天神ビッグバンが進む福岡のまちの見方

100年ぶりの大いなる祭り~それが“天神ビッグバン”だ!~

続々とビルが建ち、なんだか変化しつつあるような天神や博多の街。「天神ビッグバン」「博多コネクティッド」と、その名前は聞いたことがあるものの、結局どんな風に変わっていくのか、そもそもどうしてこうした開発が起きているのかがいまいち理解できていない人もいるのではないでしょうか。そこで今回は、福岡テンジン大学の岩永学長に、「結局天神ビッグバンって何なの?」を語ってもらいました。

2021年も暮れてきた。コロナ禍が続く中でも全世界の人類は力強く生きている。ここ福岡でも12月になり、土日に限らず平日も天神は人で溢れはじめ、飲食店に並ぶ列も見かけるようになった。

そんな天神でもどこか寂しい。

ちょっと前なら年末商戦で賑わいを見せていたビルが姿を消し、建て替え工事で白い壁に囲まれたエリアがいくつもあり、その周辺は人がまばらに歩いている。

そう、天神ビッグバンだ!

コロナ禍が来ても、さらなる都市機能の強化にアクセルを踏む都心部再開発。この福岡の中心で起きている大変化は、いったい何を意味するのか?福岡人にとってどのような意味を持つのか?

福岡らしい視点から言語化にチャレンジしてみようと思う。

福岡は終電や終バスを気にしない文化?

福岡のまち、とくに都心部で仕事をしている人にとっては(コロナ禍前の)常識だった「終電・終バスを気にしない」という文化があることはすでにご存じだろう。

あ、これは仕事の時間ではなく、もちろん飲み会のことである。

福岡の都心部では、夕方になるとぞろぞろと車に牽引されて屋台がやってくる。まちの景観と、人の生態系すら変えてしまう福岡名物の移動式飲食店、営業終了時刻はもちろん終電や終バスの時刻と関係ないド深夜だ。

福岡の屋台経験者のあなたは、最深何時まで入店していた経験があるだろうか?
(私は27時直前までの記憶はある!)


写真提供:福岡市

屋台だけではない。

Barや居酒屋、カフェレストランまでが夜24時を過ぎても営業していることは当たり前だったし、終電・終バスの時間を過ぎて天神西通りを歩いてもまだまだ人が多かったりした。

東京から出張で人が来ると、おもてなしの時間はノンストップ・・・限界まで連れまわし、3次会、ときには4次会コースまで存在する。

そんな福岡の“飲み文化”だが、実は600年前の海外からの御一行のおもてなしでも、三日三晩飲み会を開いて歓迎している歴史的記述もある


参考:福岡人が「福岡っていいところやろ?」と言ってしまう深い理由!?

東京に福岡の飲み文化を持ち込むヤバイ人たち

ここで、私が社会活動として参画している日本・世界に約90チームほどを展開しているそうじNPOでのエピソードを紹介する。

年に一度、全国のチームリーダーが集い、1年間の活動報告やリーダー同士の交流を兼ねた総会が開かれ、夕方からはもちろんパーティーが開催される。日本全国から集まるだけあって、各地のお土産品が一同に並べられるのも圧巻!そして1次会はおよそ20時過ぎには終わりを迎える。

ここで変化が起きる。

北関東など東京隣県の日帰りで参加していたチームリーダーたちはこぞって帰路につく。だが不思議なことに、宿泊前提として来ているチームリーダーもちらほらホテルへ帰っていく。

2次会、まだまだ40人くらいいて盛り上がるが、東京都内に住むチームリーダーたちが終電で帰り始め、なぜか多くの宿泊で来ているチームリーダーたちもホテルへ帰っていく。

3次会・・・残っているチームリーダーたちの顔ぶれを見ると、北海道札幌チーム、新宿歌舞伎町の夜が強いチームと、あとは九州勢だけになっている。夜のニオイとラテン乗りのするメンバーばかりだ。

ここでさらなる変化が起きる。

4次会、おかしい、ここは東京のはずである。もちろんもう5名くらいになっている。なぜか福岡勢ばかりだ。このメンバーならわざわざ東京で飲む必要などないではないか。

そして朝を迎える。もう何度このような東京の朝を迎えただろうか。

そんな年に一度の総会を「お祭り」とでも思っている福岡勢と、過去の歴史や現代の夜の福岡飲み文化から確信したことがある。

“福岡人はお祭り的なことが好き”なんだ、“福岡人はいつでもどこでも、そこを福岡にしてしまう”と。

北海道に福岡を持ち込む福岡人

あれは10年くらい前だった。私が学長を務める福岡テンジン大学の姉妹校「札幌オオドオリ大学」の開校2周年に呼ばれたときの話だ。

周年ということで夜はパーティーだ。周りはほとんど札幌人、そこにポツンと福岡人。ここは酒で乗り切るしかない、となぜかテンションが上がった。

気づいたらステージに立ち、最後の締めを博多手一本でやることになった。一人で札幌を福岡にしてしまった!

さらに別の機会で札幌に行き、夜はすすきののスナックに連れていかれたとき、そこで教えてもらったことを紹介したい。

北海道には変わった焼酎がある。じゃがいも、トウモロコシなどの炭水化物に限らず、牛乳・昆布・シソなどもある。そもそも北海道の焼酎の歴史は浅い、にも関わらずこの多様な焼酎文化はどのように広まったのか?を聞いてみた。

「福岡の〇〇〇電器が北海道に出店してきて、もちろんすすきのに飲みにくるでしょう。毎晩毎晩、焼酎ないの?と言われて、それから焼酎文化が北海道でも広がったのよ。」と返ってきた。

その短い回答から瞬時にイメージが広がった。
すすきのでも“福岡祭り”は何度も何度も開催されたと・・・。

福岡人の“祭り化するスキル”極まれり!

2016年11月8日、福岡の都心部、博多駅より西に200mほどの場所に大きな穴が空いた。

市営地下鉄である七隈線の博多駅までの延伸工事で、異常出水により地盤崩落を起こした事故である。連日、全国ネットのTVはこの様子を放送し、上空からは数台のヘリコプターが飛び回った。

全国から福岡の人に向けて心配の声が届いていたというから、よほどTVによる拡散効果があったのだと思う。

そして市長の陣頭指揮のもと、これだけの大規模な穴が1週間後の11月15日には塞がり、通行止めも解除された。そしてそのスピード感が世界的にも話題になった。

ところがである。

このわずか1週間の出来事を、福岡人はちょっと楽しそうに、嬉しそうに話題にし合っていたのを猛烈に記憶している。どこか、ちょっと、一種の「お祭り」として福岡人はこの出来事を捉えたのではないだろうか?と。

もちろん、福岡市政や交通行政に与えた影響は大きく、地下鉄延伸による開業は大きく伸びてしまったが、多くの福岡人はネガティブにこれを語らないし、話題になってもまるでホークスが日本シリーズで優勝したかのような語り草になっていないか・・・と、微妙な気持ちになるのは私だけだろうか?

そもそも、福岡市の都心部再開発には名前が付いている

そんなお祭りごとが好きな福岡人が好きで止むことのない福岡のまちが今、ハードのリニューアルを進めている。

天神地区の天神ビッグバン。

博多地区の博多コネクティッド。

さて、これらのネーミングに福岡人は誰も違和感を覚えない。この名前が登場した2015年以降、福岡市がこれら再開発で打ち出す様々な情報には必ず冠として「天神ビッグバン」「博多コネクティッド」と付いているから、もはや当たり前の感覚ですらある。

ところが、他都市の都心部再開発はどれをとっても「~再開発プロジェクト」などの、ごくごく普通の行政が付けそうな名前になっている。あの渋谷の100年ぶりの大再開発ですら、福岡のようなネーミングは付いていない。

福岡だけが、飛びぬけてキャッチコピー的な名前が付いている。そして、その名前に全く違和感なく過ごしている福岡人。

確信した。

そう、天神ビッグバンも博多コネクティッドも福岡にとっては“お祭り”なのだ!


▶天神ビッグバンについての解説はこちらをどうぞ


▶博多コネクティッドについての解説はこちらをどうぞ

福岡は“お祭り”で発展してきた都市

さて、天神ビッグバンが進行するここ天神が発展を始めるキッカケとなった“お祭り”があるのをご存じだろうか。

ときは明治43年(1910年)、第13回九州沖縄八県連合共進会が開催された。この共進会はいわゆる物産(農業品や工業製品)の博覧会。実はこの共進会が開催される前まで、天神地区は福岡城の大きな堀が那珂川まで横断していて、今とは全く違う光景が広がっていた。

このとき、自費でこの堀を埋めて共進会誘致に貢献した人物は、現在の天神から渡辺通を通り、博多駅まで通じる路面電車を走らせた男。そう、渡辺通の名前の由来にもなった渡辺与八郎氏だ。

そしてこのときの福岡市の人口が約8万人だったのに、その10倍以上の約90万人の入場者があり、過去の共進会のどれよりも多くの人出で賑わったという。当時の福岡の都心部と言えば博多だったが、共進会をキッカケにその後は天神が急速に発展していったのだ。

▶第13回九州沖縄八県連合共進会の様子は福岡市博物館のアーカイブでどうぞ

100年ぶりの“福岡のお祭り”はすでに始まった!

2021年10月4日、天神ビッグバン第1号である「天神ビジネスセンタービル」が竣工した。

この100年ぶりの天神の大再開発は、「これまでショッピングがメインだった天神を、時代も変わったし、ビジネスとしてもメインな天神に衣替えしましょう」という、まちの生態系を変える巨大プロジェクトだ。

天神ビブレ
天神コア
イムズ

どれも個性的で高度経済成長期以降の福岡そして天神を、ショッピングや文化発信で支えたビルだった。

これからは、ガラス張りで床面積の広いオフィスが中心のビジネスビルや、海外からのビップな来訪者が宿泊できる高層階ホテルを兼ねたビルが、天神の新たな顔として誕生する。

ここに、老舗の百貨店である岩田屋・三越・博多大丸や新天町と、ソラリア・VIORO・ミーナ天神の商業施設、さらには市役所前広場などの公共空間と、天神各地に新たに設けられるビル前の広場(公開空地)、そして地下で繋ぐ天神地下街

これら新旧織り交ぜた多様なビルがネットワークしていったとき、九州一の繁華街“天神”は新たなステージに突入する

そう、これは天神、そして福岡が新たな時代を迎え撃つための「衣替え」なのだ。だからこそ“天神ビッグバン”という名前が付けられ、市民にも福岡以外の人からも注目されることになった一種の“お祭り”と捉えたい。

みんな大好き福岡のまちの、都心部の、100年ぶりの大変化はすでに始まった!この変化を楽しもうじゃありませんか!


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福岡テンジン大学 学長
岩永 真一
福岡市で生まれ育った生粋の福岡人。就職氷河期世代で内定ゼロで社会に出るも、天神でゴミ拾いをするNPOグリーンバードに出会い参加し、街をつくる人たちと出会い人生が変わる。2010年に福岡市と共働で「学びで人と街をつなぐ大学」の福岡テンジン大学を立ち上げ学長を務める。

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