風水師もビックリ!?福岡の都市に眠る不思議な魅力 -テンジン大学学長連載-

全国的にも「住みやすい街」として上位に名を連ねる福岡市。果たしてその理由はどこにあるのか?本当に住みやすいのか?住んでいる人は実際どう感じているのか?気になるところを福岡市在住で様々な街づくりの企画に携わっているテンジン大学の岩永学長に語ってもらいます。

風水的には珍しい福岡市の立地

今から15年くらい前だっただろうか。当時、天神のゴミ拾い活動に参加するようになった私は「街を見る目線」のチャンネルが増えていたのかもしれない。

その頃に働いていた会社のオフィスのラジオから流れてきた会話が忘れられない。テレビに出るくらい有名な風水師が、福岡について語っていたのだ。

「南に山を持ち、北に海があるのに、こんなに元気で発展している福岡は風水的にあり得ない、とても不思議なんです」と。

確かに世界中の都市の歴史を紐解くと、北半球の多くの都市は南に海を持ち、大きな河川や肥沃な土地が近くにある「交通の要衝」であることが多い。

太陽や月が南の空に上がり、それを目印に海を通じて人や物や文化が流通して発展してきた蓄積が、都市としてのアイデンティティであったりする。


黒田如水・長政親子が築いた福岡城(写真提供:福岡市)

「福岡」の名付け親は黒田如水(だと思っている)

今では人口が160万人にも届こうとしている福岡市。この地を「福岡」と名付けた名付け親は諸説あるが、私は黒田如水(福岡藩の藩祖)だと思っている。

史上初めてこの土地のことを「ふくおか」と呼んだのは、関ヶ原の戦い(1600年)で活躍した如水の息子・長政の功により筑前52万石の太守となった直後。

1602年の正月、如水・長政親子が太宰府の地で連歌会を催し、そこで如水が詠んだのが「松むめや 末ながかれと みどりたつ 山よりつゞく さとはふく岡」。このとき「ふく岡」と登場したのが、福岡の初見資料である。

現代の風水師に「不思議」と言わしめた福岡。その福岡の都市としてのアイデンティティが、いったいどのように蓄積されてきたのか?ここに生粋の福岡人として個人的視点から迫ってみたいと思う。

福岡市と神社の不思議な関係

「不思議」つながりで、福岡には古い神社がやたらと多い。

起源があいまいだったり、日本書紀や古事記が誕生するより以前の起源を掲げる神社が多かったりと、2,000年以上前からこの地に人が営みを持っていた形跡が伝わっている。

もちろん、博多区内を掘れば、弥生時代から江戸時代まですべての時代に人が生活していた痕跡が発掘されるほど、この地はずっと都会であったことがわかっている。

そんな福岡にある主要な神社の参道に着目すると・・・

日本の多くの神社は、日本書紀・古事記が執筆された後に生まれたこともあり、天照大御神を頂点とし、太陽が基準になっていることが伺える。そのため参道も真南や真東を向いているケースが多い。

ところが、ここ福岡の主要な神社の参道が不揃いに西を向いていることにある日気づく。少し福岡市を飛び出してみると、宮地嶽神社(福津市)、宗像大社(宗像市)の参道も見事に西側を向いている。

そう、ここ福岡の玄界灘沿岸の多くの主要神社の参道が不揃いながら西側を向いているのだ。

それは、神社が建立された当時が、海から常に新しいモノや恵みがやってきた土地柄であったことを意味しているのかもしれない。

現代のインターネットの発達は便利である。参道の向きに気づいた私はインターネット上の地図で、参道を伸ばすとどこに繋がるのか?を遊んでみた。

まず発見したのは宗像大社。三女神と言われ、沖合約60kmほどの沖ノ島から大島、宗像大社と3つの社から構成されている。その3つの社は見事直線上に並んでいる。

ではその直線を九州内部に引っ張ってみるとどうなるか?すると、地図上では少しずれて英彦山神宮にたどり着いたではないか。英彦山と言えば、歴史も古い修験道で有名な山。

まさかと思い、同じような遊びはインターネット登場前に地図でやったことがある人くらいいるだろう?と検索してみたところ、出てきたことにビックリした。

なんと、福岡を中心とした主要な神社を線で結ぶと、奇妙なことに直線上に神社が並んでいたり、二等辺三角形を形成していたりする神社があることを、発見している方の存在に行きついたことだ。


博多湾に浮かぶ陸続きの志賀島にある志賀海神社(写真提供:福岡市)

◆志賀海神社MAP


参道が西を向いている東区にある筥崎宮(写真提供:福岡市)

◆筥崎宮MAP

福岡市内で言えば、金印が見つかった志賀島にある「志賀海神社」と博多区の「住吉神社」、そして東区の「香椎宮」が二等辺三角形を形成。

さらに「志賀海神社」と東区の「筥崎宮」を直線で結び、その延長線には宇美町にある「宇美八幡宮上宮」が存在。

さらに伸ばすと太宰府にある宝満山の頂上にある「竈門神社上宮」が。

今度は「志賀海神社」と「宇美八幡宮上宮」の線の途中にある海ノ中道にある「大嶽神社」と「宇美八幡宮上宮」とその真西に線を伸ばすと、糸島にある「可也山の山頂」の3点が見事な30°と30°と120°の二等辺三角形になるという・・・(興味がある方はぜひ地図上で試してみてください)。


天神の地名の由来にもなった水鏡天満宮(写真提供:福岡市)

◆水鏡天満宮MAP

そういえば昔、徳川家康が開いた江戸の街も、結界を張るかのようにつくられたというようなテレビ番組を見たことを思い出した。

当時の為政者が鬼門に神社を配置するなどは当たり前であり、ここ福岡の福岡城も黒田長政が鬼門封じのために、天神様こと水鏡天満宮を現在の位置(天神)に配置している。

これが現在の「天神」の地名の由来にもなっている。

そう、福岡の都市は、まるで結界が張られているかのように神社が配置されているようなのだ。

風水師から「不思議だ」と言われる所以もわかるようで、でもわからない。

いったいいつ、誰が、このようなプロデュースをやってのけたのだろうか。

以前、福岡市博物館の有馬館長と共にイベントで登壇したときに共感した言葉がある。

「都市にはDNAがある」と。

日本において今、最も元気で活力があると言われる不思議な街・福岡にはいったいどんなDNAがあるのだろうか?この街が蓄積してきたものは、いったい現代にどう続いているのだろうか?次回はまた違う切り口で紐解いてみたいと思う。

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福岡テンジン大学 学長
岩永 真一
福岡市で生まれ育った生粋の福岡人。就職氷河期世代で内定ゼロで社会に出るも、天神でゴミ拾いをするNPOグリーンバードに出会い参加し、街をつくる人たちと出会い人生が変わる。2010年に福岡市と共働で「学びで人と街をつなぐ大学」の福岡テンジン大学を立ち上げ学長を務める。

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