刀伊の入寇

藤原隆家の足跡と刀伊の入寇の舞台をめぐる博多・太宰府旅

大河ドラマ「光る君へ」もいよいよクライマックス。紫式部を主人公にしたこの物語では、平安時代の華やかな貴族社会と地方の現実が交差します。その中で、博多を含む九州の地で起こった「刀伊の入寇」が今、注目されています。九州を守った英雄・藤原隆家の足跡をたどることのできるスポットを紹介します。

「光る君へ」のあらましと隆家の役割

まもなく最終回を迎えるNHKの大河ドラマ「光る君へ」は、吉高由里子さんが演じる紫式部(まひろ)が波乱に満ちた人生を歩む中、藤原道長(柄本佑)や藤原実資(秋山竜次)、藤原伊周(三浦翔平)といった人物たちとの関わりの中で、文学の才能を開花させる物語です。

 

 

特に、脚本を担当している大石静さんが繰り広げる紫式部と藤原道長がソウルメイトだったなら、という「if」設定での展開は、平安時代や源氏物語、枕草子への新たな興味層を生み、あと数回で終わってしまうことに対しすでに「ロス状態」になっている人も続出しています。

 

その一方で、物語の終盤に入り、九州の大宰府を拠点とした藤原隆家(竜星涼)が、外敵から博多を守り抜いた「刀伊の入寇」が描かれました。

今回の大河ドラマで「刀伊の入寇」が描かれるか否かが、歴史好きの間では密かな注目ポイントだったようで、怒涛の展開の中での九州回は予告の段階からSNSなどでも話題となっていました。

 

 

 

藤原隆家と大宰府への赴任の背景

そんな大注目の藤原隆家は、藤原道長の甥にあたる名門貴族。彼は中央政界で重要な役職を歴任する一方で、晩年に目を傷めるという不運に見舞われます。

当時、目の治療に優れた名医が九州・大宰府にいるとされていました。

隆家は藤原実資の勧めにより、時の帝・三条天皇に自ら懇願し、大宰権帥として大宰府への赴任を許されます。

 

 

このエピソードから、当時の大宰府が医療技術や文化の集積地として優れた地位にあったことがわかります。治療のために移り住んだ隆家は、その後、九州防衛に欠かせない人物として活躍を果たします。

 

※「大宰府」と「太宰府」の違いとは?(太宰府市ホームページより)

歴史上の役所は「大宰府」、行政上の地名などは「太宰府」と書くとされています

https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/bunkazai/1137.html

 

 

 

刀伊の入寇

隆家が大宰府に着任したのが1014年。その後、1019年に発生した「刀伊の入寇」は、北方から襲来した海賊集団が博多湾を拠点に暴れ回った事件です。この外敵に対し、藤原隆家は即座に対応し、官民を動員して九州を守り抜きました。

 

経緯と被害状況

対馬襲撃:3月27日、約50隻、総勢3,000人の賊が対馬に来襲。36人が殺害され、346人が拉致されました。

壱岐襲撃:続いて壱岐を襲撃。老人や子供を殺害し、壮年の男女を拉致。家屋を焼き払い、家畜を略奪しました。

九州本土襲撃:賊は博多湾に侵入し、筑前国や肥前国の沿岸部を襲撃しました。

 

藤原隆家の対応

当時、大宰権帥だった藤原隆家は、九州各地の武士団を率いて賊に立ち向かいました。

彼の指揮のもと、賊は撃退され、九州本土への更なる侵攻は防がれました。

 

その後の展開

賊は高麗沿岸にも襲撃を行いましたが、高麗軍によって撃退されました。

捕虜となっていた日本人約300人も救出されています。

 

歴史的意義

刀伊の入寇は、平安時代中期の日本における最大級の対外危機とされ、九州防衛の重要性を再認識させるきっかけとなりました。

 

参考リンク

壱岐観光 – 刀入寇

ウィキペディア – 刀入寇

 

 

 

藤原隆家ゆかりのスポットをめぐる博多・太宰府

「刀伊の入寇」と藤原隆家にゆかりのある博多・太宰府エリア。

「行ってみたい!」という方のために、主だったスポットについてまとめました。

 

1. 水城跡(太宰府市)

 

水城は、大宰府を守るために古代に築かれた防衛ラインで、巨大な土塁と堀からなります。刀伊の入寇の際、この地も防衛拠点のひとつとして活用されました。

 

藤原隆家は水城の地形を活かし、敵を迎え撃つための防御体制を整えました。現在は国指定史跡として保存されており、土塁の壮大なスケールを目の当たりにできます。平安時代の九州の防衛戦略を感じられる場所です。

 

住所:〒818-0138 福岡県大野城市下大利3丁目7−25

アクセス:天神から車で約30分

詳細:http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/030/001/020/2090.html

 

2. 大宰府政庁跡(太宰府市)

 

大宰府は、九州の政治・軍事・外交の中心地であり、刀伊の入寇時に藤原隆家が指揮を執った場所です。大宰権帥として隆家は、この地で朝廷から派遣された役人や地元の武士、住民を動員し、外敵の侵入に立ち向かいました。

現在「大宰府政庁跡」として整備されているこの場所では、政庁建物の基礎が残されており、隆家が指揮を取った当時の風景を想像することができます。広大な敷地を歩きながら、平安時代の九州統治の要を肌で感じてみてください。

 

住所:〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺4丁目6−1

アクセス:天神から車で約30分

詳細:https://www.dazaifu-japan-heritage.jp/dazaifu/jp/spots/dazaifu-government-office-ruins.html

 

3. 警固所と警固神社(福岡市中央区)

 

刀伊の入寇で重要な役割を果たしたのが、博多湾を見下ろす位置にあった警固所です。この施設は、敵の襲来を見張るための防衛拠点として設置されました。隆家は、警固所を拠点に博多の防衛戦略を指揮し、敵の動向を把握しつつ迎撃態勢を整えました。

 

警固所があった場所から移築されたと伝えられている警固神社は、福岡市中央区天神に位置しています。

住所:〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神2丁目2−20

アクセス:福岡市地下鉄、西鉄電車ともに天神駅から徒歩5分以内です

詳細:https://www.kegojinja.or.jp

 

 

 

訪問時のおすすめプラン

「どんなルートで移動したらいいかしら?」「所要時間はどのくらい?」という方のために、半日/1日コースをご紹介します。

 

半日コース:太宰府市で刀伊の入寇を体感

※午前または午後のプラン

1.水城跡(太宰府市)

古代から九州防衛の要であり、刀伊の入寇時にも活用された土塁と堀の跡地。
土塁のスケールを目の当たりにしながら、平安時代の防衛戦略を実感することができます。

 

2.大宰府政庁跡(太宰府市)

刀伊の入寇時、藤原隆家が指揮を執った九州統治の中心地。
政庁跡を散策し、当時の政務や防衛体制を思い描ける広大な敷地が魅力です。
現地には案内板が設置されており、歴史を学びながら歩けます。

 

3.昼食または休憩
太宰府天満宮の参道で「梅ヶ枝餅」と抹茶を楽しむ。和の雰囲気を味わいながら、ゆったりとした時間を過ごせます。

 

太宰府観光モデルコース

>>こちらも参考にどうぞ

 

太宰府天満宮(オプション)
防衛拠点ではありませんが、九州を象徴する歴史的な神社ですので、せっかく太宰府まで行くなら訪問することをおすすめします。
学問の神として知られる菅原道真を祀るこの場所も、平安時代の歴史に深く関わっています。紫式部の父・藤原為時(岸谷五朗)は、「菅原道真」(すがわらのみちざね)の孫「菅原文時」(すがわらのふみとき)に師事し、和歌や漢学に励んだとされています。

 

ポイント
移動手段:太宰府市内での移動はレンタカーなどが便利です。
半日プランの魅力:刀伊の入寇という重大な歴史イベントを中心に、平安時代の防衛拠点をじっくりと見学。福岡観光の一部としても最適です。
追加オプション:時間が余った場合、九州国立博物館で平安時代の文化や関連展示を楽しむのもおすすめです。

 

 

1日コース:博多から太宰府まで刀伊の入寇ゆかりの地を満喫

午前

1.櫛田神社(福岡市博多区)

博多の総鎮守として、地域防衛の精神的支柱だった神社。
歴史的な博多の中心地で、当時の住民たちの思いを感じる。

 

櫛田神社は博多総鎮守! ~知っているようで意外と知らない『櫛田神社』編

>>こちらも参考にどうぞ。

 

2.警固神社(福岡市中央区)

刀伊の入寇で防衛の最前線となった「警固所」が移築されたと言われています。

天神の中心地にあり、境内を散策しながら足湯に浸かったりして楽しむこともできます。

 

3.昼食
福岡のグルメ(博多名物のうどんや明太子メニューなど)を楽しむ。

 

午後

4.水城跡(太宰府市)

刀伊の入寇で重要な防衛拠点となった場所。
土塁跡を歩きながら、防衛線の役割を体感。

5.大宰府政庁跡(太宰府市)

刀伊の入寇時、藤原隆家が九州防衛の中心として指揮を執った地。
敷地を散策し、平安時代の九州統治の雰囲気を感じる。

 

ポイント
移動手段:博多・天神エリアから太宰府への移動は公共交通機関(電車・バス)またはレンタカーがおすすめ。
追加スポット:時間に余裕があれば、太宰府天満宮も併せて訪問。歴史と文化の多様性を満喫できます。
旅の魅力:歴史的な視点から刀伊の入寇を振り返り、福岡の防衛戦略の重要性を学ぶ旅。

 

>>太宰府グルメはこちらも記事もどうぞ。

 

 

 

まとめ

刀伊の入寇は、平安時代の日本における最大級の対外危機でした。この歴史的事件を通じて、九州の地が日本全体の防衛においてどれほど重要な役割を果たしてきたかがわかります。そして、その中心にいたのが大宰府を拠点に九州を守り抜いた藤原隆家でした。

 

現代の福岡、特に太宰府市や博多の地を歩くことで、ただ歴史を知るだけでなく、「実際にここに隆家がいたのか!」と考えるのも感慨深いのではないでしょうか。

大宰府政庁跡や水城跡、警固神社といったスポットをめぐる旅は、平安時代の防衛戦略や地域の暮らしを想像させてくれますし、歴史的な意義だけでなく、太宰府天満宮や梅ヶ枝餅などの観光・グルメ要素も充実しています。

 

大河ドラマ「光る君へ」をきっかけに、藤原隆家の足跡をたどりながら博多と太宰府の歴史を深く知る旅に出てみませんか?九州が持つ文化の奥深さや、地域全体の底力を感じるひとときになるはずです。ドラマで感動した方も、これからその歴史を知る方も、ぜひ訪れてみてください。

 

 

太宰府天満宮あるある

>>太宰府についてはこちらの記事もどうぞ。

 

 

 

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