早いものでこの書評も第12回となりました。1年が経過するのですね。
これまでこの書評ではビジネス書の紹介を通じてアントレプレナーシップ(起業家精神)や、社会的な課題を解決や創造的な製品・サービスを生み出すための思考法やその実践、私の専門領域でもある会計といったさまざまなテーマについて記してきました。
恐らくこの記事の主たる読者であるビジネスパーソンの皆様は、日々不確実な未来に向き合いつつ、どのようにして仕事をより良いものにしていくのか、お客様に対してどのような製品・サービスを提供することが最良であるのかを悩まれていることでしょう。また、2020年から続く新型コロナウィルスとともに生活する日々は、今や前提として誰もが受け入れているものの、それを理由に停滞する企業・ビジネスもあれば、機会として捉えて「創造的」に新たな未来を構築しようと進化している企業・ビジネスもあるように感じます。見えている世界をどのように捉え、アクションを起こすのか。そのヒントになればと思い、これまでさまざまな視点から書籍を紹介してきました。
そうした中で、今回は改めて原点に立ち返り「イノベーション」をテーマとした書籍を紹介します。ここで改めてイノベーションという言葉を確認しておくと、日本では長らく「技術革新」という訳語が与えられてきたこともあり、イノベーションは新たな技術的な進歩を伴うものと理解されてきたように思います。しかし、今や「イノベーション」が指す範囲は広くなっており、新たな技術が生まれることだけでなく、その技術をいかに社会に実装していくか、技術を製品に転用するだけでなくて企業や社会システム=仕組みを変えること、事業を通じて不都合を解消していくことまでをも含むようになっています。
こういう話をすると、同時によく語られるのは、イノベーションをもたらすには「創造性」が求められるという言説です。創造性、英語で言えばクリエイティビティと呼ばれるものですが、これも美術や音楽のような芸術的に優れている人に対して用いられるようなもので、一般的な人(そもそも一般的な人って誰なのかということは通常は問われません)には兼ね備わっていないものだと考えられることが多いでしょう。しかし、今やSNSや動画配信サービスを見れば、その世界で創造性を発揮している人を目にすることは普通になりました。私たちは今やそれを消費者としてだけ享受するのではなく、生産者として「あらかたな価値を創造する」立場にもなり得ます。つまり、誰だって自分の持っている創造性を持って社会と関わることができるようになっています。日々の仕事だって十分に創造的で新たな価値を生み出すものであって、そこにはイノベーションの種になることがいくらでもあるのです。
そうして一見普通に見えるようなことが、どう創造的なイノベーションをもたらす何かに変化していくのか。このヒントを大きく分けて5つの領域、33のティップス(Tips)にまとめたのが今回ご紹介する『ひらめかない人のためのイノベーションの技法』です。
この本の著者である篠原 信さんは、国立の研究機関で農学分野の研究員として仕事をされている傍ら、Twitterや SNSで積極的な発信をされています。そのつぶやきや記事は、教育論、人材育成論、思考法、そして専門領域の農業に関わる内容と多岐な分野にわたっています。それを語るに際してはなるべく易しい言葉で、誰でも読んでわかるように記されており、私もとても勉強させてもらっています(特に子育て論は目下のテーマでもあるので)。
詳細はこちら
詳細はこちらでは、以下ではその章立てとTipsに触れながら、この本のポイントに触れていくことにしましょう。
◆価値基準のイノベーション
まず「価値基準のイノベーション」です。ここで言わんとしていることは、わたしたちが当たり前だと思っていることを疑う、成功体験を捨て去って虚心坦懐に学ぶ、「どうせ○○」(○○に入るのはネガティブな言葉ですね)ではなく「どうせなら△△」(△△にはいるのはポジティブな言葉ですね)に切り替えるといったものです。これらのことはどこでも、誰でも言いそうなことだけれども、それを実践するというのは極めて難しいですね。何か新しいものを生み出そうとすれば、力を入れて畏まってしまうけれども、そういう自分を一旦横に置いて素直な心で事象を見つめ、情報に触れましょうということです。
◆衆知によるイノベーション
次に、「衆知によるイノベーション」です。衆知とは多くの人々による知恵を指します。つまり、個人の限界を乗り越え、他者とのコミュニケーションをどう取ればイノベーションを起こしやすくできるのかを考えようというものです。ここで強調されるのは、他者から常に学ぶ姿勢を持つこと、部分と部分を繋ぎ合わせていくこと、「イソギンチャク」のように自律分散的に多様な視点を導入すること、門外漢だからこそ新たな気づきを得られることがあることといったことを挙げています。
◆科学的手法によるイノベーション
3つ目に「科学的手法によるイノベーション」です。「科学的手法」というと仰々しいですが、筆者は学校で学んできたような知識=教科書的な事実を前提としながらも、その前提や解釈を鵜呑みにせずに疑問を持とうと述べています。教科書に書いてある内容というのはさまざまな領域に関して知っておくことが望ましいとされる知識であり、その知識は科学的な検証を経て「固い」情報です。だから、教科書に書かれていることを前提条件を変えずにそのまま実践すれば同じことが繰り返し起きる。しかし、その前提条件を変えると異なる結果が得られる可能性があります。また、筆者は「知らない」を「知る」に変え、「できない」を「できる」に変えることがイノベーションだとも述べています。そのためには知ったかぶりをするのではなく、知っていることと知らないことの線引きをハッキリさせる。そのためにも知識が重要だと指摘しています。ここに学校で学ぶ知識を得ておくことの価値があるのでしょうし、それを前提に世の中で起きている事象を眺めればイノベーションによってより良い社会、製品、サービスを構築することができるのではないかということです。
◆ズレによるイノベーション
4つ目に「ズレによるイノベーション」です。
学ぶこと、仕事でもなんでもそうですが、どうもわたしたちの周りには「正しい」ことが幅を利かせすぎているように感じます。その割にはその正しさというのは自分自身の中にある「価値観」だったり、社会という大きな単位で共有されているとされる「常識」というものによって規定されているように感じます。しかし、それは本当に「正しい」のでしょうか。あまりにも身勝手な「正しさ」もあるように思います。
と同時に、わたしたちは「失敗」に対して極めて厳しい批判を行い過ぎるようにも感じます。仕事をしていれば、知らないことに取り組もうとすれば、失敗するのは当たり前。誰でも間違えることはあるにも関わらず、誤ったり、失敗することに対して不寛容だなと思うこともあります。しかし、イノベーションの歴史を見ていけば、「正しい」ことが間違っていたこともたくさんあるし、「失敗」から学んで新たな真実を知るに至ることもあったりします。
あまりにも固定観念に縛られすぎることなく、失敗からも学ぶ姿勢を持つことがイノベーションをもたらす大きなヒントにつながります。まさに赤ちゃんが失敗をしながら学んでいるように、わたしたちも正解・成功とはほど遠い「余計なこと」をたくさんすることが新たな情報を生み出すことにつながるという寛容さを持ち合わせても良いのかもしれません。
◆マネジメントによるイノベーション
そして、最後に「マネジメントによるイノベーション」です。
ここまではある種個人がどうあるべきか、どうあるかという視点でのイノベーションに関する議論でしたが、ここではチーム・組織においてイノベーションをどうもたらすかという視点で書かれています。「誰もが諦めそうになっても、最後までやり遂げる」ということであったり、(上司から見て)「部下の勇気、やる気を邪魔しないことが想像力を高める上で非常に大切になる」という組織マネジメントで出てくるような話が多々記されています。最近の流行りで言うところの「心理的安全性」なんてことも書かれたりもしています。
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こうして見ていくと、この本で書かれていることは、誰もが見たこともないあっと驚くような新技術を用いた「イノベーション」の話が書かれているわけではありません。日々の仕事や生活をより良くする「創造的なアイデアや取り組み」をいかに構築するか、それを営みに組み込んでいくための工夫についてまとめられていることがわかります。ある種、面白い発想ができる人、新たな視点を提示できる人はどのような視点でモノゴトを見ているのかを垣間見ることができるような本だと言えるかもしれませんね。
ここで閑話休題。ここでも何度か紹介している地域の高校生向けに行っているアントレプレナーシップ教育ですが、その教育効果を測定するためにアンケート調査を進めています。その暫定的な分析結果を見ると、たとえ大学生が高校生に対して授業をしているとしても、事業を行うための基本的な知識(経営学や会計学に関する学部1年生が学習するような内容)を学ぶ機会とそれを用いて実際に事業を運営するという実践(模擬店レベルの出店を運営する)経験を得た高校生は、知識を学習した、ある程度理解できるようになったということだけでなく「創造性(Creativity)」が身についたという実感を得ていると回答しています。また、そうした学びの成果が、創造的な働き方や自ら事業を興してみたい(起業してみたい)というキャリアに対する興味関心につながっていることが明らかになっています。
アントレプレナーシップ教育の1つの重要な目的は自分にとって望ましいキャリアのあり方を自律的に考えられるようになる人材育成にありますが、この結果からわかるのは、こうした教育を通じてある程度「創造的な人材」を育成することは可能かもしれないということです。ただし、その時に鍵になるのは生徒自身の自尊心や自己効力だったりします。ある程度自尊心が高い生徒は教育機会をうまく捉えて成長する一方で、そうでない生徒はさまざまな教育機会をネガティブに捉えてしまう傾向があることが理論的にもわかっています。これは恐らく仕事をする、日々の生活を営むでも同じことが言えるのではないでしょうか。
創造的な人材は育てようと思えば育てられる。けど、失敗や誤りから学ぶ、それらがつきもののイノベーションを許容することが前提になるということかもしれません。また、「褒めても伸ばす」、「失敗をしないように全てを整えてしまう」のではなく、その失敗や誤りに対して柔軟に向き合える人材を育てていくことも必要なのでしょう。
自分自身を、自分の子どもを、部下を育てていくヒントのひとつとして、ぜひ手にとってお読み頂けると幸いです。ぜひご一読ください。
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