ここ数年、ビジネス界隈では「脱成長」という話がよくでてきています。地球環境に与える影響が大きすぎるから「脱成長」をめざそうという動きや、今の「利益最大化」を目指す世の中は必ずしも幸福をもたらすわけではないという視点などです。
今回は、最近ビジネス界隈で話題の脱成長や脱GDPの話を俯瞰しつつ、歴史的な流れや実際の世の中の動き、個人でできることや実践した結果を主観でまとめます。
❏ 脱成長はいまどうなっているのか?
「脱成長」とは、経済を成長させることを優先する考えを改め、持続可能な社会を目指す考え方です。最近、またこのワードをよく目にするようになりました。日本のビジネス界隈でとりあげられるきっかけになったのが、2021年に出版された経済思想家の斎藤幸平さんの著書『人新世の「資本論」』(※)です。今や50万部のベストセラーとなるほど話題となりました。
要は、人の経済活動が地球に与える影響があまりに大きい「人新世」の時代だからこそ、経済成長に重きを置きすぎるのを改めようという話です。
出典:『人新世の「資本論」』
グラフにもあるように経済成長が地球に大きな影響を与えているからこそ『経済成長を諦め、脱成長を気候変動対策の本命として真剣に検討するしかない。』といった内容です。
2024年になる現在でも「脱成長」というワードは、度々メディアで取り上げられているほど広まってきています。もっというとZ世代と呼ばれる若者を中心に、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんの「フライデー・フォー・フューチャー」のような地球の未来を守る動きも高まっているなど、広い年齢層に地球のことを考えるトレンドができています。
❏ 脱成長のために個人は何をすべきなのか?
たしかに、環境破壊は止めなければならないものの、脱成長が本当に実現できるかと言われれば疑問が残ります。
著書では実現させる方法として『第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。』と述べられています。
要は、脱成長するために個人ができるキーワードは「助け合い」なのだと理解しました。「みんなの海や川、必要な電気や住む場所を、必要な分共有したほうがいいよね」という具合です。さらに「富を持っている人はもっとみんなで分けよう」という富の再分配で格差を是正する話も書かれています。
たしかに、田舎へいくと「助け合い」で成り立っていることが多々あります。とれすぎた野菜をお隣さんで分け合ったり、山からでる湧き水を無料で汲めたりと共有できている部分はあります。
実際、僕自身も2020年に『都市と離島の二拠点暮らしを始めた3つの理由』
https://fukuoka-leapup.jp/city/202008.106
の記事で書かせてもらったように田舎の島で暮らしながら「必要最低限のモノで暮らす」をテーマに滞在しました。
最近では『【事例つき!】日本の空き地がヤバい!誰も使わなくなった田んぼの土地を活用したさつまいもビジネス』
https://fukuoka-leapup.jp/biz/202302.1111
の記事でも紹介したような「さつまいも」を栽培しつつ、採れた芋をご近所さんやお世話になっている人に配っています。
また『SDGsって意味ある?福岡でゼロウェイスト生活に暮らすために実践した4つのこと』
https://fukuoka-leapup.jp/biz/202204.497
の記事では「流行りのSDGsをやってみる」話をまとめ、個人ができることを試してみました。
ある種のコミュニズムというシェアする考えを試した例でもあります。ただ、人が少ない田舎で暮らすとシェアできる反面、生活への干渉や他所から来たものに対する排除や嫉妬を感じるなど良い面も悪い面もありました。
「みんなで地球を守ろう」というピュアな理想はわかるものの、一方で世の中はそう上手くは回らないからこそ今も問題を抱えたままであるとも言えます。心優しき人もいれば、そうでない人もいるからこそ、この議論は歴史的に何度も繰り返されているわけです。
❏ 50年前はどうだったのか?
1973年に出版され世界に影響を与えた著書『スモール・イズ・ビューティフル』https://amzn.to/3GPqleX
では、今の「脱成長」や「地球保全」と似た当時の動きが書かれています。著者のドイツ人経済学者のエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーは、「地球」という資本を無尽蔵に使い倒している50年前の当時をこのように述べました。
『資源の保全にまったく注意を払っていない。消費量は減るどころか増えているし、生産方法や生活様式の改善・変革の道を模索する──それによって猛スピードで進んでいる破局への道から逃れられる──気などさらさらなく、今まで来た道を進めば無限の進歩があるといい、嬉々として論じるさまなのである』。
1970年代当時、世の中は資本主義によって豊かになったという見方が一般的でした。特に日本は戦後25年が経ち、毎年の経済成長率が10%前後の高度経済成長時代でした。
「自然という資本」が無限ではないからこそ、環境資本を守ろうと訴えた内容です。『その仕事はだれがやるのだろうか。それは、年齢、財産に関係なく、権力や影響力のあるなしを問わず、われわれ一人ひとりである。』といわれているように、個々の行動が改善につながると書かれていました。
50年経った今、スモール・イズ・ビューティフルで語られた「環境問題への懸念」は、今の「脱成長」の議論と似た動きになっています。ただ、いつの時代も議論はなされるものの、抜本的な改善にはいたっていません。
❏ 人生における利益最大主義への疑問
今の資本主義のまま成長を求め続ける未来もなんだか違う気もします。最近では、脱成長の動きが環境問題以外でも語られるようになりました。例えば、「自己実現」という人生の幸福度を考える角度から資本主義を疑問に思う人もいます。
アメリカのクラウドファンディング大手「キックスケーター」の創業者であるヤンシー・ストリックラーさんの著書 『2050年ぼくらのマニュフェスト』(※)では、現代のお金を稼ぐことが称賛されている世の中を『利益最大化主義』と述べています。
『現在の世界にはびこる考えを僕は「利益最大化」主義と呼んでいる。何かを決めるとき、もっともお金の稼げる選択肢が正しい選択という考えだ』。
この「利益最大化主義」を著者は否定しています。社会は「お金を稼ぐこと」や「利益を上げること」に重きを置きすぎているという話です。
『お金は大事だ。でも僕らが守り、育てていくべき唯一の価値形態というわけでもない。』と述べられているように、お金は大切だが、最も重要な価値観として囚われすぎていると指摘しています。
地球環境を守るという文脈の脱成長しかり、お金以外の大切なことを守るという文脈しかり、成長重視な視点を俯瞰するのは新たな思考ができて面白いです。
❏ 利益最大化は何を目指せばいいのか?
僕自身、20代前半は成長思考で利益最大化させるために働きました。 結果、20代で一生食べていけるくらいのお金をつくりました。
『20代からアーリーリタイアする時代へ。サイドFIREして生きるために働くことをやめる方法は、脱お金計画!』
https://fukuoka-leapup.jp/biz/202106.252
の記事で書かせてもらったように「お金に囚われすぎず、もっと自己実現を目指す生き方」を書きました。数年がたった今、実際、あの頃から生活はほとんど変わっていません。毎日暇なほど何もしていない時期もありましたが、今ではむしろ毎日忙しくやりたいことを追求しています。
結果として「お金のために働く」から「やりたいことのために働く」という思考にシフトできたのは幸福度を高めてくれました。
旅先での様子
さらに福岡での生活はいい意味で他人と比べることが少なくなるので暮らしやすいです。野心家が集まる東京と違い、ときの流れがゆったりしています。高級ブランド服で身を包む人も少ないし、数千万円する外車を乗り回す羽振りのいい人もあまり出会うこともありません。福岡は、東京で感じるような周りと比べてしまう嫉妬心が芽生えづらいのも良さのひとつです。
利益最大化を目指す生き方も何もしない生活も両方試した結果、今は資本を拡大させるよりも自己実現を優先する生き方を選んでいます。
❏ 世の中は日々変化している
脱成長は、一見、正論にも見えますが、「世界」の動きを簡単には止められるモノではありません。一人ひとりが同じ方向で地球を守るような動きができれば別ですが、50年以上前から議論されているにも関わらず改善されていない時点で難しいという見方ができます。
一方で、いまの資本主義の枠組みに疑問を持つ動きが高まっているのも事実です。利益最大主義を否定するように個人幸福を高める自己実現を目指してもいいという動きも生まれています。
都会では見ることのできない絶景
どの動きにも一長一短があるからこそ、今、目の前にあることを分散させながら選択するのがいいです。「世界」のための思考と「個人」のための思案を分散させながら試行錯誤するのがポイントです。
何が正しい、何が間違っているかは、行動し続けた結果として俯瞰できるときがくるのだろうと思います。これからの時代は新資本主義なのか、新自由主義なのか、新社会主義なのか、どんな時代になろうとできることを俯瞰しつつ、目の前のことを楽しめる生き方を思考するのがよさそうです。