福岡テンジン大学って知っていましたか?
「学長というから、もっと年配の方が来るのかと思ってました。」
先月初旬、長崎県の某銀行本店で開催された商工会の催しで、SDGsセミナーに登壇したとき、アテンドいただいた方より言われた言葉です。
セミナー登壇や行政関連の委員では、これまでほぼ最年少。自分がこんな場にいて良いのだろうか?と思うことが多かったのですが、どれもこれも“学長”という肩書きの希少性から声がかかるのかもしれません。
この、本物の教育機関の大学ではない、運営はNPO法人である福岡テンジン大学(正式には、特定非営利活動法人 福岡テンジン・ユニバーシティ・ネットワーク)の学長として、これまでの社会人人生の半分ほどのキャリアを過ごしてきました。
福岡の中だけでなく、県外やまちづくり関連の方々からも、「テンジン大学、名前は聞いたことがある」と言われることが多いのですが、その実態をよく知る人はあまりいないと思われます。
今回は、実態はよく知られていないであろう「福岡テンジン大学」についてを解剖してみることにします!
数字でみる福岡テンジン大学
そもそも福岡テンジン大学とは?
開校前に自分でコピーを引いたのがこちらの文。
こうして2010年9月に開校した福岡テンジン大学。以来、毎月第4土曜日を“福岡テンジン大学の日”として、その日に授業と呼ばれる“場”を毎月数コマ開いてきました。
<数字でみる福岡テンジン大学>
(内訳:男性34%・女性66%、20~40代で80%)
開催した授業数:483コマ
授業に参加した人数:10,696名
街の先生:397名
街の教室:202箇所
メディア掲載:113回
(内訳:TV18回、新聞29回、ラジオ8回、雑誌32回、WEBメディア26回、書籍3回)
毎月2~3コマの授業数のため、参加者数はあまり大きい数字ではありません。にも関わらず、思った以上にメディアで取り上げていただいたり、学生登録した方や参加した方が口々に話題にしてくれた結果、「名前を聞いたことがある」と言われることが多いのかもしれません。
そもそも、なぜ福岡テンジン大学をつくったのか?
2004年に初めて参加した天神の朝そうじ。緑のビブスを着てそうじをするグリーンバードです。このグリーンバードで活動を続けていると、2006年に2つの大きな出来事が起きました。
当時、渋谷区議会議員だった長谷部健さんは博報堂出身。3月に横浜で取材の仕事があり、ライターを長谷部さんに紹介してもらったことのお礼を兼ねて、取材終わりに渋谷の表参道の事務所へ向かいました。
「いま、シブヤ大学というのをつくるプロジェクトが進んでて」。
その言葉を聞いて、頭の中に電気が走ったのか「じゃあ僕は福岡でテンジン大学つくります!」と即答していました。
同年5月、福岡の天神を拠点としたエリアマネジメントをする団体・We Love 天神協議会が立ち上がります。グリーンバードの活動をしていたことがキッカケで声をかけられ、当時の本業とは別でワーキングメンバーとして参画することとなりました。
天神のまちづくりに関わり始めたこと、テンジン大学というアイデアが生まれたこと、この2つは自然と重なり「いつか実現したい」と思うようになりました。
福岡市が始めた共働事業提案制度の応募団体募集チラシ
転機が来たのは2009年、当時サラリーマンをしていた会社を辞めてフリーランスとして独立。その直後に、当時の福岡市市民局市民公益活動推進課長を務めていた小松政さん(現・佐賀県武雄市長)が、「福岡市共働事業提案制度」のチラシを持ってきたことで、「この制度を活用してテンジン大学を立ち上げられないか」と動き始めたのです。
※福岡市共働事業制度とは
立ち上げのために資金を集めて開校
脱サラしたとは言え、資金があったわけでも、事業があったわけでもなかった中で、この「福岡市共働事業提案制度」の仕組みは、神が与えてくれたチャンスなのではないか?とすら思いました。
事業計画など各申請書類を書き、プレゼン資料を作成し、その1年は独立後の仕事もしながらなものの、夢中で「テンジン大学を立ち上げよう」と動き回っていました。
そして、2009年度に最終審査を通過して「採択」が決まり、2010年度より立ち上げが決定しました。
しかし、この制度では福岡市からも事業予算が捻出されるとは言え、提案する市民側も予算を出さなければいけません。このとき、今でこそクラウドファンディングのサービスを提供するプラットフォームがありますが、2009年当時はありません。
2010年となり、名前が正式に「福岡テンジン大学」となり、ロゴも決定、そしてすぐに立ち上げたのがTwitterとブログ。並行して「福岡テンジン大学設立支援サポーター」の募集を始めました。企業・団体は1口3万円、個人は1口5,000円、で知人にお願いに回る日々。ある日、見知らぬ企業から連絡と入金をいただき驚いたことも。
企業・団体は32社、個人は61名の方々から合計約150万円ほどの資金を調達。それによりWEBサイトや学生登録の仕組みを整備したり、開校後の運転資金となりました。
28歳で福岡テンジン大学の学長として開校式でプレゼンテーション
こうして、2010年9月23日に西鉄ホールで開校式を迎えることができました。
開校10年が経ち見えてきたこと
その後、毎月第4土曜日に授業を開催、運営資金は個人による寄付会員(ファンクラブ)や企業などによる協賛(法人サポーター)、そして授業参加者からの募金、さらに「福岡テンジン大学で協働して授業をやりたい」という企業とのコラボレーション授業で協賛いただき、運営を行ってきました。
西鉄とのコラボ授業では観光列車レールキッチンチクゴの事業立ち上げ舞台裏を体験
開校当初は「最低でも5年は絶対に続けよう」と思っていましたが、2021年となり開校準備から数えると12年が経ったことに自分自身でも驚きます。では、この12年の間に何が起きたのでしょうか?
最も変化を実感しているのが、ボランティアスタッフです。リーダーである学長が28歳のときに開校したため、この頃のボランティアスタッフのメインはやはり20代でしたが、今では20・30・40代を中心に高校生から60代の方まで年齢も職業も幅広い方々が運営に参加しています。
開校2周年では「テンジン大学ってなんなんだろう?」を参加者が持ちよる対話授業を実施
福岡テンジン大学の授業の最大の特徴が、「授業を企画する人が、その授業の1人目の受講者になったつもりで、参加したいテーマの授業を企画する」というもの。「授業企画」は原則有償ボランティアとして運営の仕組みをつくり、これは開校当初より変わっていないものの1つです。
この「授業企画」には、先生との調整、教室の選定、企画の切り口、対話のファシリテーション方法、授業のタイトルや告知の文章までをトータルコーディネートします。これを複数回経験した人は、「人・物・金・情報」をプロデュースする経験値が蓄積されるのか、その後に本業で活躍して出世する人は後を絶たず、転職する人や起業する人、地域活性化で活動して有名になる人など様々です。
近年では、この「授業企画」の仕組みそのものを教えて欲しいと研修依頼をする自治体や、本物の大学から学生が学習としてプロジェクト活動を行う「PBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)」の中で取り入れられないかという相談や講義の依頼が来るように。
この「授業企画」では、「その授業がなぜ福岡のまちに必要か?」を言語化しなければいけないプロセスがあり、開校当初からの理念そのものだと考えています。
近年、産業界からの相談や講演依頼も増えている背景には、SDGsの日本での広がりもあり、「その事業がなぜそのまちに必要か?」を問い始めるビジネスマンや企業が増えているからなのかもしれません。
大事にしてきた「体験の言語化」
福岡テンジン大学が開校当初より大事にしてきたことの1つに「リフレクション」、いわゆるふりかえりがあります。
これは授業に参加した方が「参加した方自身が何を学び、これからどう意識や行動が変わりそうか?」という自身の体験への評価、つまり「体験の言語化」をするここと。
同様に「授業企画」をしたスタッフや、当日授業の運営に入ったボランティアスタッフも、授業の「リフレクション」を行うことをひたすらやり続けてきました。
先月、ボランティアスタッフになって3年ほどになる50代の方から言われた言葉を紹介したいと思います。
それはワークショップ慣れしていないこともあったけど、1番は自分の過去に向き合うのが嫌な人だったからだと思います。感想はいつも楽しかった。面白かったしかない…。出来事をぼやッとしか捉えたくないから。
でも、3年テンジン大学でリフレクションをやっているうちに、リフレクションありきでものごとを捉える癖がつきました。そして、誰からも否定されないテンジン大学の中で、自己肯定感が育ちつつ、授業だけでなく、自分の心を整理することが出来て、長年確執のあった親にも優しくなれたんです。
その他にも、これまで延べ1万人以上の参加者がリフレクションという「体験の言語化」を通して、福岡のまちについて想いを馳せたり、身近な人間関係や仕事で抱える課題が解決されたりなど、いろんな声を聞いてきました。
福岡城に勤めはじめる武士1日目の設定で城内をまち歩きする授業
福岡市科学館・博物館・美術館の館長と一緒に「大人の学び」について考える授業
2010年に開校して以来、福岡のまちの中で小さく展開してきた福岡テンジン大学。当初では想像していなかった多くの出来事が起こったこと、授業という「対話がある学びの場」によって、福岡のまちとの距離感が変わったり、新たな人間関係が構築されていく様子を眺めて思うことがあります。
福岡というまちに根差した、学び合いのあるゆるく繋がれるコミュニティが福岡テンジン大学が実現しようとしていることなんだと。この、「まちに根差した」と「ゆるく繋がれる」の先にあるものとは、きっと「このまちにいたら安心する」「このまちにいたら挑戦できる」という、“まちの心理的安全性”を高めることなんだと思います。
何歳になっても、好奇心を刺激する繋がれるまちにしたい。そんな福岡が実現できたとき、福岡テンジン大学はまちの一部となって、その存在の必要性がなくなるのかもしれません。
さて、長々と12年分を思い出しながら書いたので、次回は「もう2度と実現しない想い出の授業」をランキング形式でお届けしようと思います!
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