謎解き!フクリパ

なぜ現在の福岡・博多に屋台が生き残り、 人気の観光資源になったのか!?  ~屋台の文化と歴史~

福岡・博多の街に夜のとばりが下りる頃、屋台に姿を見せて明かりを灯し出します。福岡市民にとって日常的な屋台の風景は、東京をはじめとする来訪者の目には物珍しく魅力的な存在です。なぜ、福岡・博多の地で屋台が生き残り、人気の観光資源になったのでしょうか? 今回、屋台を巡る謎解きに挑みます。

意外!?福岡・博多の屋台へ観光客から驚異のまなざし


写真提供:福岡市

ラーメン、おでん、餃子、焼き鳥、天ぷら……。多彩なメニューを提供する福岡・博多の屋台は2022年3月1日現在、福岡市経済観光文化局調べで102軒が営業している。 

研究者も評価した福岡・博多の屋台の学術的価値

「これだけの数の屋台が営業しているのはもちろん福岡市のみであり、これが他の都市との観光面での差別化につながっている」。

西武文理大学サービス経営学部の中谷勇介准教授は、学術論文『福岡市の屋台に関する保護と規制に関する考察』において福岡・博多の屋台の独自性に注目した。
そして、中谷准教授は、「他地域ではほとんど見られない都会の真ん中に屋台が営業している姿に県外からの観光客は興味をそそられる」とする。

屋台のルーツは江戸時代、全国の屋台は敗戦の〝落とし子〟!?

屋台とは本来、屋根の付いた飲食用や物販用の台を備えた移動可能な簡易店舗だ。
日本における屋台の始まりは、江戸時代にさかのぼる。享保年間に登場した屋台は、参勤交代の武士や流入した労働者ら単身赴任者の多かった江戸において明暦の大火以降、外食需要の高まりもあってにぎわった。

今日見られるリヤカーを改造した屋台は終戦後、焼け野原の闇市などで戦災者や外地引揚者、戦争未亡人らの手で始まった。
 

出所)福岡博多屋台MAP(福岡市経済観光文化局調べ:2021年11月1日現在 )

【謎】なぜ福岡・博多の屋台は観光客や来訪者に人気なのか?


福岡市の『屋台との共生のあり方研究会』の委員を務め、『福岡市屋台選定委員会』の副委員長であり、学位論文「都市における屋台の持続的な運営環境の整備と発展的な活用に関する研究」で九州大学大学院から博士号を取得した文字通り〝屋台博士〟である八尋和郎氏(株式会社THINK ZERO代表取締役)は、次のように考える。

八尋代表

かつて全国の各都市にあった屋台は戦後、国際的なイベントの開催が活発化していく中、〝遅れた存在〟とみなされて取り締まりも強化されたこともあって1980年代には、ほぼ消滅しました。

一方、福岡・博多の屋台はラーメンブームで注目され、さらに来福したアーティストや著名人らがひいきにしたこともあって、減少していくスピードが他都市よりもゆるやかでした。

この結果、福岡市民にとって日常的な風景である屋台そのものに希少価値が生まれて、国内外から注目される存在になりました。

【謎】なぜ、福岡・博多に〝屋台〟が生き残ったのか

 
出所)福岡市屋台施策資料「福岡の屋台・地域と共生し未来へ」

GHQの指示で1949年、厚生省が屋台漸減を打ち出した中、福岡県による指導は、異業種への転換も含めた強硬な内容だったという。
1950年に屋台経営者らが結成した福岡市移動飲食業組合は、1952年4月以降の屋台営業を禁止した福岡市を訴えた裁判で敗訴した。その後、福岡県も屋台全廃の方針を決めたという経緯がある。

戦後、日本が高度経済成長していく過程において、戦後復興の象徴だった屋台は各都市で消滅し続ける中、福岡・博多の〝屋台 〟は、なぜ生き残ったのか?

八尋代表

屋台の存廃問題は当初から続いていました。福岡・博多の場合、屋台組合の存在が大きく、交渉窓口としての役割も担ってきました。

福岡県議会県議の河田琢郎氏は1955年、福岡県移動飲食業組合連合会の会長に就任して屋台存続運動の先頭に立って精力的に取り組みました。
福岡県議会での一般質問において屋台廃止の猶予期間を設けた河田県議は、中央政界とのパイプも生かして厚生省と直接交渉して、「屋台漸減措置の延期」という通達を勝ち取ることで屋台営業の存続を実現させました。


出所)福岡市屋台施策資料「福岡の屋台・地域と共生し未来へ」

その後、他都市では取り締まりを厳格化させていき、全国的に消滅していきました。

福岡市においても存続か・廃止かで議論される中、市民や転勤族・出張族らが利用して減少のスピードは遅く、全国的にほぼ消滅した時点でも200軒余りの屋台があり、「観光名物として残したい」という機運も出てきました。その後、不法占拠状態から合法化していったことが大きかったと考えます。

【謎】なぜ、福岡・博多の屋台は観光資源になったのか?


写真提供:福岡市

福岡県警は1970年、屋台の路上放置問題を契機に道路使用許可の名義変更を認めないという方針を打ち出した。

このため、福岡市移動飲食業組合は屋台の共同駐車場確保などの対策を取り、結果的に福岡県警は条件付きながら名義変更を認めた。

その後、屋台営業権の高額取引が問題視された1995年、福岡県警本部長が福岡県議会において、道路使用許可を「原則一代限り」とする方針を示した。同年、桑原敬一福岡市長は福岡市議会で「文化面で屋台をとらえ直す必要があり、交通政策だけで屋台問題を片付けてよいのか」と答弁した。

そして、市長の私的諮問機関『屋台問題研究会』を立ち上げた福岡市は2000年、『福岡市屋台指導要綱』を策定し、福岡・博多の屋台は一大転機を迎えることになった。
この点について八尋代表は次のように解説する。

八尋代表

従来の取り決めを明文化した屋台指導要綱の制定は画期的な出来事であり、従来黙認されていた屋台の存在が公認されました。

その後、高島宗一郎福岡市長は2011年6月、福岡市議会で「福岡の街に屋台を残すべき。課題を克服し共存の道を探りたい」と表明して同年9月に発足させたのが、『屋台との共生のあり方研究会』です。

同会の提言に基づき、2013年6月に全国初の『福岡市屋台基本条例』が制定されて、さらに2017年4月に屋台経営者の公募制度によって新規屋台が誕生しました。今日、営業している屋台のうち3割近くが公募屋台であり、新たな〝戦力〟になっています。

個人的には、「屋台問題は、まちづくりだ」と考えており、都市計画として捉えるべきだと思います。
観光客にも人気な屋台は、夜の楽しみを提供するナイトエコノミーとしても活用でき、さらに海外からの観光客らも含めて福岡市という都市を国際的にアピールしていく上で大きな〝武器〟になり得ます。

『屋台との共生のあり方研究会』が開催された2011年12月、八尋代表は当時、福岡市内で営業する屋台150軒がもたらす経済波及効果は年間53.2億円であるとの試算を発表した。屋台の年間利用者数を115.6万人と算出し、直接効果である全屋台の売上高17.3億円に加えて、派生する一次間接効果を合算した数値だ。

なお2009年当時、 24 回寄港した外国クルーズ客船による経済波及効果は10.6 億円(うち直接効果6.1億円)だった。
サイズこそ小さいものの、屋台1台あたりの年間経済波及効果は計算上、外国クルーズ客船の0.8隻分に相当する。
 

福岡・博多の屋台の地域資源として存在感と新たな可能性

福岡市民にとって日常の風景である屋台は、他都市ではほぼ消滅した状況にあり、奇跡的に生き残ったユニークで貴重な存在だ。

福岡市が2018年度に実施したアンケート調査によると、屋台に対して「良いイメージ」および「どちらかといえば良いイメージ」を抱く市民の割合は53.7%だった。一方、観光客の場合は81.3%。

戦後の焼け野原に誕生した福岡・博多の屋台は、幾多の危機や諸問題を克服しながら今日、街の風物となり、都市型〝観光資源〟としての〝市民権〟を得ているといえる。

著名な旧所・名跡に乏しい福岡市において、強みである食文化を生かした希少価値の高い〝観光コンテンツ〟である屋台が今後、既存産業との〝掛け合せ〟などを通じて、新たな付加価値を生み出していくことが期待される。


写真提供:福岡市

福岡・博多の屋台に関する年表       

1946年 福岡市の闇市に移動式の屋台が登場
1949年 GHQによる屋台の衛生問題で厚生省が飲食店営業緊急措置令で屋台全廃の方針
1950年 屋台経営者らが『福岡市移動飲食業組合』を結成
1955年 福岡県議会の河田琢郎議員らが屋台全廃反対運動を展開して、許可制で存続
1956年 博多移動飲食業組合が設立。屋台営業許可に関する福岡県条例が施行
1962年 道路使用許可の取扱要綱が決定
1965年 この頃に屋台が全盛期を迎えて、427軒が営業していたという
1973年 天神地下街建設工事に伴って屋台の一時休業についての基本協定を締結
1975年 地下鉄工事完了後の屋台営業を福岡市・中央署・九電、屋台組合の合同で会議を開催
1979年 屋台での生もの販売禁止を福岡市当局と協議・ 再確認
1995年 福岡県警が「道路使用許可は一代限り」との方針を明示
    桑原敬一福岡市長が私的諮問機関『屋台問題研究会』を発足
1998年 地下鉄七隈線工事で一部の屋台が移動
2000年『福岡市屋台指導要綱』施行で合法的に屋台を認可、「原則一代限り」が確立
2007年 吉田宏福岡市長が屋台一代限り撤廃を要望
2011年 髙島宗一郎福岡市長が屋台存続を表明、『屋台との共生のあり方研究会』を設置
2013年『福岡市屋台基本条例』が施行
2016年 屋台の移転再配置と公募環境を整備して初の『屋台公募』を実施
2017年 第1回公募屋台23軒が営業開始
2019年 第2回公募屋台9軒が営業開始
2021年 第3回公募屋台5軒が営業開始
 
【参照サイト】
中谷勇介著「福岡市の屋台に関する保護と規制に関する考察」(西武文理大学サービス経営学部研究紀要第29号)
八尋,和郎著「都市における屋台の持続的な運営環境の整備と発展的な活用に関する研究」
福岡市「屋台施策」
福岡市公式シティガイド YOKA NAVI ―HOW TO ENJOY YATAI 屋台の楽しみ方—
屋台との共生のあり方研究会(第4回)資料「屋台の経済効果について」

>>合わせて読みたい:【福岡市・屋台】新規参入制度でオープンした「福岡最新屋台5選」と屋台の楽しみ方

福岡市では、第三回屋台営業候補者公募で選定された屋台が、2021年の10月よりオープン!改めて、この福岡市独自の屋台新規参入制度についておさらいし、屋台の楽しみ方と一緒に新しい屋台5店を紹介します。

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編集者兼ライター
近藤 益弘
1966年、八女市生まれ。福大卒。地域経済誌『ふくおか経済』を経て、ビジネス情報誌『フォー・ネット』編集・発行のフォーネット社設立に参画。その後、ビジネス誌『東経ビジネス』、パブリック・アクセス誌『フォーラム福岡』の編集・制作に携わる。現在、『ふくおか人物図鑑』サイトを開設・運営する。

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