福岡にある「国連ハビタット」を大学生ライターが徹底取材!

福岡から世界へ。国連ハビタットが築いていく「平和」と私なりの小さな「平和」。

アクロス福岡の中に、「国連ハビタット」という国連機関があることをご存知でしょうか?今回は、そのハビタットの活動について、福岡大学の大学生ライター・竹嶋さんが自身の経験をもとに迫ってくれました。就活を前に、彼女にとって「平和」の意味はどう変わったのか、読み応え満点の記事です。

忘れられない思い出

バイク、生春巻き、アオザイ…。私にとって初めての海外はベトナムでした。しかし、それは単なる海外旅行ではありませんでした。

私の家は自営業を営んでおり、外国人労働者の受け入れを行っています。そのため、母は、実習生の採用試験を行うために海外へ行き、採用試験が終われば実習生の家に家庭訪問をします。そう、私の初めての海外は、その付き添いとして訪れたものでした。
 
当時13歳だった私が実習生の家にお邪魔したとき、「私たちの暮らしとは全く違う」と衝撃を受けたことを覚えています。ここで感じた違いとは、もちろん文化的な面もありますが、金銭面や環境面でのことが大半を占めます。
 
しかし、衝撃を受けている私をよそに、実習生の家族は、手作りの料理をたくさん用意してくれました。そこで頂いたベトナム料理は、現地で食べた料理の中で1番美味しかったです。たくさんの手作り料理とお菓子を頂きながら、楽しくお話をした後、実習生の両親は空港までバイクで送ってくれました。
 
そして、別れ際には、熱いハグと「ありがとう」の言葉を何度もくれました。さらには、私が家庭訪問のときに「かわいい!」と気に入っていたおもちゃをプレゼントしてくれました。そのおもちゃは、私を空港に送る前に急いで買ってきてくれたそうです。
 
家庭訪問をしたとき、外の世界を何も知らずまだ幼かった私は、彼らのことを「かわいそう」だと思っていました。しかし、別れ際に感じたのは、「かわいそう」の一言だけでは割り切れない、心臓がギュッと潰されるような、どこか暖かいような、複雑で不思議な想いです。あんなにあたたかく迎え入れてくれて、おもてなしをしてくれて、たくさんの「ありがとう」を伝えてくれた7年前の出来事は、今でも強く心に残っています。
 
これらの思い出は、20歳になった今でも何度も思い返すのですが、ふと、母はどうして家庭訪問をするのだろうと疑問に思いました。
 
母はそのことについて、こう答えてくれました。
「実習生の家族からすれば、どういうところで働くのかな?騙されてないかな?ってたくさん不安があると思う。娘を異国の地に送り出すんだからね。だから、その不安を取り除くために家庭訪問をするの。会社の紹介をしたり、会社の周りの環境を説明したり…。寮の隣には私が住んでいて、何かあったらすぐにサポートできることも伝える。お母さん自身も実習生の家を訪問することで、実習生への思入れが強くなるのよ。だから、家庭訪問はとても大切なことだと思うね。」
 
この言葉を聞いたとき、母が実習生に対して、日頃から感謝の気持ちと愛情を持って接していることを思い出しました。それと同時に、「本当に貧しい人には雇用の機会がまわらない」「その人たちに何かしてあげたいけど自分の力じゃ何もできない」といつも話していたことも思い出しました。

福岡から世界に平和を…国連ハビタットとは?

そんな私が、とあるきっかけで「国連ハビタットhttps://fukuoka.unhabitat.org/」という国連機関を知ることになります。「国連ハビタットって何だろう?」そんな疑問と興味があったため、まずは調べてみることにしました。
 

写真提供:国連ハビタット
 
皆さん、ユニセフやユネスコといった名前は聞いたことがありますよね。国連ハビタットも、そのような国連機関の1つで、都市化や居住に関するさまざまな問題に取り組み、社会的、環境的に持続可能な街づくりを目指しています
 
では、そんな国連ハビタットのアジア太平洋地域本部が、アクロス福岡にあることはご存知でしょうか?実は、ここ福岡から、アジア太平洋地域42ヵ国を管轄しており、その内、17ヵ国に置かれたオフィスでは、約1700人もの職員がさまざまな事業に従事しているのです。

国連ハビタット福岡本部(アジア太平洋地域担当)とは

これまで日本国内の国連機関は、東京・名古屋・大阪の3大都市圏に集中していました。
1997年、福岡県や福岡市、地元経済界による誘致活動により、「アジアの玄関口」である福岡に、国連ハビタットのアジア太平洋地域本部が開設されました。

現地での実際の活動

国連ハビタットの活動をもっと詳しく知りたい!現地に行って活躍されている方について知りたい!そう思った私は、アフガニスタンで実際にご活躍されている松尾敬子さんの講演会に参加してみることにしました。
 
松尾さんが活動されている国は、アフガニスタンです。アフガニスタンは、日本と6,300キロメートルの距離があります。また、人口は約3,000万人といわれ、約500万人は国外に難民として避難しています。
 
そんなアフガニスタンが抱えている都市問題の中に、雇用問題と衛生問題があります。帰還民や国内避難民の流入によって都市人口が増加すると、雇用機会が少なくなり、生計維持のために反政府組織に加入する人々もでてきます。雇用機会がないため、税金が払えず、市へお金が回らない。そのため、清掃員も確保できません。また街のごみ回収や道路清掃が行われていない現状をみて、市民は行政に対して不信感が募らせ、それが税金を払わない理由ともなります。


マザーリシャリフ市の道路の様子(精肉店の前)

そこで、まずは雇用創出を目的に、コミュニティの人々を市の清掃員として公的に雇用する活動が行われました。これには、1日1人あたり6.5ドルの給金(月額約150ドル)が与えられ、銀行口座開設の支援も行われます。すると、労働すれば毎月安定したお金が入る経験ができ、貯蓄や支出計画も立てられ、フォーマルな雇用を提供することができるのです。
 
また、衛生改善を目的に、市内にローテーションで清掃員を派遣することも行われました。このとき、コミュニティ開発委員会を通じた労働管理を行います。そして、市の清掃員は、オレンジの作業着を着ることに加えて、側溝や道路の清掃だけでなく、中間集積場へのゴミの運搬までも行いました。すると、衛生状況の改善はもちろん、市の清掃員への認知が高まり税金を払おうとする人が増えることに繋がります。結果、コミュニティと市が協働することも可能になるのです。
 
これに加えて、ゴミを「回収する」だけでなく、「減らす」ために、衛生教育も行われました。ここで重要なのは、アフガニスタン人にできる方法であるか、受け入れられる方法であるか、彼らの社会的、文化的に合った方法なのか、というものです。そこで、女性コミュニティメンバーによる家庭訪問や、学校における衛生プログラムが実施されました。

女性コミュニティメンバーによる家庭訪問では、「ゴミはこんなふうに処理してくださいね」と一軒一軒伝えて回ります。こうすることで、確実に個別にアプローチすることができ、さらには女性が活躍する場が設けられるのです。また、そんなコミュニティの認知が高まり、コミュニティの輪はさらに広がります。

学校における衛生プログラムでは、子どもたちは衛生観念だけを学ぶのではなく、「行動」も学びます。「行動」を学ぶことによって、それを家に持ち帰り、家庭に学びを伝えることができるのです。

国連ハビタットは他にも…

このように国連ハビタットは、アメリカやEUなどのさまざまな国・機関から支援をもらい、世界の居住環境に係る問題を解決するプログラムを実施しています。このような事業は、他にもミャンマーやフィリピン、パキスタンなどで行われており、廃棄物処理緊急改善計画や海洋プラスチックゴミを減らす活動をしているそうです。
 
また、国連ハビタットは、昨年から流行している新型コロナウイルスの緊急対応も行っています。実行中のプログラムの中からできることを、対策活動として行っているそうです。
 
例えば、ミャンマーでは、「ラカイン州居住区支援プログラム」(インフラ整備や衛生改善を通じた避難民であるロヒンギャの再居住支援)が行われていますが、その地域において、早速公共の手洗い場を設置したり、コミュニティ住民たちに感染拡大防止に関する資料を配布したりしています。このような対策活動は、ミャンマーの他にも、カンボジアやエチオピア、ケニアなどでも行われているそうです。


ラカイン州シットウェに設置した手洗い場。カフェに入る前には手を洗う。

コミュニティメンバーの声

そんな国連ハビタットアフガニスタンの事業に対し、コミュニティメンバーからはこんな声が寄せられています。
 
「26歳です。18歳で結婚し、現在小さな子どもが3人います。夫に仕事がないため、仕事ができることが大変幸せです。みんなのまとめ役としての仕事はとてもやりがいがあります。」
 
「56歳です。子どもが6人います。私だけが働き手です。どんな仕事でも機会をいただけることが本当に有難いです。日本の皆さん、ありがとう。」
 
お金を渡すだけではなく、双方向のコミュニケーションをとる。それによって、国と国との友情も育まれています
 
松尾さんは、現地の職員と信頼関係を築いていく上で
信頼関係は、築くのはとても大変なのに、壊れるのは一瞬です。嘘をつかない。適当なことを言わない。彼らの仕事を120%サポートする。相談があれば受け入れる。嫌われてもいいので違うと思ったら言う。自分のことをさらけ出して、彼らもさらけ出して目線を合わせて話す。これを大切にしています。」
とおっしゃっていました。この言葉がまさに、現地の職員一人ひとりと真摯に向き合うことで、国境を越えて絆を深めていることを表しているのだと感じました。

「生きること」と「死ぬこと」

現地で働いていれば、命の危機にさらされることもあるでしょう。松尾さんは、生きることと死ぬことの価値観についてのお話も聞かせてくれました。
 
「8キロ離れた所で、大規模なテロが起きた時がありました。たくさんの爆弾を積んだトラックが爆発したのです。自爆テロでした。私は、8キロ離れたオフィスの中にいましたが、自分のすぐそばで爆発したんじゃないかと思うくらいの大きな爆音がしました。

そして、爆風によって、オフィスのドアがバン!と開くという経験をしました。私はそれが初めての経験だったのですが、パニックになり、知らないうちに涙が出てきました。アフガニスタンで働いていると、そういう経験を何度も繰り返します。

すると、命を落とすということはそれほど怖くないけれど、どうせ命を落とすのであれば、きっちり働いて、その姿勢を見せて、人生を全うしてやろうという気持ちになりました。」
 
私はこのエピソードを聞いた時、正直言葉が出ませんでした。というのも、「自分の命を落としてでも自分の仕事を全うしたい。」という覚悟はとても素晴らしいことですが、それを素晴らしいという言葉だけで表現すべきでないと感じたからです。素晴らしいと言ってしまえば、それはどこか他人事のような気がします。

しかし、とにかく私にはそのような覚悟は持てないと思いました。松尾さんのリアルな体験を聞くだけでゾッとしたし、命を懸けてでも何かをやり遂げたいという考えが今までになかったからです。
 
母の仕事では、数年前からミャンマーの実習生の受け入れを行っているのですが、ここでも命について考えさせられることがあります。というのも、最近ミャンマーではクーデターが起きており、ミャンマーに帰国した実習生から、たくさんのメッセージや現地の動画が母に届くのです。
 
「武器を持っていないのにどんどん人が殺されている。悲しい。怖い」
「外はかなり危険な状況です。仕事さえも行けないから、もうすぐ食事をとることも困難になるかもしれない」
「電話やネットが使えなくなりました」
「今は武器を持たずに戦っているけれど、これを解決するには戦争をするしか方法がない」
「軍を殺したいです」
 
「戦争をするしか方法がない。」「軍を殺したい。」そういう言葉を発してしまうほど、現地は大変な状況であること。そして、人々が殺され傷つけられていく悔しさ。母はこのメッセージに「戦争をしてはいけません。今よりもたくさんの人が死んでしまうから。」と返したそうですが、それでも、彼女の意見が変わることはありませんでした。
 
この話を聞いた私も母と一緒にたくさん考えたのですが、これ以上返す言葉が見つからず「あなたの命だけでも、どうか大切にね。」とだけ返しました。私たちは生まれた時から平和な日本にいるため、彼女たちの気持ちを100%分かってあげることはできません。かけてあげる言葉も見つからず、何もすることができない私は、とても無力です。

松尾さんや実習生の話から、改めて、場所や時代が変わるだけでこんなにも状況が違うのかと衝撃を受けました。もし私たちがその状況におかれていたら「生きること」「死ぬこと」についてどう考えるのでしょう。「平和」とは、元から存在するものではなく、築いていかなければならないもの、その上とても儚いものだと思い知らされます
 
「平和」の意味を調べてみると、「戦争や紛争がない状態」の他に、「心配や揉め事がない穏やかな状態」と出てきます。つまり、「平和」な状態を目指すには、戦争や争いごとを無くすだけでなく、この社会に存在する不安事や心配事などのさまざまな問題を解決し、穏やかで楽しくて心地の良い状態を築かなければなりません。

3年生に上がり将来について少しずつ考える今、私は誰かの平和に繋がるような仕事をしたいと思いました。どんな仕事でも誰かのためになるもの、小さくても大きくても誰かの平和を作っているものです。松尾さんのように、人や物事に真摯に向き合い、自分の仕事を全うする。そうすれば、こんな私でも誰かの小さな「平和」を作れるのではないか、そう信じてこれから活動していきたいと思いました。

国連ハビタット福岡本部(アジア太平洋担当)
https://fukuoka.unhabitat.org/

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大学生ライター
竹嶋海音
2001年生まれ、福岡県柳川市在住。現在福岡大学商学部3年(2021年4月現在)。飛田ゼミナールに所属。名前の由来である「海のように広い心を持ち深みのある人」になれるよう、何事にも挑戦し励んでいます。

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