相談者>>>>>>>>
それに伴い、「プロ」の定義が変わってきている気がします。
職人的な「プロ」が死にゆく気がしています。
修治さんはこの現象を、どうとらえていますか?バブル以下の世代はまだまだ先があるので次を考えて動かねばならないのですが、未来が見えません…。
<<<<<<<<ワタシの回答
生き抜いてきた結果が、プロですよ。
昨今の企画会議は、みんながパソコンを持ち込みます。
そして、その場で検索をしてアイデアを出し合います。
要するに、なんの準備もしないままに、アイデアなど考えることなく、その場の対応でなんとかなると考えている輩が増えました。
企画会議へのスタンス自体がプロじゃねぇんだよなぁ。
企画というものへの矜持がねぇんだよなぁ。
自称・企画のプロのワタシと致しましては、居心地が悪いのは確かです。。
これだけの情報社会になったら致し方ないのだと思います。
こうやって「プロ」の定義も、再定義されていくのですよ。
どんなクオリティであれ、中途半端であれ、それはそれで需要があるなら、それで良しです。
しかし、一方で、そういう中途半端が増え、低いクオリティのものが量産されるほどに、その総量が増えれば増えるほど“ホンモノ” “職人的プロの手により生まれた作品”が、反対に光輝くという側面もあります。
ワタシは、Z世代と呼ばれる若い人たちほど、その目利き力があるのではないかと期待しています。
どう考えたって、情報に接触する総量が変わっています。
目利き力は、昭和の世代より上かもしれませんよ!?
『夢は必ずかなうという言葉が独り歩きしている時ですが、僕は、夢はかなわない確率の方がずっと高いと思う人間です。
ですから懸命に努力し、その結果、夢がかなわなかったときにどうするのか、それも想定して仕事をするべきではないか!?』
これは、“職人的なプロ”と称するにふさわしいミュージシャンである山下達郎さんの言葉です。
何を信じ続けているのか!?
生き抜いてきた結果が、プロですよ。
嘆かないのが
プロですよ。