先日,とある動画サービスサイトを見ていたら,気になる動画が投稿されていました。オンラインメディアであるPIVOT公式チャンネルの2つの動画です。
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ここに2人の人物が登場しています。それは,今回ご紹介する一橋大学の楠木 建氏と,元プロ野球選手で現在はビジネスコーチとして活躍されている高森 勇旗氏です。
この2人は同じマンションの隣同士にお住まいだそうで,お互いにビジネスの最前線に関わる仕事をされています。しかし,その2人の仕事や物事に取り組む姿勢が真逆でとても興味深い,それでいてともに示唆的な考え方をされている。そこで今回は,楠木 建『絶対悲観主義』(講談社プラスアルファ新書)と高森勇旗『降伏論 「できない自分を受け入れる」』(日経BP社)の2冊をご紹介します。
【高森説】GRITとレジリエンスの有用性
近年,ビジネス界や教育界において「GRIT」(成し遂げる力)や「レジリエンス」(回復力と訳されることがあります)という言葉が注目されてきました。「GRIT」とは,特定の目標に対する情熱と持続的な努力を示す性格の特性を指し,短期的な挫折や困難にもめげずに、長期的な目標に向かって努力し続ける能力を持つことを言います。例えば,スポーツ選手や軍隊(自衛隊)のように成果の実現までに長期に及ぶような取り組みの中で発揮されるものとして,ビジネス界だけでなく,教育界において大変注目された概念です。
まさにそれを地で行き,幼い頃から続けた野球でプロにまで上り詰めたのが『降伏論』を著した高森氏です。高森氏は,2006年に横浜ベイスターズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)に入団し,将来を嘱望された選手でした。6年間で打ったヒットは1本。「もうあれ以上頑張れない」と思うくらいバットを振ったにも関わらず,結果が出なかったという話から始まります。しかし,同時にこのようなことも書いておられます。
「一生懸命やれば,必ず報われる。必ずしもそうではないと頭では分かっていたが,どこかでその考えにすがりたい気持ちがあった」と。
そして,さらにこのように続けます。
「しかしそれは,『どうすれば結果を出すことができるか』という考えを諦めた者の思考回路である」とも。
プロ野球という一握りの人間だけが挑戦できる世界に入るだけでも大変なのに,高森氏自身はこのように振り返ります。加えて,このような思考に陥った人が次回で結果を出すための秘訣は「もっと一生懸命頑張る」になってしまうと。高森氏自身,プロ野球選手としての生活を振り返り,自分自身もそのような状況に陥ってしまい,やがて「結果が出ていないという状況と正面から向き合うことは困難になる」(p.5)と述べています。
そうしてプロ野球選手を「クビ」となり,自分が半生をかけて取り組んできたことを諦めなければならなかった時,高森氏は1つの気づきを得ます。
「いまの自分では,永遠に結果を出すことができない」と降伏することができれば,そこから成功への道は一気に開かれる」(p.8)
そして,高森氏は,引退後に数ある職業の中からビジネスコーチとして独立し,現在では多数の企業の経営会議に出席しながら,それらの企業で結果を出せるコンサルタントとして大変お忙しく過ごされているそうです。
本書には,そうして多くの顧客と向き合ってきて成功する人と失敗してしまう人との違いがどこにあるのか,多くの事例とともに紹介されています。1つ1つを読んでいくと,私自身も身につまされることがいくつも出てきて,読んでいて我が身を振り返る機会にもなりました。
例えば,「未完了のイベントを今すぐ完了すると,びっくりするほど軽くなる」という教えがあります。高森氏は一流とそれ以外の違いに『やり切る』ということを挙げています。確かにわたしたちの生活の中には未完了がたくさんあります。「これはあとでやればいいか」,「あとで連絡すればいいや」と嫌なこと,不便なことは後回しにしてしまう癖があります。そうした中で高森氏は「未完了を無くす」ことを強調されます。今すぐ連絡する,片付ける,やり切ってしまうことによって後顧の憂いが無くなることが何かを成し遂げる上では重要だと言います。これは確かに業績不振に陥る企業の特徴とも一致するかもしれません。
他にも,実際に動いて当事者になってみることでしか得られないことがある,他人を承認すると行動する勇気を引き出すことができる,成果は「すぐ出ない」ことを知っておくなど,わたしたちの日々の生活のヒントを得られる1冊です。
【楠木説】GRIT無用、レジリエンス無用
これに対して,楠木氏は「GRIT無用」,「レジリエンス無用」を訴えます。
「僕に言わせれば,GRITはある種の呪縛です。『うまくやろう』『成功しなければならい』という思い込みがある。だから,ちょっと思い通りにならないだけで,「困難」ないし「逆境」にある気分になる。「やり抜く力」や「挫折からの回復力」を手に入れなければならないと考える —- 随分窮屈な話だと思います」(p.4)
世間一般に言われてきた「GRIT」や「レジリエンス」へのアンチを表明しています。そして,「最初のところで『うまくいく』という前提を持つからこそ,『うまくいかないのではないか』と心配や不安にとらわれ,悲観に陥るという成り行き」が悲観主義であり,根拠のない楽観主義だと言います。だから,楠木氏は仕事について自分の思い通りになるなんてことはないから,現実を直視しておけば困難も逆境もないし,成功の呪縛から自由になるのだと説きます。そして,こうした考え方を「絶対悲観主義」と定義しています。
本書は日立製作所のオウンドメディアに掲載されたコラムをまとめたものですから,そもそもビジネスマン向けに書かれています。14章からなるそれぞれのコラムは軽快なタッチで書かれていますが,学びが多くあるものです。
「絶対悲観主義」とは
では,ここでもう少し「絶対悲観主義」とはどのような考え方なのか,述べていきましょう。
まず,同書では趣味と仕事の違いを説きます。趣味は自分自身ためにやることであり,自分が楽しければ良い。一方で,仕事は誰かのために何かすることであり,自分以外の他者に何らかの価値を提供しなければなりません。だから,仕事はそもそも自分の思い通りにならないものだと言います。「絶対悲観主義」でいることを仕事で活用するのはこうした考えを基礎としています。
そこで,絶対悲観主義を2つの側面から捉えます。「事前の期待」と「事後の結果」そして,「うまくいく」と「うまくいかない」という2つの軸です。すると4つの組み合わせが出てきます。すなわち,次の4パターンです。
①事前にうまくいくと思っていて,やってみたらうまくいった
②事前にうまくいかないと思っていて,やってみたらうまくいった
③事前にうまくいくと思っていて,やってみたらうまくいかなかった
④事前にうまくいかないと思っていて,やってみたらやっぱりうまくいかなかった
このパターンのうち①は予想通り,最悪は③だと言います。確かにそうですね。そして,うまくいかなかったにしても④はまだマシで,理想は②だと楠木氏は考えています。そして,「うまくいかないだろうと事前に悲観的に構えておくと,うまくいったときに大変気分がイイ」(p.18)と言います。私はこれを読んで「確かに!」と納得してしまいました(笑)
さらに,本書では絶対悲観主義には利点がいくつもあると言います。
第1に,実行が極めてシンプルで簡単だということ。事前の期待を悲観方向(うまくいかないと考える)に切り替えておくことだけできるので,自分でコントロールできるのだと言います。
第2に,仕事への速度が上がると言います。これは仕事のスピードそのものではなく,「取り掛かるまでのリードタイム」が短くなるそうです。大事な仕事や嫌な仕事ほど後回しになってしまうけれども,「失敗できない」と自分でプレッシャーをかけてしまうといつまで経っても何も進みません。「エイヤッ!」とやってしまうことが大事だということですね。
第3に,悲観から楽観が生まれることです。絶対悲観主義はリスク耐性が高く,リスクに対してオープンに構えることができると言います。能力に自信を持っている人ほどプライドが高く,失敗した時に大いに凹んでしまいます。が,普通は挑戦しても失敗することが当たり前だと考えれば楽観的に挑戦できます。
第4に,これに関連して,失敗が現実のものになったときの耐性も強くなると言います。絶対悲観主義者にとっては失敗は常に想定内ですから,淡々と物事に向き合うことができます。楠木氏は「これこそGRITだ」と言います。
第5に,自然に顧客志向になり,相手の立場で物事を考えられるようになります。相手がこちらの都合に合わせてくれることはないと考えれば,自然と仕事を丁寧にするということですね。
最後は,すぐにではなくても,10年ほどやっているうちに自分に固有の能力なり才能の在処がハッキリとしてくると説きます。絶対悲観主義者は他者から褒められても真に受けないそうです。これは謙虚なのではなく,自分の能力を信用していないからだと言います。ただし,こうした評価を複数の他者から繰り返しもらい続けると,悲観の壁を突き破って楽観に至るそうです。こうして地に足のついた自信を得ることができると言います。
この本では,このあと高森氏の話に移ります。そこでは,プロ野球選手になれるほどの高森氏でもプロ野球では一流になれなかった「成功体験の復讐」があるのだと述べています。すなわち,過去の成功体験から抜け出せずに縛られてしまうということ。これに対して,楠木氏は「成功しない」というソリューションを提供します。ここに「絶対悲観主義」の強さがあるということですね。
ただし,「絶対悲観主義は仕事への構えをラクにするため(だけ)のものであって,仕事の成果や成功を約束するものではない」(p.25)とも言います。
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今回は2冊の本を取り上げましたが,どちらの見方もそれはそれで同意できることが多くありますね。どちらも「うまくいくか」というよりも「うまくいかない」ことを前提にしながらも,高森氏は「うまくいくために自らの身をどう処するか」を考え,楠木氏は「うまくいこうがいくまいが、ありのままの状況を受け入れる」という考え方の相違が見えました。
私自身は高森氏のように自分を追い込むことができないし,楠木氏のように泰然自若でいることもできないし,「なんだか中途半端にここまでやってきたかもしれないな」と感じました。だからいつまで経っても殻を破れた気がしない。もういい年なんですが,常に若い人と一緒にいることもあって,自分もまだまだだと言い聞かせてきた気がします。
何事もうまくいくことのほうが稀です(悲観的)。以前はなかなかうまくいかなくてイライラしていましたが,段々「うまくいかないことを前提にする」考え方は理解できてきた気がしますし,お2人の本を読んで腑に落ちることが多々ありました(楽観的)。自分の心のコントロールにも役立つ2冊です。ぜひ手にとってお読みください。