120周年を迎える日本のバス事業、始まりは京都だった
乗合バス事業者数2,337社、同車両数5万7,914両、同総走行距離24億7,900万キロ、同輸送人員31億2,055万人……。
公益社団法人日本バス協会が2023年5月に発行した『2022年度版(令和4年度)日本のバス事業』によると、日本全国には2,300社余りの乗合バス事業者がいる。
そして、6万台弱の乗合バスは1日あたり地球170周に相当する680万キロを走って毎日、850万人もの人々を運んでいる。
コロナ禍に見舞われた2020年度の国内総輸送人員は、対前年比30.2%減の217億4900万人だった。
このうち14.3%を占めた乗合バスの始まりは、120年前の1903年(明治36)9月20日に開業した京都市内堀川中立売~七条~祇園線とされる。
当時、内燃型車両が無く、蒸気自動車を改造した6人乗りの幌無し車両が使われた。
運行を始めた二井商会は開業初日、営業中止勧告を受けるという多難な出発だった。
その後、11月21日に正式営業を開始した。
日本バス協会では1987年(昭和62)、9月20日を『バスの日』に定め、日本におけるバス事業の始まりとする。
引用:公益社団法人日本バス協会『2022年度版(令和4年度)日本のバス事業』(2023年5月発行)
〝バス王国〟福岡の出発点は110年前の太宰府だった!?
グループ乗合バス車両数2,430両、同輸送人員2億932万人、同運送収入400億1,400万円、実車走行キロ1億862万キロ━━。
三大都市圏以外で唯一の大手私鉄である西日本鉄道株式会社(西鉄)は、日本有数のバス会社でもある。
福岡県内を中心に一般路線バス、九州各県を中心に各都市間を結ぶ高速バスを乗合バス事業として手掛ける西鉄グループは、小田急グループのバス車両数3,331台(2022年8月時点)、実車走行キロ1億1,089キロ(同)に次ぐ存在だ。
福岡県内で初となる、道路に敷設したレール上を運行する『軌道』の開業は1902(明治35)年5月。
二日市駅(現JR二日市駅)前と太宰府天満宮の参道を結ぶ太宰府馬車鉄道だった。
同年3月に開催される『菅原道真公千年忌大祭』に間に合わせるために発起人の個人名義で営業開始し、その後5月に会社を設立したという経緯がある。
福岡県内で初めてのバス路線は1913年(大正2)、同じく二日市~太宰府であり、太宰府天満宮への参拝客を輸送することを目的に開業した。
京都で始まったとされる日本初のバス事業から10年後、福岡県内でもバス事業がスタートしたのだ。
110年の歳月を経た今日、福岡県は日本でも有数の〝バス王国〟となっている。
『西日本鉄道グループ企業情報』をもとに作成
【謎】なぜ福岡は日本有数の〝バス〟王国になったのか!?
人口160万人余りで日本有数の大都市である福岡市の道路において、乗合の路線バスが行き交う。
そして、天神地区や博多駅周辺エリアでは、何台もの路線バスや高速バスが連なる光景を目にする。
なぜ、福岡市民の〝地域の足〟としてバスが定着したのだろうか?
この【謎】について、『西日本鉄道百年史』や『西日本鉄道創立110周年記念誌』を西鉄アーカイブ担当課長時代に編集し、福岡の交通事情に詳しい吉富実・特定NPO法人福岡鉄道史料保存会理事長は、次にように解説する。
特定NPO法人福岡鉄道史料保存会の吉富実理事長
吉富実理事長
東京・大阪・名古屋の三大都市圏は明治後期以降、郊外の住宅開発が進み、都心部と郊外を結ぶ郊外電車が発達しました。
一方、福岡市に代表される人口集積の小さい地方主要都市の場合、都市内交通は主に路面電車(軌道)でした。
公共交通機関としてバスが登場したのは大正初期です。
比較的小さな資本と短期間で開業できるため、地元の名士が集落と鉄道・軌道の駅までを結ぶ交通手段としてバスを運行しました。
行政の許認可も簡易だったため、事業者は乱立状態でした。
福岡県では、日本有数の穀倉地帯である筑後平野で発達していた軌道網は、経済的優位性から昭和初期に次々とバス路線に転換し、一転してバス王国となりました。
一方、日本屈指の炭鉱地帯である筑豊地区では、石炭輸送を鉄道に依存していたこともあり、郊外の炭鉱住宅と各中心市街地と結ぶバス路線が独自に発達しました。
戦時下の1942年、当時の九州電気軌道や九州鉄道など地元の鉄軌道会社5社が国策で合併し、西鉄が誕生しました。
1944年、西鉄が地元のバス会社47社を吸収合併したことで戦後、圧倒的な規模のバス会社となる基盤ができ上がりました。
戦後の高度経済成長期、人口が急増する福岡市では、路線整備に時間と多額の設備投資資金を要する鉄道よりも早期に開業できるバスが、交通手段として選ばれました。
当時は、新しい道路と団地ができたら、「まずバスを走らせろ」という雰囲気でした。
戦時中の会社合併で誕生した西鉄は、バス路線を前身会社から引き継いでいました。
1960年代初頭までにバス路線を天神に交通結節点を集約し、1960年代半ばまでに福岡平野を放射状に拡がる路線網がほぼ完成しました。
そして、1975年に福岡市内の路面電車網の大部分が廃止されると、代行・代替バス路線を開設しています。
都市開発や人口増に柔軟かつ即座にバス網の改廃で対応してきました。
また、都市高速道路を活用した重層的な路線開設も含めて、バスの守備範囲を絶妙に変化させています。
見方を変えると、都市の拡大に合わせて公共交通機関としても進化し、都市の発展を支えてきた面も大きいといえるでしょう。
半世紀前に既に百万都市であり、福岡市より人口がはるかに多かった京都市や神戸市を福岡市が追い抜けた要因の一つとして、他都市に無かった公共交通機関モードの適切な進化も挙げられるのではないでしょうか。
【謎】なぜ福岡市では路線バスは都市高速を走れるのか!?
福岡高速道路を走行する西鉄の路線バスの車内風景
都市高速として親しまれている福岡高速道路を高速バスだけでなく、乗合の路線バスが走る光景は、福岡市民にとって日常的な風景だ。
しかし、福岡市へ新たに引っ越して来た人たちや来訪者の中からは、「シートベルトをせずに高速道路を走行して大丈夫なのか?」「立ち乗りで乗車していても良いのか?」という声も聞かれる。
この点について、吉富理事長は、次のように回答する。
吉富実理事長
実は、初めて路線バスが、高速道路経由で運行された事例は、1965年8月25日に開業した東京駅八重洲口~(首都高速)~羽田空港線でした。
路線自体は割高な運賃設定もあり、1970年11月末で廃止されました。
その後、通勤型(中前扉車)の路線バスによる首都高速を経由した運行は1967年、東京都世田谷区の住宅地域と東京駅南口を結ぶ都営・東急の相互乗入れ路線でした。
同路線も首都高速の渋滞問題で1984年に廃止されています。
これらの前例を踏まえ、1980年10月から供用を開始した福岡高速道路に西鉄が最初に乗り入れたのは1981年5月、福岡~赤間線からでした。
福岡高速道路を走る路線バスについては、下記の条件をクリアすることで国土交通省からの特認を受けています。
◎高速道路でも時速60キロ以下で走行
◎ABSの装備
◎高速道路での走行距離・時間が全区間の半分以下
福岡高速道路は制限速度60キロの自動車専用道路となっているものの、一部区間で特例的に80キロ走行が可能です。
80キロ区間でも60キロ以下で走るため、対象車両の前後に「運行速度60km/h以下」と記した丸型ステッカーを貼っています。
1980年代、福岡市は博多湾に面した東西の広い地域で埋立事業を行いました。
そして、初期の福岡高速道路は埋立地を縦貫し、福岡市都心部の天神地区と博多駅地区に出入口を設けました。
ウォーターフロントでの住宅開発に伴い、都市高速経由線は好評でショートカット効果に加えて収益面でも好調でした。
その後、バス事業を取り巻く環境が厳しさを増す中、新路線開設やサービス開発も進めながら、都市高速経由線を充実させていきました。
現在、西鉄バスでは、平日32路線・2720便(2023年9月1日現在)が、福岡高速道路を経由して運行中です。
【謎】なぜ最近バス運賃の値上げや減便が相次いでいるのか!?
乗合バスを2,430両も擁する西鉄グループ
最近、バス運賃値上げやバス路線廃止などのニュースを耳にするようになった。
一体なぜ、このような事態が起きているのだろうか?
この件に関して、吉富理事長は、次のような見解を示す。
吉富実理事長
路線バス事業は高度成長期の前半、1960年代に最盛期を迎えました。
しかし、その後、自家用車保有率の増加に反比例して輸送人員の減少が始まりました。
そして、大都市部以外のバス路線は1970年代には赤字基調になっています。
この頃、経営と運行を維持するため、2年毎にバス運賃を改定することが常態化していました。
その後、高度成長経済が終焉し、バブルが崩壊してデフレ経済に突入しました。
すると、規制緩和政策もあり、運賃改定は原則的に消費税アップによるものがほとんどでした。
このため、慢性的な赤字路線は、国や地方自治体からの運行補助金で維持されつつも、輸送量が極めて低い路線は廃止されていきました。
今回のコロナ禍でバス需要は大きく減少しています。
いまだに需要回復に遠く及ばない状況です。
その半面、円安の影響もあって燃料費や資材価格が上昇しており、バス事業の財務状態は悪化し、経営的にも行き詰まりつつあります。
バス事業の経営を維持するために人件費を削減した結果、バス運転者の給与水準は、他産業から大きく乖離しました。
定年退職者が増える一方、新規採用が低迷して乗務員の充足率が低下し続けています。
その結果、減便は当初、福岡都心100円循環バスの廃止から始まり、次いで乗車効率の低い早朝・深夜便をカット対象に進められています。
一方、自動車運送事業の運転者に関する乗務改善基準の変更が伴う、いわゆる『2024年問題』があります。
時間外労働の短縮と共にバス運転者の出退勤時刻にも大きな制限が加わっています。
主に労働時間を短縮することで労働条件の向上を図り、自動車運転業務への就業促進を狙ったものでありますが、待遇改善の原資を確保するためにも、運賃改定は避けて通れない状況です。
人件費増加は経営破綻につながりかねない昨今の状況では、運賃改定での増収か、収入減を覚悟しながらも、減運して赤字を抑えざるを得ない状況に陥っています。
今後の持続的な公共交通やバスのあり方を考える
画像提供:バス路線探検家 沖浜貴彦氏
〝バス王国〟福岡においてもバス路線の廃止や縮小の傾向がみられる。
このような状況下、公共交通としてのバス路線の存続に向けては、どのように取り組んでいくべきなのであろうか。
吉富理事長は、次のように考える。
吉富実理事長
従来、各都市の中心市街地には役所や病院、商業施設が集中するコンパクトシティーでした。
郊外開発が進んだ結果、これらの施設が郊外へ分散してしまい、中心市街地が壊れて、公共交通にも大きな影響を与えています。
本来、公共交通の確保も念頭に置いたまちづくりへと見直すべきだと考えます。
農村部では、全くビジネスとしては成り立たない状況であり、生活圏単位で公共交通の整備水準を考えるべきです。
都道府県が音頭を取って、各生活圏においてシビアに地域経済を直視しながら、今後のあり方について全体の交通網から検討していく必要があります。
今後、地域交通を担う事業者をはじめ、利用者である一般市民や交通弱者も含めて危機感を持って〝目線を低く〟しながら、産学官民が一体となって、《現状を見る・対策を考える・解決に向けて行動する》ことが求められると考える。
参照サイト
公益社団法人日本バス協会『2022年度版(令和4年度)日本のバス事業』(2023年5月発行)
https://www.bus.or.jp/cms/wp-content/themes/bus/images/about/publication/2022_busjigyo.pdf
西日本鉄道『グループ:企業情報:事業内容:モビリティ事業:バス事業』
https://www.nishitetsu.co.jp/ja/group/business/mobility/bus.html
小田急電鉄『INTEGRATED REPORT 2023』統合報告書2023
https://www.odakyu.jp/ir/jl4d7l0000000gvh-att/20231006.pdf
あわせて読みたい
日本で交通アクセスが良いのは、どの都市? ~地下鉄七隈線の博多駅乗り入れでさらに便利になる福岡市の交通を考える~
https://fukuoka-leapup.jp/biz/202303.1225
沖浜貴彦, Author at フクリパ
https://fukuoka-leapup.jp/writer/59