資金調達だけじゃない、クラウドファンディング

アーティストの目線でまちの文化遺産が進化する。お湯はないけど温かい「大學湯」プロジェクト

「裸のつきあい」という言葉がありますが、江戸時代から親しまれてきた銭湯はまさに庶民の社交場。かつては福岡で数多く営業していたそうですが、家庭用風呂の普及などで利用者が徐々に減少。経営者の高齢化や後継者不足という事情も重なり、残念ながら廃業を選ぶ銭湯も多いと聞きます。 その一方で、歴史ある銭湯の建物を違う形で生かしたいという動きも全国で巻き起こっています。福岡市東区箱崎で戦前から営業していた「大學湯」もその一つ。銭湯としての役割は2012年に終えましたが、2018年に入り再生に向けた活動がスタート。プロジェクトの概要をお聞きする前に、まずは湯を沸かすほど熱い「大學湯」への想いについてお話をお聞きしましょう。

地域の住民の親しまれた銭湯の“いま”

かつては全国でも2万3,000店(※)を超える公衆浴場があり、昔ながらのコミュニティを築いてきました。けれども、家庭用風呂の普及や燃料費の高騰に加えて経営者の高齢化や後継者不足が深刻化。残念ながら廃業を選ぶ銭湯も多く、ここ最近では約3,000店(※2)にまで減少。福岡市内でも12店(※3)しか残っていない状況です。

まちの歴史を伝える公衆浴場を新たな形で再生したい

そんな中、銭湯跡地の活用はすでに全国各地で進められています。例えば、味わいのある内装をそのままに生かしたカフェや食堂は、写真映えするレトロなスポットとして若い世代にも大人気。福岡市でも、吉塚の「若桜湯」跡地にユニークなミャンマー料理レストランが登場して話題となっています。
今回取材した福岡市東区箱崎の「大學湯」プロジェクトもその一つ。こちらは地域の暮らしに寄り添う公衆浴場としての側面を生かした活用を目指しているそうですよ。

大學湯とは?

1932年(昭和7年)に創業した銭湯「大學湯」。場所は福岡市東区箱崎、九州大学・箱崎キャンパス(2018年に移転)のほど近く。「大學湯」という名前からも想像に難くないですよね。

創業当時は、家にお風呂がないのも当たり前。戦前戦中戦後を通じ、人々の疲れを癒やし、まさに“憩いの場”として親しまれましたが、生活の変化とともに次第に利用客が減少。2012年に惜しまれながらもその歴史に幕を下ろしました。


「大學湯」の看板。廃業後は一度外されたが、プロジェクトが決まってから士気を上げるために再び設置された

この跡地を活用するプロジェクトの中心となったのは、「大學湯」創業者のお孫さんにあたる一般社団法人DGY代表理事の石田健さんとアーティスト・銀ソーダさん。銀ソーダさんは生まれも育ちも箱崎で、親子三代で「大學湯」の常連さん。地元のために創作活動をしたいと参加したそうです。


番台や靴箱など、内観は営業時のまま残されている

ーノスタルジックな銭湯の空気感を残すだけでも価値があると思うのですが、営業を続けるという選択肢はなかったのですか?

石田さん

銭湯の仕事はかなりの肉体労働です。祖母の跡を継いで頑張ってくれた叔母も高齢になったので続けることは難しくて。
でも、銭湯には一般的な家屋にはない建築技法が使われていて、文化的な価値も高いんですよ。それに、ここではお客さん同士のコミュニティも生まれてきた。建物を補修して何かに利用することで、こうした銭湯の公共性を発揮できないかと考えたんですよ。


普段は東京在住の石田さん。学生時代に誰もいない浴場でギターを弾きながら歌うのが楽しみだったそう

ーなるほど。銭湯跡の活用について、方向性が決まったのはいつ頃ですか?

石田さん

本格的に動き出したのは2018年ですね。最初に建物活用の専門家に話を聞きに行ったんです。そうしたら、不動産の物件サイト「家いちば」の藤木哲也さんと「福岡R不動産」の長谷川繁さん、箱崎地域の町おこしに携わる「ハコと場をつくる株式会社SAITO」の斎藤昌平さんが背中を押してくださって。
2018 年 12 月に新しい「大學湯」を考えるイベント 「大學湯びらき」が、福岡R不動産さんとSAITOさんとの企画共催で開催されました


「大學湯びらき」の様子。この時寄せられたエールは、今も石田さんの原動力となっている

イベントではたくさんの「大學湯」ファンが集まったそうですね。銀ソーダさんも「大學湯びらき」がきっかけで参加されたとか。新たな活用法を探るには、アーティストである銀ソーダさんの視点もヒントになったのでは?

石田さん

そうなんです。そもそも、銀ソーダさんの作品テーマは「記憶と時間」。そこには「大學湯」での思い出も入っているそうなので、イメージにもぴったりでしょう。この場所をアトリエとして使ってもらいながら、いろいろとご協力していただきました。

銀ソーダさん

これからの使い方を考えるなら、アーティストの力が必要なんじゃないかなと思うんです。いろんな角度から物を見て表現する人が加わることで、新しい化学反応が起きていくんじゃないかって。だから、もっと他のアーティストさん達も巻き込もうとさまざまなイベントを企画しました。

石田さん

写真展やアロマボトルランプの展示会、お化け屋敷なんかもやりました。使われる方のセンスでいろんな展開ができるなと改めて感じましたね。


「大學湯びらき」をきっかけに石田さんと知り合い、たびたび「大學湯」で個展を開催している銀ソーダさん

「大學湯」ファンを増やして補修工事の資金調達をクリア

再活用の方向性は見えてきたものの、その前に大きな問題が持ち上がりました。1932年に建てられた「大學湯」は、石田さん達が考えていたよりも老朽化が進み、その修復にはかなりの金額が必要となったのです。その費用を捻出するためにも、まずは一般社団法人DGYを設立し、クラウドファンディングに挑戦することに。


修繕費用を確保するためクラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」に参加。最終日前日まではあと一歩の金額だったが、当日に多くの人が駆け込みで参加し、見事達成された

こういった事業は初めてだったそうですね。苦労したことはありますか?

石田さん

やはり資金調達ですね。個人資産や融資にも限界があり、⻄日本シティ銀行さんを通じて、CAMPFIREのクラウドファンディングに参加したんです

※フクリパでも紹介した西日本シティ銀行さんのクラウドファンディング

銀ソーダさん

クラウドファンディングの目標達成額を600万円に設定したのですが、まずは300万の壁があるそうです。300万円までは頑張ればなんとか集まるけど、それ以上は厳しいと言われました。でもプロジェクトメンバーが弱気になったら集まるわけない。絶対達成するぞと、あの手この手でできることを全部やりました

活動報告をこまめに掲載して、普段はあまりしない自分のグッズを作ってリターンに加えて。この建物は直接見ていただいたほうが絶対に響くので、クラウドファンディング中に企画展示も2回開催しました。常にやる気の姿勢を示して、支援者の人に伝えようと思って。

石田さん

私が弱音を吐いたら銀ソーダさんに叱られましたもんね(笑)。でも、建物的にもまさにギリギリのタイミングだったんです。クラウドファンディングの後、大工さんに見てもらったら天井の梁が腐っていて、あと少し遅ければこのまま崩れ落ちていたかもしれない。建物の保存を決めてから、まさに神がかり的な偶然が続いています

皆さんの熱い気持ちが達成を招いたんですね。「大學湯」の着工前まで銀ソーダさんはアトリエとして使っていらっしゃいましたが、制作にも影響があったのでしょうか?

銀ソーダさん

そうですね。小さい頃はこのタイルの上に流れるお湯を見るのが好きだったので、そういう原風景が作品にも反映されているかな。それに、私だけではなく、今まで愛してくれた方の記憶や時間がこの場所にはたくさん詰まっているんですよ。だから、ここにいるとアイデアが湧いてくる気がします。皆さんにとってもそんな場所であって欲しいと思いますね。

箱崎情緒を残した空間で生まれる新しい文化とコミュニケーション


「大學湯」で仕上げたという絵画のタイトルは「passing point(=通過点)」。銭湯に残る記憶とこれからの「大學湯」への期待も込めた

ー改修後の「大學湯」はどんなふうに使われるのでしょう?DGYでイベントなどを企画されるのですか?

石田さん

現実的に維持費用も必要なので、改修後はレンタルスペースとして貸し出してその収益をあてたいと思います。使ってくれる人がいないと、ただのハコになっちゃいますからね。天然のリバーブが効いているから音楽ライブもいいですし、落語家さんを呼んで番台で寄席をやるのもおもしろいでしょうね。

銀ソーダさん

運営を継続することが大切ですよね。組織に所属してメインで運営をしていく経験は初めてだったので葛藤はありましたが、色々なことに挑戦してポジティブに楽しみながら取り組みたいと思いました。それに、個展をきっかけにメディアで取り上げていただいたり、銭湯を経営されている方からエールを送られたり、今までにいろんな“点”が集まっています。それが“線”になり、これからの「大學湯」につながっていく気がしてなりません。

石田さん

そうそう。この活動を通していろいろな方に出会う中で、自分の思い出だけではなく、地域のコミュニティを支えてきた文化遺産として「大學湯」を残していかなければという使命も芽生えてきました

銀ソーダさん

もともと銭湯はコミュニケーションが生まれる場所ですもんね。人と触れ合う喜びや温かい気持ち、そこから起こるさまざまな化学反応って、今の世の中にも必要なものだと思うんです。これからも、いろんな企画を通じて「大學湯」の魅力を発信できたらと思います。


「私にとっての「大學湯」は祖母そのものだったのですが、今は「大學湯」=銀ソーダさんになりました(笑)」と語る石田さん

現在、「大學湯」の浴室には工事のための足場が組まれ、床はビニールシートで隠されています。それでも、きちんと手入れされた備品や番台を見ると、どれだけの愛情を注がれてきたかわかります。そして、その中心に飾られた銀ソーダさんの作品が空間に瑞々しい息吹を吹き込んでいるかのよう。
利用者それぞれの視点で多彩な使い方ができる「大學湯」は、まちの文化の担い手として新たな思い出を描いてくれるに違いありません。
10月10日の銭湯の日には、お披露目イベントを開催予定。アップデートされた銭湯文化をぜひ体験してはいかがでしょう。
 
 大學湯
1932年に創業した公衆浴場(銭湯)。内部には男湯と女湯があり、銭湯独自の建築様式を残す。創業者の石井フミさんから娘の博子さんに経営を受け継ぎ、2012年まで営業。現在は、建物全体の改修工事中で、補修後にお披露目イベントを開催予定。詳しい内容はSNSなどをご参照ください。
Instagram/Facebook


 
銀ソーダ
箱崎出身のアーティスト。「記憶と時間」をテーマに温もりのあるブルーで描く抽象絵画がさまざまな方面で注目され、ワインのラベルなどにも採用されている。「大學湯」保存プロジェクトのリターンで登場したアートブックやトートバッグなどのグッズも反響を呼んだ。「大學湯」は小学校を卒業するまで親子3代で通い、経営者だった石井博子さんや近所の常連とも仲良し。現在は個展を開催しながら、「大學湯」の管理、情報発信などを担当している。
銀ソーダ YouTubeチャンネル

(※厚生労働省・一般公衆浴場より)
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/seikatsu-eisei/seikatsu-eisei22/dl/h19/yokujou_housaku.pdf
(※2厚生労働省・令和元年度衛生行政報告例より)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/19/dl/kekka3.pdf
(※3 福岡県公衆浴場生活衛生同業組合サイトより)
https://fukuoka1010.com/list-fukuoka/

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ライター
大内 理加
壱岐出身。福岡市内の編集制作会社を経てライターとして独立。現在は、福岡のweb、紙媒体を中心に食、カルチャー、地域活性など、ジャンルを問わずに執筆しています。趣味は、街ぶらと1人旅。妖怪と忍者、サメ・ワニ映画などのワードに飛びつく癖がありますが、話し出すと大体苦笑いに終わります。

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