1.「だざいふ」の漢字は「太」宰府なのか「大」宰府なのか迷う
太宰府天満宮で有名な太宰府市。
みなさんは『「太」宰府』のように「太い」という漢字を使って表記されている場合と、『「大」宰府』のように「大きい」という漢字を使って表記されている場合の使い分けをご存知でしょうか?
太宰府市文化財情報のホームページによると、古代の印を見てみると『「大」宰府』と、「大きい」という漢字を使って表記されているのだそうです。
しかし、奈良時代の文献などには『「太」宰府』と「太い」という漢字を使って表記されているのだそうです。
なので、歴史上でも「太」が使われている場合と「大」が使われている場合があるようです。
ただ、昭和30年代に九州大学で考古学研究を行っていた鏡山猛教授は、地名や天満宮は『「太」宰府』、古代の役所や遺跡は『「大」宰府』、と使い分けをしていました。
それに従って、市町村でも、地名や天満宮は『「太」宰府』、古代の役所や遺跡は『「大」宰府』と表記するように決めたのだそうです。
なので、みなさんも『「太」宰府』と『「大」宰府』で迷った場合は「遺跡は大」とおぼえておくといいと思います。
2.初めて見た人は「雑餉隈」が読めないし書けない
福岡の地図や路線図を見ていると、どう読んでいいのかわからない難読地名と出会うことがあります。
例えば、難読地名としてよく挙げられるものに、西鉄天神大牟田線の「雑餉隈駅」があります。
これは「ざっしょのくま」と読みます。
由来については諸説あり、雑掌(ざっしょう)という大宰府の役人が住んでいた場所という説が有力です。
「隈」とは 「端」を意味し、「雑掌が住む地方」を表した地名と言われています。
福岡市南区にある「警弥郷」も読みが難しい地名です。
こちらの読みは「けやごう」と読みます。
明治20年に弥永村(やながむら)、上警固村(かみけごむら)、東郷村(とうごうむら)の3つの村が合併して成立した地名です。
弥永村、上警固村、東郷村をそれぞれ知っていれば難読ではありませんが、知らない後世の人にとっては読むのが非常に難しい名前になっています。
以前は警弥郷村でしたが、現在は字(あざ)の「警弥郷」として残っています。
福岡市博多区にある「対馬小路」は「つしまこうじ」などと読んでしまいそうになりますが、正しい読みは「つましょうじ」です。
戦国時代の戦で焼け野原となった博多の町を復興する際、対馬藩主宗義智の屋敷をこの場所に置いたことが由来になっています。
以前は「つしましょうじ」と呼ばれていたそうですが、時代を経るごとに「つましょうじ」になったと言われています。
3.別府を「べふ」と読みたくなる福岡市民
「別府」という漢字を見ると、おそらく全国のほとんどの人が大分県の別府温泉を連想して「べっぷ」と読むかと思います。
ただ、福岡市にある「別府」は「べっぷ」ではなく「べふ」と読みます。
読みは違いますが、地名の由来はいずれも「別勅符田(べっちょくふでん)」であると考えられています。
別勅符田は功績のあった役人に与えられた土地のことで、各地に多数存在したそうです。
そのため、現在でも別勅符田を略した「別府」という地名が全国に約300ヶ所あると言われています。
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歴史が古い福岡は地名からもいろいろなことを知ることができて面白いです。
他にも難読地名や珍しい地名がたくさんありますので、調べてみると何か新たな発見があるかもしれませんよ。
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<参照サイト>
『大宰府』と『太宰府』のちがいについて教えてください。| 太宰府市文化財情報
「別府」のむかし、いま、あす(創立50周年記念誌)|別府の歴史