花苗や小さな植物への水やりは、花を咲かせ、実をつけて、応えてくれる
僕たちの庭仕事は基本的に外仕事なので、夏は炎天下での作業になります。休憩時は日陰に逃げ、体を冷やし、こまめに水分や塩分を取りながら作業しないと熱中症になって倒れてしまいます。僕らが取り扱っている樹木や花もまた、この暑さは堪えるだろうと想像します。そこで、樹木や花になったつもりで考えてみました。
人は足があるので日陰を求めて移動し涼を得られます。ですが、植物は足もなく地中に根を張って生きているので移動ができません。「当たり前だろ」と言われそうですが、改めて考えてみると、植物はどんなに暑くても、どんなに危険がおよんでも、その場から逃げることができず、“じっと我慢して”お日様の下にいるのです。
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水も一緒で、人は喉が乾いたら自らの手で口に水を運び飲むことができます。これも当たり前ですが、植物は水が欲しくても水を持ってきて飲むことはできません。ではどうしたら水がもらえるのでしょうか。基本は自然の恵みである「雨」です。ただ今年の夏のように雨が降らない場合は、我々人間が手助けをする必要があります。
大きな樹木は深く広く根を張っており、地中の水分を吸い上げて生きていけますが、深く根を張らずに、浅い表土部分で生きている花苗や小さな植物は、数日雨が降らないだけでも土が乾いてしまい枯れてしまいます。ですから、自宅に庭木やプランターなどでお花を育てている皆さんは暑くて大変かとは思いますが、植物にしっかりと水をあげて下さい。その努力に植物はキレイなお花を咲かせたり実をつけたりして、きっと応えてくれるはずです。
何事も自分に置き換える。そうすることで、相手の気持ちや辛さが分かる
皆さんは水やりのときはどのようにしていますか? ホースのシャワーで植物の上からサッサッと水をかけられている風景をよく見かけますが、それでは肝心な根元に水がいかず、水やりの役目を果たしてないことになります。
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人に言いかえると、喉が渇いて水が欲しくてたまらないのだけど、シャワーを体だけに当てて口に持ってきてもらえない状況です。もしも植物が話をできるとしたなら、きっと「オレにも水を飲ませろよ」と怒りながら言っているはずです。まるで水が出ている蛇口の前まで口元をもっていかせてもらいながら、飲ませてもらえない“お預け状態”です。そんなことをしちゃっています。まさに拷問ですね。
植物で人の口にあたるのは、根です。「水まきをする」というよりは、「水を飲ませてあげる」という気持ちで、根元へ水をやります。土にもしっかりと滲みこむようして、根まで水がとどくようにしてあげて下さい。あと夏バテしたときは、皆さんも食欲が落ちて素麵などあっさりしたものを食べたくなりますよね。それと一緒で植物が元気ないからと言って肥料を与えると逆効果になることもあるので気をつけてくださいね。
このように何事も己に置き換えることで、相手の気持ちや辛さが分かるような気がします。人間関係も一緒です。上手くいかないとき、僕はその人に自分を置き換えて気持ちを整理するようにしています。
四季の変化と開花や大樹の風格によって、豊かな空間を創出する
暑さの厳しさが年々増す一方の世の中で、今後、都市部の街づくりには、植物や樹木の取り込み方が重要になってくるでしょう。人は自然を削り都市を造り、自分たちの生活を便利に豊かにしてきました。今の生活の裏には自然の犠牲があります。「人は開発をするときには、緑を返す義務がある」と僕は考えています。
植物や樹木の役割として、見た目による景観向上、緑陰の形成、自然環境保護などがあると思います。都市生活において、花や緑は生活に潤いを与えてくれる貴重な存在であり、大樹は自分を犠牲にして足下に大きな陰を落としてくれて、人はそこで涼を取ります。
また自然が少ない都心部においては、鳥や昆虫などにとっても貴重な生育環境になります。人や生き物にとって都心部での植物や樹木は、街のオアシスになります。だからこそ、コンクリートやアスファルトに囲まれた中でも、植物が元気に育つ環境と仕組みを、人は植物の立場に立って人工的に作ってあげるべきです。
天神中央公園と一体の「アクロス福岡」(福岡県福岡市中央区)の屋上緑化
春の新緑、夏の木陰、秋の落葉、冬の木立などの四季の変化と開花や大樹の風格によって、「歩きたい、暮らしたい」と人々に思わせるような空間の豊かさを創出する。それを実現することで、福岡のブランド力の向上を図っていきたいと思っています。