「論文の書き方」と聞いて,大学の卒業論文のことを思い浮かべる方が多いのでしょうか。恐らく理系で学んだ方はほとんどの方が書いたけれども,文系では卒業論文を書かなくても卒業できる大学・学部が増えていることもあって書いたことがないという方もおられるかもしれません。
私の勤務している学部では,4年次での専門ゼミナールの単位は卒業論文の提出,評価と関連付けられています。なので,授業には出席するけれども,論文提出をしない学生もチラホラいます。教員としては学生に対して「学問的姿勢」を伝える最後の機会であり,それを身につけることが「社会に出ても役立つスキル」(という言い方があまり好きではないですが)を学ぶ機会だと考えていますが,それを逸してしまうなぁと毎年複雑な気持ちになります。一方で,試行錯誤の上,論文を書き切った学生たちを見ると,ひとつやり切ったという満足感というか,高揚感のようなものを感じます。また,毎年学位記授与式(卒業式)のときには卒業論文集を手渡すことにしていますが,その時の学生の様子を見ていると感慨深いものがあります。
卒業論文を書く1つの効用は「吾唯足るを知る」ことです。これも学生に対して卒業論文を書く際に伝えているメッセージですが,自分が興味のある研究対象に向き合い,「知りたい」から始まった研究も,それが進んでいく中で「実は自分が知らなかっただけで,多くのことはもう論文になっている」ことに彼・彼女たちは気づいていきます。すでに論文になっているような研究成果を「先行研究」と言いますが,学生たちは大学の教室で学んだことのほとんどがこうした研究成果をまとめたものであり,その中でも議論のベースとなる「理論」からスタートしていることに気づきます。つまり,自分は「井の中の蛙」なのだと知るのです。学ぶことを通じて,研究という行為を通じて,自分自身がまだまだ学ばなければならないことを知ります。
特に商学や経営学の場合,極めて実践的な学問であるために「役立つこと」が重視されがちです。すぐに「役立つ答え」を求められる感じ。1つ1つの企業や商店がそれぞれ事業としてなぜ成り立っているのか,それを「理論的に理解する」ことの意味が,学生だけでなく,ビジネスの現場で活躍されている方々にも十分に伝わっていないと感じることがあります。もちろん,ビジネスの重要な成果の1つとして「儲けること」があり,そこに直結した知識やノウハウが「すぐに役立つ」のかもしれません。そして,それを否定するつもりもありません。
そうした「役立つ」を短期的にではなく,長期的にもたらしてくれるのが「学問的姿勢」なのではないかと私は考えます。大学教員(研究者)が行う研究は「知的生産活動」と言われます。学生が「吾唯足るを知る」ように,わたしたち大学教員も過去の研究に目を通すことで,自分が考えていたアイデアや興味深い研究対象がすでに明らかになっていると知ると愕然とします。また,何度も実験や何らかの方法で取得したデータに基づいて分析をしていきますが,「まだ誰もが知らない,自分だけが知っている真実」にはなかなか簡単に行き当たりません。しかも,「真実」に行き当たったとしても,それを論文として執筆し,多くの研究者に評価されなければなりません。そうして長い時間をかけて積み上げられてきた知的生産活動の成果が論文としてまとめられ、理論となり,場合によっては教科書に採用されるなどして,広く多くの人々の「知識」として共有されていきます。
では,論文を書くにはどうしたら良いのでしょうか。実は書くことそのものはそれほど難しいものではありません。もちろん,自分が伝えたいこと,相手が理解できるように言葉を選んで文章にするのは難しいですし,それぞれの個性が表れます。ただ,「論文を書く」ということについては慣習的に決められた「お作法」があるので,それに従うことで書くことができます。そして,世には多くの「論文の書き方」の本がありますが,本書は数あるうちの論文の書き方本のうち,決定的な1冊と言えるかもしれません。
『基礎からわかる論文の書き方』
詳細はこちら 筆者である小熊英二先生は,学生時代は農学を専攻したものの,就職は出版社,そして再び大学へ戻り,大学院以降は社会学を専攻し,現在は大学でアカデミック・ライティング,すなわち論文の書き方や学問的姿勢を教えていらっしゃいます。なので,本書には大学生への教育にあたって気をつけるべきエッセンスが詰まっており,わたしたち大学教員にとっても学びの多い1冊です。しかも,470ページ超の大作ですが,教員と学生の対話形式で問題提起がされ,それを説明していく形で進められていくので,内容自体は多少専門的なように読めるかもしれませんが,学部学生にとっても,大学院生にとっても,そしてビジネスの現場で活躍されている社会人にとっても読みやすい1冊です。
そして,小熊先生は本書の冒頭で次のようにも述べられています。
「この本で説明していることは,企業などで報告書を書こうという人にも,有用だと思います。なぜなら『論文を書く』ということは,自分の考えを根拠と論理をもって説明し,他人を説得することにほかならないのです。」(p.4)
ここで論文は書くものですから,文章で伝えることになります。また,プレゼンテーションでスライドを作成する,口頭で相手とコミュニケーションをとって相互理解をすることも同じです。近年では動画や画像などでも行われていますが,いずれも「自分の考えを根拠と論理を持って説明し,他人を説得する」という意味ではどれも共通点があります。
本書でも紹介されているように,「主題は抽象的な問い,対象は具体的に観測できるもの」(p.109)とあります。研究テーマ=主題は「個別の対象とは別の次元にある,普遍的な法則の探究」(p.109)だと小熊先生は述べられています。わたしたちは常に目の前にある現象を,これまでの経験や視点,知識に基づいて理解しますが,その現象を「抽象的」に説明する論理であり,骨組みがここで言う主題です。例えば,私の研究は「中小企業の管理会計」をテーマとしていますが,あらゆる中小企業において普遍的に起きうる事象(=具体的に観測できるもの)をもとに,普遍的な法則(理論)を導こうというとしています。前回紹介した『具体と抽象』でも同じようなことが指摘されています。
また,アメリカなどではエッセイ(レポート)を書く際に「序論・本論・結論」の構成をもとに書くように指導されるのが一般的ですが,これを学問的な手続きに則って手順化したものがIMRADと呼ばれています。つまり,序文(Introduction),対象と方法(Material and Method),結果(Result),考察(Discussion)の4部構成です。実はこの手順で説明する方法,わたしたちは義務教育で学んでいるものです。理科の実験や数学の証明問題はほとんどこれです。だから,イメージで難しいから避けるのではなく,意識的に取り組むことで論文やレポートは書けるようになります。
なんか説教じみてしまいましたが(苦笑),今回は論文を書くことが,対象や方法が異なるだけで,ビジネスで行われていることとほとんど変わらないことをお伝えしたかったわけです。お気付きの通り,ここで書いてきたことはまさに営業をされる方が顧客に購入するように促すことと何ら変わりはありません。
顧客の困りごと(課題)を解決する製品やサービスを提供する。その製品やサービスを使用することで,どんな便益が得られるかを説明する。まさに同じです。商品開発でも,社内で新たな制度を整えるのも同じでしょう。自分の考えをいかに伝え,相手の納得と合意を引き出すか。それを「学問的」に行うのか,「実学的」に行うのかの違いはあるものの,根本的には大きく変わりませんね。
社会人とお話をしていると「もっと論理的に話せるようになりたい」と言われる方が多くいらっしゃいますし,いつでも「論理的思考」に関する本はビジネス書では人気があります。でも,(前回でも紹介したように)「論理的思考」は極めて抽象的であるがゆえに,簡単に理解することができません。しかも,「論文を書く」は,文章を通じて相手が確実に理解できるように書かなければなりませんから,1つ1つの言葉の選択や論理構成が重要です。話し言葉ではその場の空気感を共有できるけれども,書き言葉ではそこに書いてる言葉をもとに理解をすることしかできません。他の解釈の余地がないように説明する。それも論文を書くことで自然と思考訓練ができるようになります。「書くために考える」のではなく,「考えるために書く」というスタンスが良いのでしょう。
論文の執筆についてはたくさんの基本書が発刊されていますが,戸田山和久先生の『最新版 論文の教室:レポートから卒論まで』(NHKブックス)も平易でとても読みやすいので,こちらも合わせてオススメします。
『最新版 論文の教室:レポートから卒論まで』
詳細はこちらまた,福岡市の研究機関の1つである公益財団法人福岡アジア都市研究所では,毎年市民まちづくり研究員を募集しています。毎年決まったテーマを元に,数名を研究員として募集し,1年間の研究成果を発表するというものです。そうした機会に挑戦することも1つの学び方ですね。
近年,世の中の不確実性がどんどん増していますし,変化スピードもますます早くなっています。また,SNSのようにさまざまな情報が流れては出ていく状況では,その情報の真偽を即座に判断しなければなりません。今や,「学び続ける」ことは社会人にとって極めて重要な資質になりつつあります。そういう意味でも,その情報がどのような情報源で,どのような手続きを経て主張されているのかを確認することが極めて重要です。「論文を書く」という行為を通じて「学問的姿勢」を身に着けて頂くことで得られることは多々あるのではないでしょうか。
飛田先生の著書『経営管理システムをデザインする』はこちら
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