがわかる。
この方程式が、今では九州内の他県にも飛び火、熊本県や鹿児島県でも動きがみられる。そしてこの動きを研究しようと、日本建築学会も注目、韓国からの視察団や留学生も来る。さらに2019年12月、世界大学ランキングのアジア部門で東京大学(11位)を凌ぐ清華大学(3位)からも声がかかり、国際シンポジウムに𠮷原さんは登壇した。
今、世界はあらゆるものが可視化され始めた。ここ福岡の小さい会社が生んだ方程式は、人手不足・働き方改革で悩む中小企業、そして人口減少・空き家・地域の担い手不足という地方が直面する縮小社会の、新たな課題解決方法としても目が離せないのではないだろうか。
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