これまでの第二幕までは、「屋根裏 貘」と「ON THE ROCKS」というジャズらしきお店を挙げてご紹介してきたわけですけれども、今回は福岡発祥の曲にフィーチャーしてお届けしていきたいと思います。
▶福岡のコーヒーと酒とジャズのはざま #01 第一幕 福岡のミントンズ・プレイハウス 『屋根裏 貘 (バク)』(※)
▶福岡のコーヒーと酒とジャズのはざま #02 第二幕 ROUND ABOUT MIDNIGHT 真夜中は別の顔 『ON THE ROCKS』(※)
福岡発祥の『炭坑節』
その曲が福岡県民なら誰でも聞いたことがある、いやさ日本全国の盆踊りで皆の衆が踊り狂うたであろう、『炭坑節』なのであります。
「月が出た出た、月が出た、はぁヨイヨイ」
という名文句、この後には「三池炭鉱の上に出た」と続きます。
あんまり煙が多いので、お月さんもさぞかし煙たかろう、と産業革命の醍醐味(霧の街、ロンドン的な)とも言える炭坑節が大流行する中で、この歌詞の出自は、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱(1997年3月30日閉山)で生まれたと誤解している人も多いのですが、この原曲は福岡県は田川郡の炭鉱労働者たちが、作業しながら歌っていたという『伊田場打選炭唄』ということで、田川が発祥ということになっています。
戦後大ヒットした三橋美智也の『炭坑節』
しかも、かつては田川の中でも伊田町と後藤寺町との間でどちらの炭坑節が元祖かという論争もあったわけですが、現在のところは、伊田がオリジナルだということで一応は決着がついていて、歌詞中の煙突は現在も田川石炭記念公園に保存されている三井田川炭鉱の二本煙突を指していると伝えられています。
林田曰く、「炭坑節とはジャズらしきものである」
「え?!、炭坑節?、、、これがジャズ、、、?」
と思われる方も多いことでしょう。もうこのシリーズの中で、何度も何度も口酸っぱく訴えていきたいのですが、ここで取り上げていくのは「ジャズのはざま」にあるもの。そういう意味では「炭坑節」はまさにこれに該当すると言えるでしょう。
エニウェイ、リッスントゥーミー。
その証左に、坂本 九が歌う『九ちゃんの炭坑節』はアメリカ進出第3弾としてシングルカットされたものです。
『九ちゃんの炭坑節』
坂本 九は、その代表作『上を向いて歩こう』を『SUKIYAKI』として1963年にアメリカで発表。作詞の永六輔、作曲の中村八大と合わせて六八九トリオで挑んだ『SUKIYAKI』は、世界の音楽シーンでもっとも権威があると言っても良いヒットチャート誌『ビルボード』の「Billboard Hot 100」で、3週連続1位を獲得しました(「Billboard Hot 100」で1位を獲得した日本人は現在でも、坂本 九だけ)。
作曲家の中村 八大はジャズ・ピアニストであり、また久留米出身、明善高校卒という経歴ですから、アメリカ進出第三弾に『炭坑節』を持ってきたのも八大さんの意向があったのかもしれません。仕上がりはジャズ、というよりはラテン&ソウル。
これを、よりジャズ風に仕立てたのが、昭和の大ジャズシンガー、江利チエミです。
江利チエミから鮮やかに戻る福岡の話
江利チエミの『炭坑節』
これはもう、完全にジャズ風に仕上がっています。いわゆるビッグバンドによるスイング・ジャズ。音階がブルーノートではなく民謡、というワールドミュージックですね。そして江利チエミというのは、福岡県が誇る名優、高倉健(北九州市出身、東筑高校卒)の配偶者だったわけです。もう〜、縁がアルある。
と、ここまで書いたところで、
「なんか三池とか田川とか北九州の話になってまうんやけど、フクリパは福岡市のお話限定だったんじゃなかったっけ?」
と怖くなってしまったのでした。ひょっとして、、、炭坑節は福岡市以外の炭鉱町、元祖修羅の国限定の民謡なのではないだろうか、、、。
そんなわけで調べてみたのですが、何だっ!福岡市も炭鉱町だったんですね。
1914(大正3)年に姪浜炭鉱の採掘が始まり、早良炭鉱、西新町炭鉱と採掘現場を広げて年20万トンを出炭、姪浜には最盛期で約8,000人の炭鉱労働者が住んでいました。石炭の運搬を目的として、後に西鉄福岡市内線となる軌道が敷設され、1925(大正14)年には北九州鉄道(現JR九州筑肥線)姪ノ浜駅が開業と、現在の福岡市を縦横に走る鉄道インフラは、この現在の福岡市西区にあった炭鉱をベースに広がっていったのです。
ちなみに炭鉱自体は1962(昭和37)年に閉山。閉山の前年1961(昭和36)年より整備の始まった現在の小戸公園付近に第二坑、愛宕浜1丁目から愛宕浜2丁目のマリナタウンに本坑があり、それぞれに巨大なボタ山があったと言います。
ただ不勉強だっただけなのですが、何となく映画『仁義なき戦い』を観ていても、菅原文太が暴れているのは三池や北九州ばかりで福岡市は芸者さんと遊んでいて飲んでるシーンしかないんですよね。偏屈な北九州市民としては、福岡市はシティ・ボーイ、育ちが違うぜ、みたいな負い目があったわけですけれども(林田だけか?)、父も母も同じ兄弟だったのですね、これからも仲良く修羅の国を盛り立てていきましょう、ブラザー。
ちなみに、プロ野球の埼玉西武ライオンズは、前身が福岡は平和台球場に本拠地を置く西鉄ライオンズだったわけですが、そのため、現在でもチームが勝利した時には『炭坑節』が演奏されます。その理由も、今回、よく分かりました、ブラザー。
さて、今回は『炭坑節』をテーマに紹介してきたわけですが、最後に紹介した江利チエミの真骨頂、カウント・ベイシー楽団と共演した「キャリオカ」をご紹介しておきたいと思います。
江利チエミの『キャリオカ』
ぼくが江利チエミを知ったのは、エゴラッピンというバンドが世に出てきたときに
「江利チエミの再来」
という触れ込みで売り出していたんですね。ボーカルの中納 良恵の高音、このキャリオカの江利チエミのシャウトと高倉健と炭坑節と福岡に想いを馳せる時、なんとなく迫ってくるセンチメンタルな感情ってものがありゃあしないか、と思うのです。
そうじゃないかい、ブラザー。