博多の秋を彩る風物詩『中洲まつり』とはどんな祭りなのか
画像提供:中洲まつり実行委員会
日本三大歓楽街の一つに数えられる福岡市・中洲。
中洲において毎秋、開催されている祭りが『中洲まつり』だ。
中洲を南北に走るメインストリートの中洲大通り沿いは、期間中、歩行者天国となり、道沿いには飲食・物販ワゴンが軒を連ねる。
女性の担ぎ手による『中洲國廣女みこし』は、祭りの華である。
さらに、きらびやかな花魁衣装を身にまとった『花魁道中』が、祭りにあでやかさを添える。
また、中洲まつりでは、一丁目ステージ、五丁目ステージ、リソルステージという三つの舞台が設けられている。
これらのステージでは、歌をはじめ、和太鼓演奏や各種パフォーマンスなどが繰り広げられる。
中洲まつりの前日には、前夜祭として中洲のクラブやスナック、バーなどを飲み歩きできる『はしご酒大会』も開催されている。
約半世紀にわたり、さまざまな時代の波に翻弄されながらも続いてきた、中洲まつり。
今年2025年、生誕50年目という節目の年を迎える。
いまから半世紀前、中洲まつりの誕生を巡る秘話
画像提供:中洲まつり実行委員会
中洲まつりが誕生したのは、1976年11月のことだった。
当時は、オイルショックに端を発した不況が長引き、中洲の街も不景気にあえいでいた。
このような状況下、地元のリーダーたちが立ち上がって始めたイベントが、中洲まつりである。
中洲まつり実行委員会の実行本部長を務める川原武浩・ふくや社長は、中洲まつりの誕生経緯と現状について、次のように語る。
川原武浩・中洲まつり実行委員会実行本部長
「中洲から不景気風を吹き飛ばそう」と当時、中洲町連合会の会長だった祖父の川原俊夫が発案し、誕生したお祭りが中洲まつりです。
中洲の活気を取り戻そうと始めた中洲まつりは、同じく歓楽街である札幌市・すすきのの『すすきの祭り』を参考にして、お客さまへの謝恩も込めて始まりました。
中洲まつり実行委員会の実行本部長を務める川原武浩・ふくや社長
中洲まつりの“源流”、札幌市・すすきの祭りとの南北交流
第1回『すすきの祭り』(開催当初は薄野祭)が誕生したのは、1965年8月のことだった。
1951年から3年間開催された、前身の薄野祭を復活させる形で始まっている。
2025年8月7日(木)~8月9日(土)の3日間、第61回すすきの祭りが開催された。
歩行者天国になったすすきのの路上には、約100軒の屋台が並んだ。
そして、『花魁道中』や『神輿渡御』『コンコン神輿』が登場して祭りを盛り上げた。
初日のメインイベントである花魁道中は、第20回記念として1984年に、東京・浅草から花魁役ら9人を招いて披露したもので、予想以上の人気を博した。
これを受けて翌年からは『夢千代大夫』『佳津乃大夫』と命名した花魁役を公募し、恒例行事となっている。
すすきの祭り関係者は毎年、中洲まつりを訪問している。
一方、中洲まつり関係者は、周年などの節目にすすきの祭りを訪ねており、昨年2024年の第60回すすきの祭りにも駆け付けた。
福岡市・中洲、札幌市・すすきのという南北の一大歓楽街は、祭りを通じて相互に交流を持ち続けている。
このような事例は、「全国的にも珍しい」と言われている。
第50回中洲まつりのスケジュールと見どころ
画像提供:中洲まつり実行委員会
節目となる第50回中洲まつりは、10月31日(金)と11月1日(土)の両日に開催される。
また、開催に先立ち、前日となる10月30日(木)には、前夜祭としての催しも行われる。
主なスケジュールは下記の通りである。
10月30日(木)
■はしご酒大会(20:00~21:30)
10月31日(金)
■中洲國廣女みこし(19:30出発)
■花魁道中(人力車道中19:00頃~)
■【中洲大通り】飲食・物販ワゴン(18:00頃~)
■【リソルステージ】歌姫プロジェクトin中洲&パフォーマンスショー(18:30頃~)
■【一丁目ステージ】飲食テント 歌と各種エンターテイメント
■【五丁目ステージ】和太鼓演奏(21:00頃~)
11月1日(土)
■中洲國廣女みこし(19:00出発)
■花魁道中(人力車道中19:15頃~、花魁道中20:00頃~)
■【中洲大通り】飲食・物販ワゴン(18:00頃~)
■【リソルステージ】明治産業Presents Next Girls Revolution(19:00~)
■【一丁目ステージ】飲食テント 歌と各種エンターテイメント
■【五丁目ステージ】和太鼓演奏(21:00頃~)
見どころとなる中洲大通り飲食ワゴン、中洲國廣女みこし、花魁道中については以下の通りである。
中洲大通り飲食ワゴン
中洲まつりの期間中、歩行者天国となる中洲大通りには、飲食・物販ワゴンが建ち並ぶ。
本格的な名物料理から、リーズナブルな焼きそばや焼き鳥などまで、アルコール片手に味わうことができる。
例年70軒前後のワゴンが出店する中、今回は50回記念という節目の祭りとなることから、約100軒のワゴンが軒を連ねる。
中洲國廣女みこし
中洲5丁目の中洲國廣稲荷神社からスタートする、中洲國廣女みこし。
その担ぎ手は、文字通り女性たちである。
中洲で働く女性やお祭り好きの一般女性たちが華やかに威勢良くみこしを担ぐ姿は、人々の人気を集める。
中洲國廣女みこしは、1986年の第10回中洲まつりから始まった。
今年2025年は、2基のみこしが登場し、200人以上の担ぎ手が参加して、中洲の街を縦横無尽に担いでいく。
花魁道中
豪華絢爛な花魁衣装の女性が中洲大通りを闊歩する花魁道中は、地元客にとどまらず観光客も魅了する名物企画である。
花魁道中は1985年、東京・浅草からの協力を得て第9回中洲まつりで登場した。
その後、一旦途絶えたものの、2013年の第38回中洲まつりで復活を果たしている。
中洲まつりの初日、鏡開きに登場した花魁は、中洲大通りを人力車でパレードする。
2日目に行われる中洲大通りでの花魁道中には、人だかりができる。
日本三大歓楽街である中洲とは、どのような歓楽街なのか
画像提供:中洲まつり実行委員会
福岡市中央部を流れる那珂川と、その支流である博多川に囲まれた長さ1キロ、最大幅200メートルの細長いエリアが中洲である。
5年に1度発表される経済センサス(活動調査)で最新版となる2021年版によると、中洲1丁目~5丁目の飲食店は887事業所であり、従業者数は約4,700人だった。
中洲の起源は1601年(慶長6)、初代福岡藩主の黒田長政が福岡城築城のために、城下町・福岡と商都・博多をつなぐため中ノ島(現・中洲中島町近辺)の両側に中嶌橋を架けたことだとされる。
その後、中ノ島の先端部にあった福岡藩の用船係留港が1820年(文政3)ごろに埋め立てられた。
1834年(天保5)には、財政再建に向けた藩札流通と景気復興を図り、福岡藩が旧係留港の埋立地一帯を整備した。
繁華街・中洲の誕生である。
なお、整備されたエリアは現在の中洲中島町一帯にあたる。
現在の中洲5丁目付近では1847年(弘化4)、11代藩主の黒田長溥が藩営精錬所を設けた。
明治期を迎え、精錬所跡地に福岡病院(九大病院の前身)が移転。
博多電灯本社や福岡電話局などの開設も相次ぎ、オフィス街としてもにぎわっていく。
一方、常設芝居小屋が設立され、劇場建設も相次いだ。
大正期になると映画館も次々と登場し、カフェやバーなどの流行もあって、歓楽街としてにぎわった。
1925年には、福岡初の本格的百貨店として福岡玉屋が開店した。
1945年6月の福岡大空襲では、中洲の大半が灰じんに帰した。
終戦後、いち早く映画館が復興し、劇場も復活。
その後、クラブやスナック、キャバレーなども急増し、歓楽街としての性格を強めた。
最近50年における福岡市と中洲の変遷
画像提供:福岡市
中洲まつりがスタートした前年である1975年は、福岡市にとって重要な節目の年だった。
1975年3月、山陽新幹線が博多駅に乗り入れ、同年10月の国勢調査では人口100万人を突破した。
福岡市地下鉄の空港線が開業した翌1982年、路線延伸に伴って中洲川端駅がオープンした。
元号が平成に変わった1989年、アジア太平洋博覧会『よかトピア』が開催された。
日本経済はバブル景気の真っただ中だった。
1999年、中洲に隣接する下川端エリアで博多座と福岡市アジア美術館が開館。
その後2011年には、九州新幹線鹿児島ルートが博多駅まで延伸して全線開業した。
2014年、福岡市は国家戦略特区に指定され、翌2015年に福岡市の都市再開発誘導策『天神ビッグバン』が始動。
2019年には『博多コネクティッド』も動き出している。
このように福岡市が発展していく中、中洲という歓楽街はどのように変化していったのだろうか。
この点について、川原実行本部長は次のような見方を示す。
川原武浩・中洲まつり実行委員会実行本部長
もともと中洲は、劇場の街であり、映画館の街でした。
そして、パチンコ店も多く、百貨店の福岡玉屋も営業していたので、“昼の顔”もある街でした。
その後、キャバレーからスナック、クラブが登場し、さらにバーも派生して中洲は、歓楽街の色合いが強くなっていきました。
コロナ禍となって、1960年代前後に創業したお店の閉店も多く、その跡にコンセプトカフェやガールズバーなどの新しい形態のお店が入ってきています。
中洲を舞台とした、中洲まつりは、集客と謝恩のお祭りであり、これらの新しい店舗も巻き込みながら、中洲を盛り上げていきたいと考えています。そして、中洲が、ますます安心して飲める楽しい街であってほしいと願っています。
中洲まつりは博多の夜の“おもてなし”コンテンツ
毎年7月15日の早朝、櫛田入りでクライマックスを迎える博多祇園山笠は、勇壮な男たちの祭りだ。
一方、毎年10月下旬、とばりが下りた中洲で開催される中洲まつりは、女みこしや花魁道中に象徴される女性主体の祭りとなっている。
夏と秋に開催される二つの祭りは、それぞれ対極をなしながらも、共に博多の風物詩として人々から愛されている。
7月1日から15日までの会期中に約300万人を魅了する博多祇園山笠は、長年、伝統を重んじる神事でもある。
これに対して中洲まつりは、ナイトエコノミーの“聖地”といえる中洲において“おもてなし”コンテンツとしての役割も果たす。
中洲まつりが今後どのように進化し、発展していくのか。引き続き注視していきたい。
参照サイト
第50回中洲まつり
https://www.nakasumatsuri.com/
北海道style『第61回すすきの祭り|2025』
https://hokkaido-travel.com/event/susukinofes/
一般社団法人すすきの観光協会『すすきの祭りの歴史』
http://www.susukino-ta.jp/history/index3.html