日本の年間世帯消費額はせんべい5,783円、まんじゅう863円、カステラ801円、ようかん677円
蒸しまんじゅう、焼きまんじゅう、葛まんじゅう、栗まんじゅう、酒まんじゅう、薯蕷まんじゅう、そばまんじゅう、麩まんじゅう、田舎まんじゅう、温泉まんじゅう、薄皮まんじゅう、 織部まんじゅう、唐まんじゅう……。
日本に古くから伝わる伝統菓子である和菓子において、その代表格の一つがまんじゅうだ。まんじゅうの種類は多彩であり、地域性豊かな菓子でもある。
総務省統計局が2023年2月7日に発表した、『家計調査(二人以上の世帯)』品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2020年~2022年)によると、日本の1世帯あたりにおけるまんじゅうの年間消費支出額は、平均863円だった。
この数字は、アイスクリーム・シャーベット1万369円、ケーキ7,511円、せんべい5,783円に遠く及ばないものの、カステラ801円、ようかん677円を上回る金額だ。
なお、日本の一般世帯における菓子類の年間消費支出額は、8万9,367円であり、まんじゅうの占める割合は1パーセント弱となる。
一方、2020年10月1日実施の勢調査(確定値)によると、全国の一般世帯数は5,570万世帯だ。
まんじゅうの年間世帯消費支出額と全国一般世帯数を基に推計すると、日本では年間480億円のまんじゅうが購入されて消費されている計算となる。
また、日本の都道府県庁所在市および政令指定都市である52都市を対象にした、まんじゅうの年間世帯消費支出額ランキングでは、福島市2,041円、鳥取市1,772円、鹿児島市1,656円が、全国のトップ3だった。
福岡市和菓子組合の松本弘樹理事長
まんじゅうをはじめとする和菓子を巡る現況について、福岡市和菓子組合の松本弘樹理事長は、次のようにコメントする。
松本弘樹理事長
一方、和菓子業界全体の売り上げは、最近30年は横ばい状態で、かつて和菓子販売の中心は専門店でした。
今日ではコンビニやスーパーなどの量販店にも販売先が広がっており、消費者にとっての選択肢は拡大しています。
コンビニの取扱商品になっていることからも明らかなように和菓子自体のマーケットはしっかりと存在しており、まだまだ伸び代のある商品だと考えています。
中国由来のまんじゅうの考案者は三国志の宰相・諸葛孔明!?
まんじゅうは、日本古来の文物の多くと同様、中国にルーツを持つ。
中国由来のまんじゅうの起源としては、三国志において蜀漢の名宰相・軍師として知られる諸葛孔明を考案者とする説もある。
北宋時代に著された『事物紀原』『七類修稿』によると、南征からの帰途の途中で孔明は、川の氾濫を沈める人身御供として、人の首を切って頭を川に投げ込む風習と出会った。
このような悪習を改めたいと考えた孔明は、小麦粉で練った皮に羊や豚の肉を詰めて人の頭に替わりとして川に投げ込むと、氾濫が静まったという。
これが、今日伝わるまんじゅうの起源とされて当初、中国においては肉を入れた食べ物を『蛮頭(まんとう)』と呼んでいたそうだ。
その後、中国の蛮頭が日本へ伝来した際、肉あんに替わって小豆あんなどを入れるようになり、今日伝わるまんじゅうの原型が、日本で考案されたとされる。
日本のまんじゅう発祥地は博多なのか、それとも奈良なのか
日本におけるまんじゅうの発祥地については今日、2つの地域が候補地として考えられている。
一つは博多であり、もう一つは奈良だ。それぞれの説の根拠や経緯をみていこう。
まんじゅう発祥地『博多』説
『御饅頭所碑』(画像提供:福岡市)
古来、中国大陸や朝鮮半島との窓口だった博多を日本での発祥地とした文物は多い。
うどん、そば、まんじゅうなどの粉食文化の日本における発祥地は博多とされる。
鎌倉期に宋へ留学した臨済宗の僧・円爾は、1241年(仁治2)の帰朝で博多に上陸した。
そして、太宰少弐藤資頼や宋人貿易商の謝国明らの助力で承天寺を開山した。
円爾が宋から持ち帰った技術の一つが、水車の動力を用いた『水磨様』といわれる石臼と杵による製粉技術だった。新しい製粉技術の伝来によって、うどん、そば、まんじゅうなどの粉食文化が一気に日本でも花開いた。
円爾が、博多の西側にある荒津山一帯を托鉢で回っていると、いつも親切にしてくれる、茶店主の栗波吉右衛門という者がいたそうだ。
円爾は、日頃のお礼として、店主に酒まんじゅうの作り方を伝授し、『御饅頭所』の看板を与えたという。
その後、栗波吉右衛門は『虎屋』という屋号で酒まんじゅうを売り出した。
今日、承天寺に『御饅頭所碑』があり、御饅頭所の看板は現在、東京の虎屋が保存する。
なお、円爾が疫病退散を願って祈祷水を撒きながら町を清めて回ったことが、博多祇園山笠の始まりとされる。
その後、上洛した円爾は、京都で東福寺を開山した。
没後、円爾は日本で初となる国師号を贈られており、聖一国師とも呼ばれている。
まんじゅう発祥地『奈良』説
博多と共にまんじゅうの発祥地とされるのが、奈良だ。
室町初期、臨済宗の僧だった龍山徳見が1349年に帰朝した際、その俗弟子として随伴してきた林浄因が伝えたとする説である。
禅宗で茶菓子としてまんじゅうを用いる際、肉の替わりに小豆を入れたまんじゅうを考案したという。
その後、浄因は奈良の漢國神社近くで塩瀬という店を営んだと伝わる。
今日、漢國神社内に林神社と呼ばれるまんじゅうの神社があり、菓祖神として祀られている。
◇ ◇ ◇ ◇
まんじゅう発祥地の博多説、奈良説について松本理事長は次のような見解を示す。
松本理事長
承天寺に『御饅頭所碑』がある通り、まんじゅうをはじめうどんやそばなどの粉食文化は、九州・博多を日本の窓口にして各地へ広がっていったのではないでしょうか。
特にお菓子の場合、神社や仏閣などの宗教文化とも関連が深いだけに日本各地で発展し、成熟してきた経緯があります。
日本におけるまんじゅうの発祥地については、歴史的背景や地理的な要因も踏まえて、博多説を推したいと思います。
コロナ禍で邪気払いとして食する和菓子の催事売上が倍増!?
画像提供:福岡市和菓子組合
実は名古屋などで名物とされる『ういろう』についても起源や由来に諸説ある中、博多も日本での発祥地の一つとされている。
1368年(正平23)、元朝で礼部院外郎という薬務職に就いていた陳延祐が、博多の妙楽寺を頼って日本に亡命して来た。
その際に『外郎』(ういろう)という万能薬を持ち込んだという。
そして、妙楽寺には、『ういろう伝来之地』の石碑がある。
博多と名古屋の間に位置する京都には、三角形のういろうの上に小豆をのせた旧暦6月と同名の和菓子『水無月』がある。京都では、昔から1年の折り返しとなる6月30日に夏越祓いとして水無月を食べて邪気を払う風習がある。
一方、福岡・博多の地には、福岡市和菓子組合の会員有志らで1999年から始めた『博多水無月』という和菓子がある。
わらび粉と小豆を主原料に笹で巻くという決め事の下、各和菓子店が創意工夫した独自の博多水無月を例年、5月中旬~7月末日の期間限定で販売している。
松本理事長は、博多水無月の経緯と現状について、次のように明かす。
松本理事長
若いころに京都で修業した際に『水無月』という和菓子と出会い、そして食を文化として根付かせることの大切さを学びました。
今年、25周年を迎える『博多水無月』は1999年に「福博の100年後のスタンダード」という目標の旗を掲げて、組合員有志で徒党を組んで期間限定で始めた取り組みです。
当初から毎年、福岡市内の百貨店で博多水無月の共同催事を開催しており、地元の方々の間でも定着してきたことを実感しています。
特に最近3年間はコロナ禍だったものの、邪気払いとしても召し上がる博多水無月の催事での売り上げは伸びており、コロナ禍前に比べて倍増しています。
〝食のおいしい都市〟福岡市の秘密解明が今後、求められる
『ういろう伝来之地』碑
近年、福岡市は〝食のおいしい都市〟としての評価も高い。
食材の豊かさや鮮度、職人らの技量などに加えて、中国大陸や朝鮮半島に近いという地政学的な要因や歴史的な背景も要因の一つになっていると考えられる。
いま一度、「なぜ、福岡市の食がおいしいのか?」という原点に立ち戻って、要因分析をすべきではないだろうか。
その上で古来、新しいモノ好きでオープンマインドな気質も生かしていきながら、福岡・博多の食について、さらに磨きを掛け、そして新たな食文化の創造にも挑んでいくべきではないかと考える。
参照サイト
家計調査(二人以上の世帯)品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2020年~2022年平均)
https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html
博多の魅力 萬松山 承天寺
https://hakatanomiryoku.com/spot/%E8%90%AC%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E3%80%80%E6%89%BF%E5%A4%A9%E5%AF%BA
漢國神社 林神社
http://kangou-jinja.jp/manju/
歴史上の人物と和菓子 聖一国師と酒饅頭
https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko/historical-personage/bunko-historical-personage-038
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