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九州一の商都・天神はどうやってできたのか。キーとなった「都心界」とは?

九州一の商都・天神は博多商人たちの手によって形成されました。1960年代ころまでは、麹屋番・川端町・ツナバ町・川端通・寿通からなる「博多五町」が福岡市で一番賑やかな商店街でしたが、天神を魅力ある街にして「必ず都心に」という努力がもたらしたものです。商店街と百貨店が一緒になって結成した「都心界(としんかい)」という存在にスポットを当て、発展の軌跡をたどります。

商業施設同士がエール交換の懸垂幕を掲げる。これは「都心界」の企画

 
「都心界」は、天神にある15の商業施設や商店街で構成する親睦団体で、約2,000店舗が属している

2020年春、閉館した天神ビブレと天神コアに向けて、周辺の商業施設がいったん“お別れ”でエールを交換する懸垂幕やポスターを一斉に掲げたことは記憶に残っているだろう。これを企画したのが「都心界」である。


都心界のシンボルマーク(デザイン:西島伊三雄)

天神の商業施設同士がエール交換の懸垂幕を掲げるのは、もはや伝統行事となっている。
2010年3月、福岡パルコが出店した際には、「おとなりさんって、読んでいいですか」(ソラリアステージ)といった歓迎する懸垂幕が一斉に上がり、対する福岡パルコは「天神のみなさま、新入生のパルコです」と返した。当時の福岡パルコ店長は、統一したデザインの懸垂幕に驚き、他の都市にはない天神地区の一体感を感じたという。
 
☆あわせて読みたい記事⇒天神ビックバンで試される”九州一の商都・天神”の実力を探る

エール交換の懸垂幕は、イムズ、ソラリアの開業20、25、30周年や2016年の岩田屋開業80周年など連綿と続いている。競争と協調を掲げ、共存共栄で天神の発展に貢献してきた都心界がこれを支えてきた。
 
 

都心界の名前の由来。「界」は、天神界隈を1つの地域とする連帯感を示している。

都心界は、「真に地域の発展を期すため、デパートと商店街が有機的に結びつくことはできないものか」と連合体づくりを考えた商店街と旧岩田屋(現岩田屋三越)の人たちが、1948年(昭和23年)8月に結成した。当初の「都心連盟」という名称は「天神一帯を将来、必ず都心に…」という願いを込めて、全会一致で決まったという。


まだビルがほとんど建っていない天神のまち(1951(昭和26)年ごろ)(「天神の旗・都心界四十年の歩み」より)

この連合体づくりの発案は、それぞれのトップ層からではなく、宣伝担当者など第一線の人たちがその必要性を痛感した点に大きな特色があり、それ故に組織作りが順調に進んだとも言える。そして、組織の大小にかかわらず発言権を平等にしたことも今日まで一体感が失われず続いてきた要因の一つと言ってもよい。


ビルが建ち始めた頃の天神のまち(1954(昭和29)年ごろ)(「天神の旗・都心界四十年の歩み」より)

翌1949年歳末商戦から、名称を都心連盟から結びつきを表す「会」の都心会に改め、「博多のど真ん中 都心会」のキャッチフレーズが生まれた。共同宣伝や共同催事、懇親旅行を重ねるうちに広域的コミュニティ意識が会員の中に芽生え、1953年8月には天神界隈を1つの地域とする連帯感を示す「界」の都心界に改め、今日に至る。

新天町商店街商業協同組合理事長で、都心界の副会長も務める楢﨑慶司さんは、こう語る。

楢﨑さん

元々、新天町商店街のあったところは「場末の裏町」と言われたところで、にぎやかではなかった天神をここまで発展させたのは都心界の貢献が大きいと思います。
懇親会などを通じて会員同士何でも言える関係が結べており、いざ何かやろうとなった時には皆さんがさっと集まる。すごい団体だなと思っています。

天神発展の要因は、百貨店も量販店も仲間に引き入れる博多商人のしたたかさ

 
経済界の主流が個人から法人へ移ろうとするとき、天神地区の法人各社を集め地域団体を結成しようとする動きがあり、1955年4月、天神発展会(設立時は天神町発展期成会、現We Love天神協議会)(注1)が発足した。

(注1)We Love天神協議会(WL)は、天神地区の住民や商業者、事業者、福岡市などで構成する。

天神をゆるぎない都心にするため、政治・経済・文化などすべての面で中核タウンにすることを活動目的に、うるおいのある街づくりに力点を置いた。1957年には、都心界も天神発展会に加盟し、歩みを共にする。
  
都心界の大きな特徴は、商店街も百貨店も量販店も規模の異なる商業者が一緒に足並みをそろえているところにある。
 
日本各地で百貨店や量販店などの大型店と中小小売店が対立してきたのをしり目に、個別には競争しながらも共同事業をし福岡県や福岡市などに対して要望や提言するなど連携してきた。
天神に進出する商業者を排除するのではなく、逆に都心界への加入を促し、その連携の輪を天神の事業者全体に広げていったのである
 
新天町新築落成記念の大売り出し風景(1955(昭和30)年ごろ)(「天神の旗・都心界四十年の歩み」より)

「天神の都心構想」提言など数え上げたらきりがない、都心界の先駆的な取り組み

 
都心界の取り組みは、今では当たり前になった、都心にイベントホールを設置し、祭りや国際大会、全国大会にイベントフラッグや万国旗を掲げる「旗のある街」の言い出しっぺ、であったり、福岡市営地下鉄の部分開業を受けての通行量調査ならびに地下街の延伸の要望、天神の都心構想といった大きな提言など、数え上げたらきりがない。
 
2021年度末に閉館したイムズビル(1989年4月開業)建設にあたっては、既存の商業ビルではなく、情報性や文化性の強いビルを提言し、「新しい情報を発信し続ける基地」というコンセプトにつなげた。
1989年12月、天神地区渡辺通りの街路樹に最初にイルミネーションを取り付けたのも都心界であった。
 
設立70周年事業では、加盟する15施設を1つの仮想モールとし、2018年4月から共通のポイントカードを始めている。
モール名は「TENJIN UNITED 天神ユナイテッド」、キャッチコピーは「天神、世界一へ」だった。
 
カードの取り組みなどからビッグデータを解析して「天神のデジタル化」を進め、「現金の解消」「待ち時間の解消」「探す手間の解消」の3つを掲げ、「スマートシティ天神」を目指した。
 

都心界の歴史をまとめた「天神の旗・都心界四十年の歩み」と「福岡天神・都心界五十年の歩み」

 

福岡市が「2眼レフ都市」に移行する中で、未来の天神の姿をどう描いていくのだろうか?

 
2011年3月、九州新幹線が全線開業するとともにJR博多駅ビルがオープンした。隣接する商業ビルやオフィスビルも開業し、ターミナルビルの強みを発揮しながら商業集積を増している。

福岡市は、天神一極集中からJR博多駅地区との「2眼レフ都市」に移行しつつある。
 
「天神ビッグバン」計画にともない、福ビル・天神コア・天神ビブレが閉館し、イムズも来年には建て替え工事に入り、天神は今生まれ変わろうとしている。向こう5年間で大きく変貌していくだろう。

その中で、都心界の果たす役割もまた変わらざるを得ないのだろうか。
 
これからの都心界について、楢﨑さんはこう結んだ。
 
楢﨑さん

狭いエリアにいろんな商業施設が集積しているのが天神の特色であり魅力です。それぞれの商業施設が個性を際立たせ、お客様にアピールして、もっと魅力あるものにしていく。それを都心界もまた促していく。
天神のにぎわいづくりとか快適なまちづくりは、都心界だけでは限界があるので、これまで同様「We Love天神協議会」や「天神明治通り街づくり協議会(MDC)」と協力しながら、取り組んでいかないといけません。
天神の発展のためには行政に対しても要望したり、提言するなどモノを言える存在であり続けたいですね。

*都心界・We Love 天神協議会「共同プロジェクトチーム」を構成する14の商業施設では、協力して『♪お願いドミノ編』の動画を作成している。
 

 

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経済ジャーナリスト
神崎 公一郎
1952年、長崎県生まれ。早大卒。地方紙記者、月刊経済情報誌「エコノス」の編集長を経て、㈱プロジェクト福岡を設立、代表を務める。 現在、日本マーケティング協会九州支部の機関紙、西日本シティ銀行の広報誌の執筆・編集や地元企業の社史執筆に従事する。まちづくり、コンベンションに関心が深い。

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