こんにゃくと似て非なる『おきゅうと』は何物なのか
画像提供:福岡市
モッチリとした食感、ツルリとした喉越し、そして微かに漂う磯の香り……。
海藻を原材料とした水産加工品であり、博多の伝統食である『おきゅうと』。
一見、楕円状の薄いこんにゃくのように映るものの、口にすれば、ところてんにも似た独特の食感を味わうことができる。
おきゅうとという一風変わった名前からか、福岡県外や九州外の人たちにとっては、「どのような食べ物なのか」と想像しにくい傾向はある。
しかし、福岡・博多では昔から朝食の定番として味わってきた伝統食だ。
おきゅうとの語源は諸説あり、主な説だけでもユニークで味わい深いものがある。
◎ 原料である海藻のエゴノリがウドのように早く育つことから『沖のウド』→『沖ウド』→おきゅうとになった
◎ 享保の飢饉において、非常食として多くの人を救ったことから『救人(きゅうと)』と称された
◎ 漁師が見つけた海草を煮詰めて固めたもので飢えをしのぎ、『救人(きゅうと)』と称された
◎ 漁師が見つけた海草を煮詰めて固めたものであり、『沖人』→『おきひと』→おきゅうとへ変化した
おきゅうと発祥地とされる福岡市・箱崎で大正年間に創業者の林勝次氏が個人創業して以来、おきゅうとの製造・販売を手掛ける有限会社林隆三商店の広報担当者であり、二代目である林隆三氏の長女にあたる佐藤美木子さんは、次のように語る。
有限会社林隆三商店で広報担当を務める佐藤美木子さん
佐藤さん
おきゅうとは本来、『おけうと』と表示し、現在でも許可証の表記はおけうとです。
昭和初期に創業者の祖父が、商品名の差別化として『おきゅうと』にしたところ、他社も追随した結果、今日ではおきゅうとの表示が一般的になっています。
徳川吉宗に福岡藩主が、おきゅうとを特産品と報告
江戸時代に福岡市・箱崎一帯で作り始められたとされる『おきゅうと』は、かつて『うけうと』と呼ばれ、300年余りにもおよぶ伝統食だ。
かつての博多湾では、おきゅうとの原材料となる海藻のエゴノリとイギスが絶妙に交じり合いながら、一緒に採れていたという。
福岡藩士であり、本草学者・儒学者として知られる貝原益軒(1630~1714)が編纂した『筑前国続風土記』によると、「うけうとと云物、此類(いぎす)なり。糸紫なり。是亦毒あり」とのことだった。
享保19年(1734)3月、江戸幕府の第8代将軍だった徳川吉宗は、諸藩に対して諸国産物の取り調べを命じた。
元文3年(1738)年、福岡藩第6代藩主の黒田継高から幕府へ提出された『筑前國産物帳』では、うけうとについて「海中ニ生ズ、枝多ク節々連生ス。淡紫色。久シク煮レバ化シ膠凍ト成ル。味佳ナラズ」と記していた。
『筑前国産物帳』海菜01(福岡県立図書館所蔵)
明治期~大正期の箱崎一帯でノリの養殖が盛んになり、その副業として『おきゅうと』をつくるところも多かった。
そして、戦前の福岡・博多では、豆腐売りや納豆売り、しじみ売りに同様におきゅうと売りが、「おきうとワイとワイ、きうとワイ」との掛け声で売り歩いた。
1本からでも売りやすいように木箱に一枚ずつ丸めて並べて売り歩く売り子は、博多の商家の子どもらが学校に行く前のお小遣い稼ぎとしてやっており、彼らたちにとっては貴重な実務経験にもなっていた。
小学生のおきゅうと売りも映り込んだ戦後のおきゅうとづくりの作業風景(画像提供:林隆三商店)
おきゅうと独特の食感は作り手のこだわりにあった
おきゅうとの原材料は、日本海側だけで採れる海藻のエゴノリ(博多では真草と呼ぶ)と、寒天の原料でもある海藻のイギス(別名:沖天、博多ではケボと呼ぶ)だ。
エゴノリは、かつて博多湾や玄界灘でも大量に採れていたものの、地球温暖化が取り沙汰された1990年代から福岡県内でエゴノリの不漁が続いた。
今日では、石川産や新潟産、佐渡産のエゴノリを使っている。
おきゅうとはこのようにして作られる。
・エゴノリとイギスは水洗いして、状態に応じて天日干しを1 ~5回繰り返す。
天日干しを省くと、風味が劣り、色合いも黒っぽくなってしまう。
『おきゅと』の良し悪しとして、あめ色でひきのある色調が良いとされ、黒っぽい物は好まれないため、重要な作業工程になっている。
・天日干しをしたエゴノリとイギスを一定の割合で混ぜてよく叩く。
・少量の酢を加え、煮溶かしていく。色は赤色から飴色に変わり、軟らかくなる。
・その後、ていねいに裏ごしをしていくことでおきゅうと独特の食感を引き出していく。
・楕円状に伸ばして冷し固めていく。
おきゅうとの製造工程(画像提供:林隆三商店)
おきゅうとの独自性が海藻加工品の中で放つ存在感
エゴノリの産地である新潟県などでは、エゴノリのみを原料におきゅうとと同様の製法で作る『いごねり(別名:えごねり、えご、いご)』という加工食品がある。
いごねりは、エゴノリを天日干しないために色が黒い。
また、イギスを使用せず、裏ごしをする網目が荒いので、食感も異なってくる。
同じ紅藻類の海藻を原料に用いたおきゅうとの方が、上品と言われることも多い。
一方、おきゅうとは、「ところてんのようなもの」と表現されることも多い。
もっとも、エゴノリとイギスを原材料としたおきゅうとと、テングサやオゴノリなどでつくるところてんでは、素材から異なる。
また、おきゅうとは、短冊状に人手で切って食するのに対し、ところてんは、『天突き』と呼ばれる専用器具で均一の細い糸状にする文字通り〝ところてん式〟だ。
原材料が共に海藻なため、味覚的な差異はほとんど無いものの、食感的にところてんよりもおきゅうとの方が弾力的であり、モッチリとした独特な食感を好む人たちも多い。
おきゅうとは、地元スーパーや量販店の店頭にも並ぶ
低カロリーで健康食としても注目されるおきゅうとの可能性
ユネスコの無形文化遺産に登録された『和食』の食文化を次世代へ継承していくために農林水産省は2019年、『うちの郷土料理~次世代に伝えたい大切な味~』を立ち上げた。
おきゅうとは、若鶏の水炊きやがめ煮、博多の胡麻鯖、ゆずごしょう、博多雑煮などと共に福岡県の郷土料理に選ばれた。
おきゅうとは、独特の食感で愛好者も多い
かつて福岡・博多で朝ごはんの定番として、ご飯におきゅうと、くじら、アサリ、味噌汁という組み合わせが多かった。
『海賊』とも呼ばれ、出光興産を立ち上げた福岡出身の実業家である出光佐三は、故郷の味を懐かしんでおきゅうとを取り寄せて食していたという。
創業以来、約1世紀にわたって発祥地である福岡市・箱崎でおきゅうとづくりを手掛ける佐藤さんは、次のように抱負を語る。
佐藤さん
地元で受け継がれてきた食文化であるおきゅうとを次世代へ受け継いでもらうためにも、おきゅうとの紹介やレシピの開発にも力を入れています。
おきゅうとの伝統的なスタイルは、ごまやかつお節をまぶして、醤油を掛ける食べ方だ。
食関連の講演会やセミナーに講師として登壇することも多い佐藤さんにとって、最近のお薦めレシピは、おきゅうと、ごま、ネギ、ちりめんじゃこにカボスしょうゆを掛けて小鉢にして酒の肴として味わう一品だ。
画像提供:林隆三商店
また、おきゅうとが元々海藻だった点に注目して、おきゅうとにミョウガ、カイワレ大根、水菜、ネギなどを青紫蘇ドレッシングであえた海鮮サラダ風もお薦めレシピとなっている。
海藻を原料とするおきゅうとのカロリーは、100gあたり6.0kcalと低カロリーなため、かつて食べ物としてネガティブなイメージを持たれた時代もあった。
しかし、今日、ダイエットフードや健康食としても注目を集めている。
〝温故知新〟による新たな取り組みが、いま期待されている。
有限会社林隆三商店で広報担当を務める佐藤美木子さん
【参照Webサイト】
農林水産省『うちの郷土料理 』おきゅうと
筑前国続風土記(竹田文庫 福岡県立図書館所蔵)
『筑前国産物帳』・『筑前国産物絵図帳』・『筑前国産物並絵図取調等覚書』(福岡県立図書館所蔵)