す~しゃちょーの「福岡〇〇バカ日誌」Vol.1

「ベンチャー支援バカ」こと株式会社アイ・ビー・ビー 廣田稔社長インタビュー

福岡が創業特区になって6年が経ちました。スタートアップ界隈では全国でも指折りの地域であることを誇る福岡ですが、実はそのずっと前から、インキュベーション事業を手掛けてきた企業があります。それが「株式会社アイ・ビー・ビー」。なんと今年で創業支援事業20年の最古参です。今回は、新米経営者“す~しゃちょー”が大先輩・株式会社アイ・ビー・ビーの廣田社長に事業の成り立ちや福岡の可能性について徹底取材してくれました。

お初にお目にかかります、草食系かけだし社長やっております、す~しゃちょーと申します。

東京都出身、千葉県育ち、大学から上福、現在37歳の独身男です。実家は父が2代目として社長を努める小さな工場で、長男であるにも関わらず何故かこの福岡で起業。結婚のことといい返す返す親不孝者だと自分でも思います。。しかし福岡の女性は本当にみなさまお美しくいらっしゃり、特に最近はマスク効果もあって皆さん女優さんやアイドルさんにしか見えず、草食系の僕としてはただただ目のやり場に困りうろたえる毎日です(笑)
 
起業して5年目、現在二人の社員さんと、常務と私の役員二名、そして業務委託パートナー、いわゆるフリーランスのみなさんとこの福岡を舞台として日々いろいろわちゃわちゃやっております。この度ご縁をいただきこのフクリパというメディアにてめでたく?ライターデビューをさせていただきました。
 (本来僕の素性などはどうでもよろしいのですが、今回の企画の趣旨と絡むので恥ずかしながら少しだけご紹介させていただきました)
 
きっかけは今回の主役、「ベンチャー支援バカ」こと株式会社アイ・ビー・ビーの廣田社長が毎年主催しているパーティーに、フクリパのデスクさんと参加したときのこと。
 
(す~しゃちょー(以下、す~))「福岡の魅力もいろいろあるけど、福岡が創業特区になって、元々の土地柄もあってすごく創業しやすい、みたいなことはどのくらい認知されているのかね?」
(フクリパデスクさん(以下、デスク))「一般にはあんまり関係ない話かもしれないけど、福岡の外でビジネスをやっている、やろうとしている人にとって、今日のパーティーの話みたいな話を聞くと魅力的だよね」
(す~)「廣田社長もいろんなところで創業の話とかしていると思うけど、例えば僕みたいな、元々別の地方出身で起業している人間の目線で今日の話とか掘り下げてみるとちょっと面白いかもと思った。まあ僕じゃあ力不足だからいい人見つけ…」
(デスク)「あ、それいいんじゃない?早速デスク会議に企画出してみる!す~しゃちょー、ライターデビューだね^^」
(す~)「え、ちょっとまって、そんなつもりで言ったんじゃ(汗)」
 という会話があったりなかったりして、気がついたらあれよあれよと話が決まっておりました。フクリパさんも酔狂な、、、
 
ということで、本企画のきっかけとなった廣田社長に早速アポを取り、今回のインタビューが実現いたしました。
 

株式会社アイ・ビー・ビー 代表取締役 廣田稔さん。穏やかで物腰の柔らかな、とっても優しい大先輩です

「ベンチャー支援バカ」こと廣田社長の系譜と福岡との関係

さて、後でお叱りを受けるかもと思いつつバカバカ連呼している廣田社長、一体どんな方なのか、簡単にご紹介。

20世紀末、東京ではいわゆる「ヒルズ族」と言われるようなITベンチャー躍進の兆しがあり、創業の機運が高まっていました。そしてそういった創業を支援する様々な支援事業が官民問わず林立し始めた頃、景気の低迷していた福岡を商機あふれる都市として盛り上げるべく、2000年に「IncuBation Building」の頭文字をとりアイビービーフクオカプロジェクトを発足、母体の不動産会社である㈱廣田商事のリソースを活かし、自社物件を活用した起業家向けの格安オフィスの提供を始め起業家セミナーや交流の場の提供などを20年の長きに渡り展開されてきました。


こちらがibb fukuokaビル。警固神社の目の前、1Fがファミリーマートです。みなさんきっと前を通られたことがあるはず

ITバブルと言われた当時から今に渡って民間で継続的に創業支援を継続している組織は全国的にみても類を見ないもので、今では「ibbファミリー」と言われる、支援を受けた起業家たちがIPO(株式上場)はじめ様々な方面で活躍、またお互いに積極的な交流を図りビジネスパートナーシップを築いています(僕もその末席の一人です)。廣田商事は廣田社長で三代目、社長自身は最初から家業を継いでいたわけでなく、福岡大学を卒業後1986年から証券マンをやっていて、90年代後半に福岡に戻り家業に取り組まれていました。

今でこそ世界的に注目されているこの福岡の街の発展に昔から尽力されてきた廣田社長の歴史や思想を紐解くことで、福岡の魅力を再発見していこう、というのが今回の主な趣旨です。
 
「いい記事を期待しているよ、(僕の本名)くん。よろしく!」

日頃から交流をさせていただいていますが、こんな形でお話をする機会は初めてで若干挙動不審気味の僕に早速妙なプレッシャーをかける廣田社長(笑)めげずにインタビュー開始。いつも聞かれているかと思いますが、と前置きした上で、ibbという名前の由来、そしてなぜプロジェクトを始めたのか、というお話から始めました。

「まあいつも答えさせてもらっていることだけど」

外向きの話としてはすでに書かせてもらったとおりで、たしかに僕も機会がある度伺っていて、今では暗唱できるほど。前段で話したパーティーのときにももちろんお話されていました。その中で、同じ「社長の息子」として、どうしても聞きたかったこと、「最初から戻るつもりだったのか?」ということを聞いてみました。

「やっぱり世の中を見てみたくて、先輩の薦めで広い世界が見れるということで証券会社に就職したけど、いつかは帰るとふわっとは思っていたね」

気持ちはすごくわかりました。僕も実家の仕事をするかどうかという選択肢がありましたが、千葉の田舎の工場という「狭い世界でずっと過ごすこと」に恐怖感を覚えたものです。ご実家の不動産という仕事についてはどう思っていたのか伺うと、衝撃の答えが。

「実は実家に帰るまで実家がなんの仕事しているか知らんかったんよ(笑)」

えーっ!!そんな事ある?(笑)

「不動産という仕事柄、子供の目から見たら何しているかわからんし」

確かに。うちは工場だったのでわかりやすかったというだけですね、納得。

「それに継ぐとか継がないとか言われたことはなかったしね」

僕もそうでしたが、父は半ば強制的に継がされた、と聞いていたので、二代目は自分と同じような処遇を子供にはさせたくないという心理があるのかも知れませんね。
そしてここから、今回の企画の核心に迫る話に意図せず発展。

「実は10年前、社史の編纂事業をしていて、そのとき初めて自分の会社の歴史を知ったんよね」

廣田商事は実は昭和のはじめ、1928年に元々四国の漁師だった祖父が興した廣田漁業という会社が始まりだったとのこと。今も本社はその名残で中央区の港というまさに港の一角にあります。漁業をやってたのはなんとなく聞いていましたが、まさか県外とは知らなかった。。

新たな漁場を求め長崎県の五島に移住、そして30年代中頃に福岡で誘致があり、そこから福岡に移ってきたとのこと。

「福岡に移ってきてしばらくして、自分の父が婿養子で来たんだよね。祖父は根っからの漁師だったらしいけど父は数字にも強くて、だんだん漁業が下火になっていくのが見えてきた中、父としてはなんとか時代に合わせた新事業を模索しようとしてたみたいよ。そこでこれまでの稼ぎと時代の潮流を見て不動産事業を提案したらしいけど、当時は大反対だったみたい」

移住組の仲間の間でも、漁業に対する危機感はあったようで、その頃の仲間たちも関連業種、例えば加工業や倉庫業などに進出していったそうです。確かに、漁師がいきなり不動産?と聞くとお父様が変わり者に見えるのでしょうけど、僕はお父様とお祖父様にとても似たものを感じました。お祖父様は漁業で創業し、お父様も時代を見て今で言う第二創業という取り組みを始めた、いわゆる創業者魂というのが共通しているように見えました。

「そこで社名を「廣田商事」として本格的に不動産業を始めていったみたい。今のこのビル(ibb fukuokaビル)は昔は専門学校で、その後岩田屋さんがオフィスとしても使っていたね」

そうなんだ!今は完全なるインキュベーション施設として使用されているから面影ないですが、、

 

以心伝心で相伝された“ベンチャー魂”

そんな歴史を持つ廣田商事ですが、もう一つ、どうしても聞きたかったことがあります。廣田社長は、いつか帰るとは思いつつ、帰ろうと思った直接的なきっかけはあったのでしょうか?

「俺が証券に入った頃はほんとにバブルの真っ最中で、ほんとにすごかった。そこから長崎で7年過ごしている間の27の時に結婚して。ちょうど子供ができたくらいのときにバブルがはじけて、一気に状況が落ち込んだ。その時に、いつか帰ろうと思っていたこともあって、機会かなと思って帰ることにした、かな?」

自分もそうですし、自分の仲間にも多いのですが、意外とちゃんと準備を経た上で独立した人って少なくて、独立した後で自分が独立してやっていることの意味を見つけていくというパターンは多いように思えます。しかし、僕はバブル未経験者、すごかったという噂だけは聞くものの、正直ピンときません。廣田社長はふわっと言っていましたが、やはり何かを変えようとするほどの大きな環境変化ではあったのでしょう。

「何ができるか、というのは考えたよね。帰るまで不動産屋だったことも知らなかったわけだし、古参の社員からすれば何も知らない若造が、と思うしね。だから、大家(おおや)業だけやっていたところから、まだ社内の誰も持ってなかった宅建(宅地建物取引士 不動産の仲介をするために必要な資格)をとって、事業にとってなくてはならない存在になれば認めてもらえるかなと思った。それも一発合格で。そのくらいでないと認めてもらえないと思ったから、人生で一番勉強した(笑)無事一発合格できたけどね」

そう、僕は、逃げたのです。血縁というだけで社長が約束されるというその環境から。環境のせいにしていたのです。これは心が痛かった。そんなところからも姿勢に対する器の違いを感じつつ、アイビービーフクオカプロジェクトへ至るまでの過程に話は移ります。

「正直、最初は自分ファーストだった。どうしたら自分の生活が良くなるか、家族を養えるか、ただそれだけで、他人やましてや街のことなんか興味がなかった。変わったきっかけは、福岡JC(福岡青年会議所)に参加したこと。飲み方がすごいとか色々話はあるけど(笑)、あそこはまあ確かにそういうのもあったけど、街のため、社会のためみんな真剣に活動する。それで初めて街のことを考えたし、APCC(アジア太平洋こども会議 in 福岡/廣田社長が当時福岡JCの理事長の時代に携わった)なんかもそうだし、海外も色々回って、外から内(福岡の街)を見ることで、段々と自分のマインドが、自分のため、から、街のため、という方向に変わってきたね」

そして入社してわずか数年後の1999年、社長であるお父様が他界され、いよいよあとを継ぐことに。

「当時福岡は景気も悪く、自分の会社もご多分にもれなかった。特にこのビルは当時の街の中心から離れていて、テナントも殆ど空いている状態でね。でもJCでの経験もあって、手を打つにしてもなにか街のためになることをしたかった。そこで自分と自社の強みを合わせて考えたとき、このビルを支援拠点にしつつ、自分が証券会社時代に培った知識を使ってビルの一部をスタートアップの人たち限定の入居とし、さらに彼らに投資をするというハイブリッドなインキュベーションの場という構想を思いついたんだ」


株式会社アイ・ビー・ビーでは、ステージに沿ったベンチャー支援を行っています(株式会社アイ・ビー・ビーのホームページより)

正直、鳥肌が立ちました。
例えばIT業界でいうと、市場も成熟しつつある今、「〇〇×IT」といった、いわゆるクロス戦略というか、そういうやり方で付加価値を出していくという柔軟な考え方がそれなりに浸透して来ましたが、20年も前に、それも「不動産×証券知識」というまず出てこない発想をされ、それを実行に移したというのは、事業主の端くれである自分などが見ると特に、本当にできそうでできない、勇気のある決断だと思いました。正直、いかに景気が悪いとはいえ、不動産は成熟した事業でもあるわけで、今までのやり方を突き詰めることでもっと安定して事業を作ることもできたと思いますが、その選択を捨ててチャレンジをすることが怖くなかったのでしょうか?

「一応、金勘定はしたよ。もちろん支援という立ち位置だから相場よりも低くテナント提供することになるけど、それで人が集まり、支援を続けることができたら、やっぱりそれらが芽吹いたときに街のためになると思ったし、やりたいと思ったね」

お父様は婿養子、廣田社長も実家の事業に携わった期間は決して長いとは言えず、一見すると一子相伝の職人の世界のような、強く受け継がれているというものが見えにくい廣田商事の歴史ですが、なんでしょう、この、ベンチャースピリットだけは以心伝心で伝わっている現象は。とても不思議ですが、ibbプロジェクトは起こるべくして起こったのだな、となんとなく腑に落ちました。そして、こうも続けられました。


↑僕も参加させてもらった「ibb Biz Camp」。創業期の経営者が1年間、様々なプログラムを通して自社の強みをしっかり経営理念に落とし込み、最後にプレゼンの場まで用意してくださいます。この1年で、お互いに切磋琢磨し合える創業仲間も増えたし、本当に貴重な機会だったとしみじみ思います。

当時からベンチャーというのは流行っていて、流行りだすと支援する側もどんどんやりだした。だけど少し景気が悪くなるとすぐに手を引いた。支援というのはそういうものではないと思うから、僕らは少人数でも、事業発足のときに目指した福岡を光り輝くまちにするという「変わらぬ姿勢」を貫くことにこだわっている」


毎年開催されている「ib be united party」。新旧のibbファミリーが1年に1度集います。今回の取材が決まったのも、この会がきっかけでした

“変わらぬ姿勢”というのは廣田社長が事あるごとに使う言葉です。言うは易し。おっしゃるように、流行りに乗るだけの支援団体は軒並み姿を消している事実、20年変わらず民間で支援を続けている人だからこそ、その意味や想いが伝わる言葉だなと思います。

“変わらぬ姿勢”だからこその“新たなるチャレンジ”

今自分のようないろいろ足りなすぎる人間でもこの福岡の地でのびのびと創業活動ができているのは、当たり前にあったものではなく、紡がれた歴史の果てにある、得難いものであるのだなと、改めて先人への敬意を覚えました。

「今は随分福岡も恵まれた都市になったけど、恵まれすぎている、とも思うね。商業的な地勢もバランスいいし、福岡の人はみんな福岡が大好きだから、やっぱり何やってもなんとかなっちゃう、そこに甘んじているようなところはあると思う。ただ恵まれていると言っても、本店機能を置いている全国系企業は少ないし、ここからいかにスケールするかを考えられるようになっていかないといけないと思う。国際金融都市、という構想はいいと思うけどね」

まだコロナ騒ぎが起こる前、福岡はウォーターフロントエリアの再開発でMICEを呼び込んだり、国際色を強めていく具体的な施策にも取り組んでいました。よく企業家の間でも、“現状維持は衰退の第一歩”という言葉が使われるのですが、先輩が掘り起こしてくれた温泉にゆっくり浸かっている場合ではないな、と改めて思いました。

廣田社長率いるアイビービーフクオカプロジェクトでは、今また新たな取組みを始められています。それは、今インタビューを行っている、僕も創業初期にお世話になったこのibb fukuokaビルに続く、新たな支援拠点の建設です。


新ビルの全貌公開にはもう少し時間がかかるようです…こうご期待!

「20周年ということで、なにかしたいと思った。ここまで続けてきて(ibbから)卒業していく企業も増えている中、この施設だけだと、やはり支援という性質上、入居期限もあるし、次代につなぐためにもずっといてもらうということはなかなか難しい。だからもう少しラフに、卒業した人たちが次に集える場所というのを作ってみたかった」

そのプロジェクトも実にユニークで、2020年9月に開催されたibbによるパーティーで、“予算をつけ、その施設で何をやるかを公募する”という発表をされたのには驚きました。

「あえて、これまでibbに関わった人たちに新ビル建設に関わってほしかった。正直自社だけで進めたほうが手間もないし楽だったけど、アイビービーフクオカプロジェクトで芽吹いたものがまた次のものを芽吹かせる、そういう“紡ぎ続ける”場を作りたかった

IPO企業を何社も輩出し、けれどもやはり“変わらぬ姿勢”でさらなる行動とともに福岡の街に貢献し続ける、その姿勢はまさに“ベンチャー支援バカ”。

福岡の持つ不思議な魅力はまだまだある!?

自分もそうですが、この福岡の街は、他の地域の人が何かのきっかけで訪れて、そのまま居着いてしまうという例が実感値として多いように感じています。東京などの都心ならまだしも、一地方都市である福岡には、やはり不思議な魅力があるようです。ルーツが他の地域にある廣田社長がこういった取り組みで福岡の街に貢献し続けていることも、なにかこの土地の持つ不思議な力が導いているような気がするのは僕だけでしょうか。

ちょっとスピリチュアルなオチになってしまいそうになりましたが、最後に廣田社長から見て、僕のような最近の起業家がどのように見えているのか、おっかなびっくり聞いてみました(笑)

「今の人たちは昔の人よりも、世の中のことを真剣に考えているような気がするね。10年後、20年後の世の中のことを本当に考えて活動している気がするよ」

そうなんだ、、逆になにか物足りないところはないのでしょうか?

「あえて言うなら、なんだろう、もっと昔はみんなガツガツしてたよね。欲があるというか。ちょっと草食系になってしまっているというか。まあ昔の考え方かもしれないけど、そういうのも必要なんじゃないかと僕は思うけどね」

最初に“草食系”と名乗っている僕には返す言葉もありません。お肉は好きですが、でもやっぱりなんと言っても福岡はお魚ですよね!(そういうことじゃない)
 
そういったところで、廣田社長には普段なかなかゆっくり聞くことができなかったお話を存分に聞くことができました。本当にありがとうございました。

わかりやすい魅力も数々あるこの福岡ですが、こういったある意味あまり表に出ないバックヤードの部分でも心を熱くする魅力があることに、インタビューを通じて気づくことができました。我々企業家は、本来「利他の精神」で街の、地域の、そして社会の屋台骨を支えることが使命の一つだと個人的には思っています。屋台骨なのでなかなか見えにくい部分ではありますが、味のある柱が他にも何本もあるような気がしますので、もし機会があればまた次の柱を探索する旅にでたいなとも思っています。

なれないライター稼業でしたが、ここまで乱文乱筆にお付き合いいただき誠にありがとうございました。

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新米経営者
す~しゃちょー
某有名Youtuberとは一切関係ありません。 創業して5年目で初めて社員さんを雇い、入社から一ヶ月ですでに社内カーストワースト1になるという(ある意味)辣腕の持ち主。このまま振り切って「世界一なさけない社長」になることをモチベーションに日々がんばる。 「福岡エリア外から来たかけだし経営者」というピンホールショットな属性に奇跡的にハマり、この度ライターデビュー

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