【石原和幸の夢コラム】

「夢の花屋をつくりたい」。再チャレンジで福岡・天神西通りへの出店を実現する!

将来女の子がなりたい仕事と言えば、必ず上位に入るくらいに花屋が憧れの仕事だった時代がありました。ただ花屋というのは大変な商売です。花の消費が減少している昨今では、毎年個人経営の花屋が全国で休廃業し、少なくなっていっているのが実状です。ただ僕は花が好き。花がないと生きていけません。20代のころには全国に80店舗もの花屋を展開して失敗しました。ですが、もう一度花屋の出店にチャレンジしたいと常々考えていました。

「できます」と言って、やり方はその後考えるのが僕の流儀

 
ある時、西鉄グランドホテル様から「花屋をやってもらえませんか」と思わぬ依頼をいただきました。それも隣のパン屋さんとのトータルコーディネートでフランスの街並みのように。
 
僕は二つ返事で「やらせていただきます!」と依頼を受けました。しかし何のプランも見込みもなく、ただ勢いだけで天神西通りに花屋を出すことを決めました。
 

後先を考えないといいますか…この推進力が僕の長所であり短所でもあるのだろうと思います。
 
普通なら人通りや客層などをマーケティングした上で出店を決めるのでしょうが、僕はまず行動します。スタッフにも「まずは “できます!” と言うように」 と助言しています。それ故に失敗も苦労も沢山ありますが、限られたチャンスを掴むためにはまず「できます」と言うのが僕のポリシーです。
 
後ろ向きの発言をすることでチャンスは逃げ、縮小してしまいます。僕の周りのスタッフは大変だと思いますが、その苦労を乗り越えたスタッフは間違いなく成長し強くなっているのです。
 

念願の花屋オープン。店名は、「福岡が花いっぱいになったらいいな」との思いを込めて

 
そんな勢いだけで出店を決めた花屋ですが、店名は『GIVRNY(ジベルニー)』にしました。由来は、クロード・モネという印象画を代表するフランスの画家がきっかけでした。
 
モネは絵を描くため、ジベルニーの地にあった自宅に庭園を造ったということで、その発想から僕は福岡を庭にするためにこの花屋を作ろうと考えました。7坪しかない小さな花屋から、「福岡が花いっぱいになったらいいな」との思いを込めて店名を決めました。
 

店長の人選では、こんな僕の無茶な性格を分かってくれている人でなければと思い、浮かんだのが、1人の女性の顔でした。僕が20年前に長崎で花屋をやっていたころに働いてくれていた、花が好きで、好きでたまらない女性です。
 
その女性が今どこで何をしているかを知人に尋ねて回りました。有力な情報は得られず、来る日も来る日も探し続けました。
 
そんなある日、「銀座で見たことがある」と有力な情報が入りました。その情報をもとに探すと輸入カーテンを販売しているお店で働いていることがわかりました。即アポを取って、20年ぶりに再会することができました。
 
まずは「今どがんしよると? たまには長崎に帰りよるとね?」と長崎弁を使って、昔話に花を咲かせながら、本題に入っていきました。
 
「早速やけど…、九州に帰るつもりはなかね? 福岡で夢みたいな花屋ば一緒にせんかな?」
と相談しました。
 
僕の性格を知った上でも、「えー!いきなりですか!? 相変わらず唐突ですね!」という驚きのリアクションのあと「少し考えさせてくれませんか」という返事でした。
 
「考えさせてください」ということは脈があると相変わらずのポジティブシンキングで待つことに。1週間、2週間が経ち、ダメかな…と感じていた時でした。「花屋、一緒にチャレンジさせてください」という嬉しい言葉が返ってきました。その後は周りを巻き込んで、念願の花屋をオープンさせることができたのです。
 
 
花屋『GIVRNY(ジベルニー)』のオープニングセレモニー風景

花がある日常にするために。「お花をもっと使ってもらわないと!」

 
冒頭でも書きましたが、花屋は大変な商売です。
 
僕が花屋を始めたころはバブル景気でほっといても花はガンガン売れましたが、今はそのような経済状況ではありません。オープン当初の売上は好調でしたが、コロナ禍もあって日に日に売れなくなり、赤字が続くようになりました。
 

ところで、普段、みなさんは花を購入する機会がどのくらいあるでしょうか? お祝い事やお別れなどの決まったシーンではよく使われているのではないかと思います。ただ一般的な日常生活の中でお花というのはまだまだ身近なものではなく、記念日のような特別な日に飾るというくらいではないでしょうか。
 
福岡の花の生産量は全国で上位ですが、逆に消費量となると全国でも下位の方になってしまいます。花を購入しない理由としては、「花を買う習慣がない」「手入れが大変、分からない」「経済的に余裕がない」などが挙げられています。やはり花がある日常生活を根付かせる必要があると感じました。
 
 

子供の頃から“花のある生活”を習慣づけることの大切さ

 
先日テレビを観ていると、横断歩道の歩行者に一時停止する車の割合という特集が放映されていました。トップは長野県だったのですが、なぜ長野県なのかというと、それは小学校の頃から、横断歩道を渡る時に車が止まってくれたら、ドライバーに「ありがとうございました」とペコっとお辞儀をするというのです。

長野県内の小学校ではこういった教育を何十年も行っていて、この子供たちが大人になり自分が運転をする立場になった時には、横断歩道で止まるドライバーとなるということなのです。
 
これを花に置き換えると、子供の頃から“花のある生活”を習慣づけることで、その子らが大人になった時に“花のある文化”を日々の生活の場に作ってくれるだろうと思いました。
 

今、福岡市では「一人一花運動」を通じて、行政、企業、団体、個人が共創して花のある街を作ろうとしています。それはただ単に花を増やすことだけではなく、人づくりという観点からもアプローチされているので、10年後、20年後の福岡は日常に花や緑が溢れ、さらに住み良い街になっていると僕は信じています。
 

「一人一花運動」を推進する福岡市の高島市長(写真右)と一緒に

僕も花屋『ジベルニー』と自分のブランドを活かしながら、少しずつですが花の消費を広げる仕掛けをしていきます。

11月からは福岡のLOVE FM「Top of the Morning」という番組の毎週木曜日、午前9時20分から 「石原和幸のフラワーレターhttps://lovefm.co.jp/news/archives/105コーナーを持たせてもらいました。番組内でメッセージをくれた方には、お花をプゼントするようにしています。

これは僕の夢でもありますが、お菓子とお花の組み合わせた商品を開発するなど、もっともっと花が身近に感じられるようにチャレンジしていきたいと思っています。
 

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庭園デザイナー
石原和幸
長崎市生まれ。22歳で生け花の本流『池坊』に入門。以来、花と緑に魅了され生花の路上販売から店舗販売、そして庭造りをスタート。その後、苔を使った庭で独自の世界観が「英国チェルシーフラワーショー」で高く評価されこれまで14回出展し計11個の金メダルを受賞。エリザベス女王より「緑の魔術師」と称される。全国で庭と壁面緑化など緑化事業を展開し環境保護に貢献すべく活躍中。

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