福岡のコーヒーと酒とジャズのはざま #04

第四幕 My Favorite Things 私のお気に入り、、、なんてもんじゃない 『古美術 支那海』

FBS「めんたいワイド」やTNC「CUBE」など、福岡ローカルでひっぱりだこのコメンテーター・林田暢明さんの新連載!テーマは「福岡のコーヒーと酒とジャズのはざま」。コロナの状況に左右されて、なかなか楽しめない喫茶ライフですが、生きる余白を求めてコーヒーにお酒にジャズにと、街へくりだしてみませんか?

 相変わらず締切が守れなくて鬼編集長に絞られている林田です。
 それもね。ずぶ濡れの雑巾をジャーっと絞って水が滴り落ちてくるわけじゃないんです。もうね、乾いた雑巾を絞りに絞って、ようやく命の一滴が落ちてくる、みたいなやり取り(そこまで追い込まれているのは、完全に自分の遅筆のせいなのですが)。
 
 さて、ルーティンの言い訳が終わったところでジャズ(らしき)コラムなのであります。何を隠そう、ジャズといえばですね、実は現代のコンプライアンスからするとおよそお話にもならないというか。これまでは、何と言いますか、ジャズと自由の変遷と言いますか、高尚な部分に日を当ててきた感もあるのですが、裏を返すと、語弊を怖れずに言い切れば、酒と女とタバコとドラッグが横行する世界なのであります。
 
 ジャズの帝王、マイルス・ディヴィスもボサノヴァの創始者アントニオ・カルロス・ジョビンもドラッグとの距離感が保てずに何度か失脚しておりますし、ブルースからロックを生み出したとされるロバート・ジョンソンは女遊びが激しすぎて愛人に毒殺されたり、バードことチャーリー・パーカーに至ってはテレビのお笑い番組か何かを見ていて大笑いした拍子に心臓麻痺で死ぬ、という超絶怒涛のハードな人生を歩んでいるのであります。


永田氏が営む「古美術 支那海」

古美術 支那海

■TEL:092-512-7519
■住:福岡県福岡市南区塩原3丁目20-18
■営:10:00-18:00(不定休、コロナの影響により営業時間が変更されているため、電話予約して訪問がオススメ)

犬養毅、孫文と福岡がつながる、永田家のジャジーな物語

 今回、取り上げるのは、そんなハードジャズな人生の物語。かつて、福岡市中央区にある西公園の丘に、政財界の大物から文化人まで多くの著名人が集う料亭があったといいます。その名も「可楽庵」。一説によれば犬養木堂が建てたというこの料理屋の跡地で、本稿の主人公である永田 重臣 氏が古美術商を営むに至るまでとそれから、今回は、そんな物語なのであります(なんのこっちゃ)
 
※ 一応、ジャズ(らしき)コラムです。
 
 犬養木堂というと耳慣れませんが、犬養毅と書き換えれば皆さん、歴史の教科書で一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。5・15事件で暗殺された悲劇の大宰相。「話せばわかる」のあのお方。後に尾崎 咢堂(がくどう)と並び称されて「憲政の二堂」と謳われる人物です。尾崎咢堂も聞き慣れないかもしれませんが、後に「憲政の神様」と異名をとった尾崎行雄のことです。尾崎のことは置いておいて、犬養毅は中国辛亥革命の英雄、孫文を支援していました。曾子関係から福岡に本拠を置いていた玄洋社、頭山満等と親交があったことから、福岡に別宅があったとしてもおかしくはありません。


「林田的“頭山満”考 」もあわせてどうぞ

 閑話休題(それはさておき)、現在は大橋にある「古美術 支那海」を営む永田 重臣さんの人生は激烈です。元々は、柳川藩立花家の御殿医を勤めてきた家系で、親も祖父も医者という家系。祖父の実家は広大すぎて管理が難しく、いまは柳川市に貸与して維持しているという。名家といって差し支えはないでしょう。
 
 永田氏の祖父は熊本が産んだ明治の怪人、宮崎滔天の弟子で、孫文に革命のための資金を提供していたパトロンだったらしく、当時、孫文の支援に費やした資金の原資は、どうやら借金であったらしい。一時期は、永田家に孫文を匿っていたこともあるといいます。それらの借金は同じく医師であった母親が病院を経営しながらせっせと返済し、永田氏が高校生くらいになる頃にようやく完済したとのことで、この一時からしても永田少年にすでに亡き孫文が与えた影響は大なりと言えるでしょう。
 
 孫文はやはり一個の英雄で、孫文の借金話をすれば昨今のお笑い芸人のように「オレも貸していた」という話が面白いように出てくるのですが、孫文と芸人との違いは言うまでもなく、孫文は辛亥革命を達成して清という国を終わらせたことにあります。もちろん間接的にではありますが、現在の中華人民共和国、もしくは台湾政府(中華民国)があるのは、永田氏の祖父たちの努力の結実であると言えなくもないでしょう
 
 そんな中、やはり医者だったが寛容だった母親の下で、すくすくと成長した永田氏は、やがて京都の大学に進学し、そこで学生運動にのめり込みます。時は沖縄返還前夜ということであるから1972年前後か。流石に左旋回しすぎた永田氏をみて、両親は仕送りを止めます。昔の親の偉さというのは、ドラ息子が放蕩すると補給を止めてしまうことにあります。割と簡単に。


支那海 東こと永田重臣さん

ドラ息子のその後。お布団敷きから唐十郎へ

 引きこもれない、頭も下げられないドラ息子は無頼の道へと進まざるを得ません。シナリオ通りに生活に困窮した永田氏は、そこから住み込みで京都のストリップ劇場で働くことになります。その名も「デラックス東寺劇場」。当時、福岡でも500円かそこらで観劇できたストリップショーが、ここでは7,000円の木戸銭を取っていた、というからには、当然、見物に来る観客は富裕層なのであります。
 
 そのストリップショーで彼が与えられていた仕事は、照明と音響とお布団ショーの準備でした。照明と音響をショーの間じゅう一人でやらねばならなかったので、それはそれで苦労するのですが、ストリップの合間にお布団ショー(敷かれたお布団の上でショーが行われる)のためのお布団敷きを行うのも彼の重要な仕事でした(お布団ショーが何かについては自粛)。
 
 舞台の上にお布団を敷く、というただそれだけのことなのですが、何故だか永田氏が出ていってお布団を敷いていると、観客席から笑いが起こる。見た目や雰囲気もユーモラスな方だが、天性の人を惹きつける力が、この「お布団敷き」で開花しつつあったのかもしれません。
 
 ある日、いつものようにショーを終えると、何人かの男の集団が声をかけてきました。
 
 「君ねぇ、あのお布団敷きねぇ。あれはいい」
 「いま下鴨神社で舞台をやってるから、見においでよ」
 
 その声をかけた人こそが、唐十郎でした。
 
▼唐十郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E5%8D%81%E9%83%8E
 
 何人かの男の中には、横尾忠則など、見たことがあるような人がいたといいます。いったい、このおっさんは何を言ってるのか?とよく分からないままにも、永田青年は、とにかく誘われるままに下鴨神社に行ってみました。そこでは唐十郎が主催する劇団「状況劇場」が「吸血鬼」という舞台をやっていたのです
 
 「吸血鬼」に感銘を受けた永田氏は、「あのお布団敷きはいい」という唐十郎のその言葉だけに乗せられて、もらった名刺にある練馬の吉田の住所を頼りに上京します。東京にいけば「状況劇場」で舞台俳優の道をスタートできる、と淡い期待がありました。
 
 「おれは、俳優として生きていくのか、悪くない。」
 
 とにかく若者の特権というのは試行錯誤と挫折の自由なわけですけれども、その裏には常に希望が張り付いています。希望を持って唐十郎の元へと辿り着いたとき、永田氏に唐十郎はこう言ったといいます。
 
 「君、金はあるのか?」
 
 無一文に近い状態で、かつ仕送りも止められたまま、身一つで東京に乗り込んだ永田氏に、当然、金があるはずもありません。しかし状況劇場は当時、劇団員に演劇以外一切の芸能活動を認めておらず、個々人がそれぞれに食い扶持は稼いでこねばならなかったのです。
 
 「金なんか、あるわけないじゃないですか」
 
 そこで唐十郎が紹介してくれたのが土方巽(ひじかた たつみ)氏であった。
 

唐十郎から、土方巽。広がりが規格外

▼土方巽
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E5%B7%BD
 
 「とりあえず、この人のところに行ったら仕事を貰えるから訪ねるように」
 
 土方巽は、大野一雄とその勢力を二分する舞踏の第一人者である。なんだ、おれは舞踏で飯が食えるのか、と訪ねて行った先で土方が紹介してくれたのは、東北のキャバレー巡業でした。売れない歌手、ストリッパー、芸人(漫才師)たちと回る地方のキャバレー巡業。まさにどさ回りです。
 
 永田氏の出番はいつも漫才の後で、
 
 「この芸人が常に大滑りするので緊張した」
 
と言います。永田氏に割り当てられたネタは「金粉踊り」で、真っ裸になって全身に油を塗り、その上から金粉を塗して踊るというものでした。
 
 最初のステージで、金粉踊りをやるように指示された永田氏は、支配人に食ってかかります。
 
 「オレ、金粉踊りなんてやったことないっすよ」
 
 すると支配人は涼しい顔で
 
 「大丈夫、客は誰もお前の踊りなんか見にきてないんだから、適当に舞っとけ」
 
 初のステージ。真っ裸で金粉まみれの自分。しかも出番前の漫才は滑りに滑っている。身体はガタガタと震え、でもここまできたら、もうやるしかない。
 
 そうして一念発起して震えながら踊った舞台は、意外にも受けたのでした。
 
 「練習がどうとか、緊張がどうとかよりもね、笑われたり、とにかく客の反応があったらやり易いということを覚えたのよ」
 
と永田氏は朗らかに回想します。きっと唐十郎は、京都のストリップショーでお布団敷きをして受けている永田氏を見たときに、「こいつは金粉踊りの才能がある」と見出したのかもしれません。
 
 こうして紆余曲折を経て状況劇場に出入りする間に、フランス文学者の澁澤龍彦や作家の赤瀬川原平など、文化人との知己も得ることになります。金もなく、飯も食えないけれど、そこは確実に永田氏にとって演劇と人生の学校だったのでした。
 

「古美術商」との邂逅

 ある日、永田氏は、状況劇場の公演で訪れた福井の敦賀で、民家に佇む親父の横に無造作に置かれている5枚の皿を見つけます。その皿は、柳川の名家であった実家で
 
 「この皿だけは、何があっても手放してはいけない」
 
という言い伝えのあった皿と同じ物のように見えたのでした。おそらく古伊万里か何かのその皿を、敦賀で出会った親父は、まるで落語の話にあるかのように犬の餌でも入れるかの如く無造作に積み上げていたといいます。
 
 「オヤジ、この皿、5枚ともオヤジの?オレに売ってくんない?」
 
と頼み込むと、即座に二千円の値が付けられた。それをさらに千円に値切って東京に持ち帰ると、銀座の古美術商に数万円の価格で売り捌くことに成功します。幼少の砌(みぎり)から、古美術品に囲まれて育ってきた環境から、自然と目利きのセンスが身についていたのです。
 
 「これならば食っていける」
 
と古美術商で起業したのが横田基地近くにあるアメリカンハウス、1977年10月のことでした。ちなみに、2022年に45歳を迎える林田は1977年11月生まれですから、そういう時代感。高度成長とオイルショックとビートルズが同時に攻めてくるような世界。
 
 横田基地のアメリカンハウスには、大瀧詠一細野一臣など、状況劇場を通して出会ったいろんな人たちがやってきます。やがて福岡に戻り、自身でも劇団を主催しながら、俗世を生き延びる凌ぎとしての古美術商を開店します。それが冒頭にあった「可楽庵」。福岡に戻ってきたときは名義は祖父のもので、あまりにも立派な建物なのに遊ばせておくのは勿体ない、と西公園の一角で古美術とジャズのお店でした。


現在の店舗の様子

表の顔は「古美術 支那海」、しかしてその実態は「上海素麺工場 支那海 東」

 このお店は残念ながら諸事情があり手放してしまうことになるのですが、そこから春日の米軍ハウス、そして大橋の店舗へと移り、現在の旧米軍ハウス、こちらは上級将校向けのレストランであった建物に入って「古美術 支那海」を営んでいます。
 
 もちろん、この「古美術 支那海」はシャバの世界を渡っていくためのシノギでしかなく、永田氏の本性は「上海素麺工場」の支那海 東(しなかい あずま)という俳優業にこそあります。
 
▼上海素麺工場
http://www.kosho.ne.jp/~genyuudo/shanghai/ind_sha.htm
 
 なんというジャジーな人生。
 ちなみに好きなジャズの一曲は?という毎度お馴染みの問いに一番に上がってきたのが「Art Ensemble of Chicago」。さすがは現代アート、舞台芸術家の支那海 東の面目躍如な選曲なのですが、あまりにもジャズ上級編のフリージャズすぎるので、別の文脈でご推薦いただいた「スウェーデンより愛を込めて」をご紹介しておきたいと思います。
 
▼スウェーデンより愛を込めて by アート・ファーマー

 
 ちなみに、主催されている劇団「上海素麺工場」は、何を隠そうトラフィックの「Shanghai Noodle Factory」からの引用だということで、実は70年代ブリティッシュ・ロックが花開いている感じなのは絶対に内緒にしておいてください。
 
 今回、原稿を執筆するに当たり、永田氏の発言の中で、一番、琴線に触れた一言が、
 
若いうちは誰でも光る。それを維持させ続けるのが難しい。社会からはぐれていないといけないから。
 
というものでした。たしかに。社会からはぐれたものだけが光るのかもしれない。光り続けることと、はぐれ続けることが同義だとしたら、それこそが自由のあり方だし、ジャズの精神そのものではないかッ!と感銘した後に、永田氏は止めの一撃をぼくに喰らわすのでした。
 
「林田くん。警察にパクられるとね。宣伝になって客が増えるんだよ」
 
 ンもう、かなわないなぁ。
 

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カフェ&バー TAO オーナー、総務省地域力創造アドバイザー
林田暢明
清川にあるカフェ&バー TAOオーナー。日本銀行、政策シンクタンクを経て総務省地域力創造アドバイザー。プロジェクトマネジメント、ファシリテーションを活用した地域活性化の活動に従事し、北九州市立大学ビジネススクールで特任教授として教鞭を執る。近年はFBS「めんたいワイド(木曜レギュラー)」、TNC「CUBE」でコメンテーターを務めている。12月14日に初の著書「ねころん語」を出版。

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