櫛田神社は博多総鎮守! ~知っているようで意外と知らない『櫛田神社』編

【謎解き!フクリパ】

櫛田神社は博多総鎮守! ~知っているようで意外と知らない『櫛田神社』編~ 

春『博多どんたく港まつり』、夏『博多祇園山笠』、秋『博多おくんち』、冬〝日本一〟大きな『おたふく面』をくぐっての節分……。古来、博多総鎮守である櫛田神社は、博多の風物詩となっている年中行事とも縁の深い神社です。今回、知っているようで意外と知らない櫛田神社の〝謎解き〟に挑みます。

この記事の目次

春:どんたく、夏:山笠、秋:おくんち、冬:節分のおたふく面で博多を彩る、博多総鎮守「櫛田神社」のあらまし

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地元の福岡・博多の人たちから「お櫛田さん」との愛称で親しまれている『櫛田神社』は古来、博多総鎮守として広く信仰を集めている。
本殿の左殿に天照大御神(大神宮)、中殿に大幡主命(櫛田宮)、右殿に須佐之男命(祇園宮)の三神が、祭神として祭られている。

 

 

毎年5月に開催される博多どんたく港まつりにおいて、松囃子一行は櫛田神社から出発する。
7月に執り行われる博多祇園山笠は7月15日早朝、追い山笠笠の櫛田入りで最高潮を迎える。
10月の博多おくんちは、秋の豊穣に感謝する櫛田神社の秋季例祭だ。
2月の節分では、日本一大きな『おたふく面』が設置され、地元の知名士らによる豆まきが行われる。
櫛田神社は春夏秋冬、福岡・博多の風物詩となる年中行事とも縁深い神社でもある。

 

 

今年2024年で創建1267年を迎える櫛田神社の歴史的な歩み

 

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櫛田神社の創建について社伝によると、天照大御神(大神宮)の祭祀は古く定かではないものの、託宣によって757年(天平宝字元)に伊勢国松阪(現三重県松坂市)の櫛田神社を勧請したとされる。
祭神の大幡主命(櫛田宮)は、天照大御神(大神宮)に仕える一族の神だった。
その後941(天慶4)、藤原純友の乱に際し、追捕使の小野好古は、山城国の八坂神社に神助を祈願した。
そして平定後、同社の祭神である須佐之男命(祇園宮)を櫛田神社に勧請したという。

 

 

なお、櫛田神社の創建については、平安末期に平清盛が自分の所領だった肥前国神埼(現佐賀県神埼市)の櫛田宮を日宋貿易の拠点としていた博多へ勧請したという説もある。
平清盛による櫛田宮の分社説について、勧請したのは福岡市早良区にある野芥櫛田神社だったという見方もあるそうだ。

 

 

現社殿が造営されたのは1587年(天正15)、豊臣秀吉による博多復興である太閤町割に伴って再建された。
神仏習合だった江戸時代、櫛田神社は東長寺に属しており、櫛田神社の境内に神護寺が置かれていた。
明治維新に伴って1868(明治元)に神仏分離令が発せされると、櫛田神社は神社として分離独立。
江戸時代の寺請制度に代わっての近代社格制度において1891(明治24)、櫛田神社は県社に列せられた。

 

 

福岡・博多の春夏秋冬を彩る櫛田神社の年中行事

福岡・博多の風物詩となっている年中行事とも縁深い櫛田神社における春夏秋冬を追い掛けてみよう。

 

【春】博多どんたく港まつりの博多松囃子一行は櫛田神社から出発する

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例年、200万人もの観客を魅了する博多どんたく港まつりの起源は、いまから845年前の1179年(治承3)に始まったとされる『博多松囃子』だ。
国の選択無形民俗文化財である博多松囃子は、福神、恵比須、大黒の三福神を中心とする行列と稚児舞からなり、祝言を目的とした中世芸能の一つとされている。

 

 

江戸期には毎年、正月15日に福岡城へ赴き、福岡藩主に表敬する行事となった。
藩主表敬では、松囃子の本体である三福神と稚児に続き、博多の商人や町人らも趣向を凝らした出で立ちや出し物を演じることで同行していたそうだ。
今日の博多どんたく港まつりでも松囃子の一行は、櫛田神社から出発することがしきたりとなっている。

 

 

【夏】ユネスコ無形文化遺産、重要無形民俗文化財博多祇園山笠300万人を魅了

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博多祇園山笠の追い山笠における櫛田入り(画像提供:櫛田神社)

「オイサ」「オイサ」の威勢のよい掛け声と共に締め込み姿の勇ましい男たちが、勢い水を浴びながら、『舁き山笠』を担いで博多の街を駆け抜けていく。
博多祇園山笠は、ユネスコ無形文化遺産であり、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

 

 

博多どんたく、放生会と共に博多三大祭の一つに数えられる博多祇園山笠は、博多総鎮守である櫛田神社に祭られている須佐之男命(祇園宮)に奉納される神事として、800年近い歴史と伝統を持つ。
毎年7月に入ると、博多の街は山笠一色となり、例年300万人(主催者発表)もの観光客が、博多祇園山笠の見物に訪れる。

 

 

【秋】五穀豊穣に感謝する、日本三大くんちの一つである『博多おくんち』

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博多おくんちでの神輿行列(画像提供:櫛田神社)

10月を迎えると、櫛田神社の秋季例祭として執り行われるのが、『博多おくんち』だ。
牛車にひかれる神輿行列をはじめ、ブラスバンドや児子行列などによる豪華絢爛な祭り行列は、博多に秋の訪れを告げる風物詩の一つとなっている。

『おくんち』とは、九州北部において、収穫に感謝して奉納される秋祭りだ。
語源については、平安期の宮中行事で旧暦の99日に執り行われていた重陽の節句に由来し、『御九日(おくんち)』という呼び名になったという説が有力だ。
博多おくんちは、長崎くんち、唐津くんちと共に日本三大くんちに数えられている。

 

 

【冬】節分の『おたふく面』設置の発祥社であり、日本一の大きさを誇る

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2月の節分の日、地元・博多の知名士らによる豆まきが行われる櫛田神社では、3つの門にそれぞれに『おたふく面』を設置して飾られる。
このうち、参道正面のおたふく面は、高さ5メートル×幅5.3メートルという日本一の大きさだ。

 

 

おたふく面の由来は、〝博多のアイディアマン〟と呼ばれていた西日本新聞出身の田中諭吉氏が、『大おたふく面の福くぐり』を櫛田神社に提案して1961年2月から始まった
その後、おたふく面は、福岡県内をはじめ各地の神社で設置されるようになった。

 

 

櫛田神社を巡る意外な〝謎〟10選

博多総鎮守として、福岡・博多の地に1267年も鎮座する櫛田神社には、意外なコトや知っているようで知らないモノも数多くある。
これらの櫛田神社を巡る意外な〝謎〟やトリビアについて、櫛田神社の髙山定史権禰宜に尋ねてみた。

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櫛田神社の髙山定史権禰宜

 

【謎01】なぜ、櫛田神社は古来、博多総鎮守とされているのか

【髙山】松阪の櫛田神社を勧請した祭神である大幡主命(櫛田宮)は、かつて越の国(北陸)の賊徒である阿彦を討伐した強い武神です。
そして、海を介して大陸や半島と接する博多は古来、外寇の恐れもあり、博多を守る祭神として勧請されました。
このような経緯もあり、櫛田神社は創建以来、博多総鎮守として博多の地を守り続けています。

 

 

【謎02】博多どんたくで松囃子の一行が櫛田神社から出発する理由とは

【髙山】松囃子の本体である福神・恵比須神・大黒天の三福神に由来する福神流、恵比須神流、大黒天流の人たちにとっての氏神様は、櫛田神社です。
博多松囃子では江戸時代、氏子らが櫛田神社に集まり、道中の安全を祈願して、藩主表敬へ出掛けました。
博多どんたく港まつり自体は、櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子の一行は櫛田神社から出発することをしきたりにしています。

 

 

【謎03】なぜ、櫛田神社には一年中、飾り山が常設されているのか

【髙山】7月1日から開幕する博多祇園山笠は、博多部を中心に計13の飾り山が公開されています。
博多祇園山笠を大例祭とする櫛田神社の飾り山は、番外扱いとなっており、715日に取り壊すことなく、通年で公開されています。
櫛田神社の飾り山も毎年6月初旬~下旬に作り替えられますが、公開日は630日です。
他の飾り山よりも公開日が1日早い理由としては、7月1日に各飾り山へ出掛けて御神入祭を執り行うため、前日の630日に祭を行って公開しています。

 

 

【謎04】承天寺を開祖した聖一国師の山笠が櫛田神社の神事になったのはナゼ

【髙山】聖一国師が1241(仁治2)、疫病除去のために施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたことが、博多祇園山笠の始まりとされています。
その後、櫛田神社に祭られて、厄除開運や除災招福のご利益のある素盞嗚大神(祇園大神)に奉じる祇園祭となりました。かつての日本は神仏習合でした。
承天寺を開山した聖一国師が山笠を始めた後、櫛田神社の神事になったことも当時の人々にとって自然なこととして、受け止められていたのではないでしょうか。

 

 

【謎05】博多祇園山笠の清道が承天寺や東長寺にもあるのはナゼ

【髙山】追い山笠の清道が櫛田神社の境内に加えて、承天寺前にある理由は、博多祇園山笠を始めた聖一国師が創建した寺院だからです。
一方、東長寺前に清道がある理由は、寺請制度を設けていた江戸時代は神仏習合の時代でもあり、櫛田神社は東長寺にお世話になっていました
このため、博多祇園山笠の追い山笠の清道は、櫛田神社の境内と共に承天寺前や東長寺前にもあります。

 

 

【謎06】毎年9月4日に美容関係者が櫛田神社に集まって奉納するのはナゼ

【髙山】櫛田神社では毎年、『くしの日』の94日、福岡県美容生活衛生同業組合が約400本の不用になったくしを神前に供えて玉串を捧げての『櫛の感謝祭』を執り行っています。
櫛田神社が勧請した伊勢国松阪の櫛田神社によると、第11代垂仁天皇25(紀元前5)倭姫命が田の中にくしを落し、大幡主命(櫛田宮)が拾い上げたそうです。
倭姫命は当地を櫛田と名付け、櫛田の社を定められたと伝わっています。

 

 

【謎07】毎秋、日本酒関係者や焼酎関係者が集まって来て奉納するのはナゼ

【髙山】酒造りを始める『日本酒の日』である101日、福岡県酒造組合(会長:江崎俊介・菊美人酒造株式会社代表取締役)は毎年、『福酒奉納祭』を執り行われています。
その1カ月後となる111日は『本格焼酎の日』であり、『SHOCHU(焼酎)プロジェクト』(代表:坂口光一・九州大名誉教授)が祈願祭を奉納されています。
櫛田神社には、お酒の神様を祭る『松尾社』が境内社として鎮座しており、日本酒の奉納祭、焼酎の祈願祭が毎年、執り行われています。

 

 

【謎08】櫛田神社の本殿内に大きな天狗面が複数祭ってあるのは、ナゼなのか

【髙山】天狗面については、山伏信仰とも関連しており、法力を持った天狗が、天照大御神(大神宮)、大幡主命(櫛田宮)、須佐之男命(祇園宮)の三神を守っているとされます。
櫛田神社の天狗面には、赤い面の火王と青い面の水王があります。
両者は、寺社の入口や本殿の左右一対で置かれている狛犬と同様に右側に口を開けている「阿形」、左側に口を閉じている「吽形」という「阿吽」の関係になっています。

 

 

【謎09】福岡市博多区祇園町の地名が、櫛田神社の神様に由来するのは本当か


【髙山】櫛田神社の南側一帯は黒田長政公の筑前入国時、瓦町と呼ばれて播磨から連れて来た瓦職人、そして鷹匠らが住んでいました。
元禄年間以降、櫛田神社の祭神である須佐之男命の別名・祇園宮に因み、『祇園町』と呼ばれるようになったそうです。
福岡市による1966(昭和41)の住居表示では、瓦町に加えて上祇園町や下祇園町、馬場新町、矢倉門町、社家町、大字犬飼、大字春吉などを統合して、現在の『祇園町』になりました。

 

 

【謎10】なぜ、櫛田神社では、櫛名田姫が祭神になっていないのか


【髙山】須佐之男命の夫人である櫛名田姫は稲田の神として信仰されており、富山県射水市の櫛田神社や佐賀県神埼市の櫛田宮では、祭神として祭られています。
一方、櫛田神社が招請した伊勢国松坂の櫛田神社では。櫛名田姫を祭神として祭られておりませんでした
このため、私ども櫛田神社においては、天照大御神(大神宮)、大幡主命(櫛田宮)、須佐之男命(祇園宮)の三神を祭神として、お祭りしております。

 

 

櫛田神社の見どころフォトガイド

【 博多歴史館 】
櫛田神社には、日本最初の図書館とされる『櫛田文庫』があり、当時の書物が保管されている。櫛田神社が所有する社宝のうち、歴史的・民族資料的に価値の高いものを展示する。

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【 櫛田のぎなん 】
樹齢千年とも言われており、長寿延命のシンボルとされている御神木だ。博多祝い唄においても「さても見事な櫛田のぎなん」と唄われている。

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【 干支恵方盤 】
干支恵方盤は、楼門の天井に吊り下げられており、毎年大晦日に新年の恵方に矢印を回転させる。なお、楼門の額「威稜」は「いつ」と読み、天皇の威光を示している。

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【 博多備荒米の碑 】
博多では1778(安永7)、災害に備えて地元有志による用心米制度『博多義倉』を設けられた。その経緯もあり、記念碑が櫛田神社の境内に設置されている。

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【 博多風神雷神 】
櫛田神社の拝殿に設けた破風の左右には、風神雷神の木彫りを掲げられている。雷神に対して、風神がアッカンベェをしながら逃げていく様子はユーモラスだ。

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【 霊泉鶴の井戸 】
本殿地下から湧き出る霊泉は古来、不老長寿水として信仰されている。

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【 博多べい 】
太閤町割で復興した市街には、焼け石や焼け瓦を塗り込めた『博多ベい』があった。櫛田神社の境内には、博多三傑の一人である嶋井宗室の屋敷にあった築380年の塀が移築されている。

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【 力  石 】
櫛田神社では昔、卯日相撲が行われており、多くの力士が、力自慢として持ち上げた石を奉納していた。近年の大相撲の有名力士らも力石を奉納している。

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【 夫婦ぎなん 】
一つの幹から伸びる雄株と雌株が、夫婦のように寄り添ってみえる樹齢300年超のいちょうの木があり、『夫婦ぎなん』と呼ばれている。毎秋、ぎんなんの実を払い落として、夫婦円満などを祈願する『ぎなん落とし』が行われている。

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参照サイト

博多祇園山笠公式サイト『櫛田神社』
https://www.hakatayamakasa.com/61866.html

 

博多の魅力『櫛田神社』
 https://hakatanomiryoku.com/spot/%E6%AB%9B%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

fukuwalkerの福岡散歩『櫛田神社名物「大お多福面」の由来~飾られるのはいつからいつまで』
https://fukuocar.com/daiotafuku/

 

松坂観光協会『櫛田神社』
https://www.matsusaka-kanko.com/information/2017/01/06/%E6%AB%9B%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

 

 

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編集者兼ライター
近藤 益弘
1966年、八女市生まれ。福大卒。地域経済誌『ふくおか経済』を経て、ビジネス情報誌『フォー・ネット』編集・発行のフォーネット社設立に参画。その後、ビジネス誌『東経ビジネス』、パブリック・アクセス誌『フォーラム福岡』の編集・制作に携わる。現在、『ふくおか人物図鑑』サイトを開設・運営する。

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