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「治す」とはいかなることか。「心の治療」とは何を治すのか。|東畑開人『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』誠信書房・文春文庫

ビジネス系書籍をアカデミズムの世界から紹介してくださるのは、福岡大学・商学部の飛田努准教授です。アントレプレナーシップを重視したプログラムなどで起業家精神を養う研究、講義を大切にされています。毎年更新されるゼミ生への課題図書リストを参考に、ビジネスマンに今読んで欲しい一冊を紹介していただきます。

「知識」にはさまざまな形がある

 世の中にある「知識」とは本当にさまざまな形があります。学術的に知見が重ねられて理論化されたものもあれば、一般的にそうだと合意を得ている「常識」とも言えるような知識もあります。体系化されて言語化されている形式知もあれば、暗黙的に社会あるいは人々の間で共有されている暗黙知と呼ばれるものもあります。

 

 私のように大学で微力ながら学問の発展に貢献できればと細々と研究を続けている立場からすれば、知識とは体系化されて、理論化されて、多くの研究者の間で合意を得ているものだと考えてしまいがちです。一方で、管理会計という企業実務を理論化しようとしている立場からすれば、すでに体系化・理論化された「学問」から逸脱しているにも関わらず、経営者や当該企業では当たり前のように正当性を持って利用されている何かがあったりもします。

 

 例えば、会社設立の目的として経営理念を掲げ、そこに求心力を持たせるようなミッション・ビジョン・バリュー(MVVと略されます)の重要性が訴えられていますが、それが組織成員に何かをもたらしているのかどうかということは、実はハッキリと明らかになっていません。ですが、そこで働く人々の「意識」を理念に向かわせ、自らそこで働く意義を企業の存在目的と近づける(カルチャーフィットなんて言葉で説明されたりもします)ように導くということは自然に受け入れられているように感じます。あるいは、やや専門的ではありますが、管理会計技法(企業内部で会計情報を用いて組織目的を実現するための方法論)1つ取っても、会計学的には常識や理論を逸脱していても、管理目的には整合的な実践というのも中小企業を見ていると多々あります。

 

 

 

「わからない」「知らない」ということを理解するのが「学ぶ意義」なのかもしれない 

 となると、(当たり前のことですが)学問的に説明できていることはごくわずかなことで、現実はもっと複雑だということに気付かされます。実際が間違えているのではなく、今ある理論では説明できないことがたくさんある。「わからないということを理解できる」のが学ぶ意義であると言えるかもしれません。「知らない」という空白を認識できるようになるために私たちは学ぶ。箱に何かを詰め込むのではなく、詰め込んだ結果、どこにまだ隙間=知らないことがあるということに気づくために学んでいると言えるかもしれません。

 

 また、こうした話は経営学だけに限りません。切り傷ができたらアロエを塗る、喉が痛くなったらネギを首に巻くなんていう民間医療の例はいくらでもありますし、血液型占いや星座占いのように、信じる信じないを都合よく自分で決められることもたくさんあります。学校という場で教育を受け、ある程度の科学的なモノの見方というものを学んでいるにも関わらず、人は体系化されていない知識・論理を受け入れながら生きているという面白い側面もあります。

 

 

 こうしたことを踏まえて、今回ご紹介する本は、独立心理学者である筆者が沖縄で行ったフィールドワークをもとに、「人々の心を癒やし続ける謎のヒーラーたちを取材しながら自ら治療を受け、臨床心理学を相対化しよう」として記されたものです。もとは2015年に研究書として発刊されましたが,今年になり文庫として再刊され,誰もが手に取って読みやすい本に生まれ変わりました。

そして,この間に筆者は沖縄のカウンセラーから大学教員となり,さらには「野の研究者」として臨床心理の現場に携わりながら著述業を行う立場へと変遷を辿っており,そうした人の生き様を垣間見るという点でも大変興味深いものです。特に本書に関して言えば,学問的に体系づけられた心理学の専門家である筆者が、(科学的にはあり得ないような)精神医療の現場=「野の精神医療」に飛び込んで、その狭間で「心の治療」とはいかなるものかを考察したエッセイであり,体系化された学問と野にある実践的な知識との間にある狭間を理解しながら、自分の中に腑に落としていく過程が非常に面白く読み取れます。

 

 

「野の精神医療」流「心の問題」の治し方

 どうも心の問題というと鬱に代表されるように、どうしても重く受け止められてしまう傾向がありますが、この本に登場する治療者あるいは患者はほとんどの人が明るく、日々を一生懸命生きている様子が見えてきます。本書の舞台が沖縄だということもあるでしょうが、そこに出てくる人が面白くて、ついつい笑ってしまうようなエピソードばかりです。「心の治療」に関わるものですから真剣ですし、笑い事ではないのですが、筆者の筆致と相まって面白く読めるのが本書の大きな特徴です。

 

 例えば、筆者は次のような問いを立てています。

 

「なぜ沖縄ではかくも多くの野の医者が活動しているのだろうか」

 

 これに対して、筆者は医療人類学をもとに、仮説を立てていきます。文化と治療がいかなる関わりを持っているのかという大きな問題がここに潜んでいると言います。「治療は文化によって変わってくる。何が病気とされ、何が治癒とされ、誰が治療者で、誰が病者なのか。そういうことが文化によってまったく違う。文化が治療のあり方を決めるのだ」と。

 

 私は専門ではないので詳しくはないですが、医学でも内科的なもの、外科的なものもありますし、東洋医学と西洋医学のように、アプローチが異なれば、患者への接し方、治療方法も異なります。ましてや、本書で取り上げているような「心の問題」は「心の問題」だから、余計に取り扱いが難しいのかもしれません。

 

 

 

西洋と東洋のアプローチの違い 

 著者はここである事例をもとに説明しています。例えば、教室で座っていられず、粗暴な振る舞いをする生徒をどう診断したら良いのでしょうか。

 

 恐らく、西洋的にはこうした生徒を「ADHD」と診断するでしょう。すると、それに適切な薬の処方やプログラムが構築され、実行されたりします。つまり、薬やプログラムを通じて「あるべき姿」に戻す取り組みが行われます。しかし、沖縄では「マブイ」を落としたと言われるかもしれず、「マブイグミ」と呼ばれる魂を込め直す作業が施されることになるかもしれません。また、アフリカの狩猟民の世界では勇敢な狩人の証で、病気ですらないと判断されるかもしれません。

 

 となると、同じ症状であったとしても、その背景にある文化や解釈の枠組みが異なれば、全く異なる治療が行われます。「文化が治療を規定する」(p.81)のだと言います。

 

 そして、その沖縄の文化の中で育まれてきた「野の治療」を通じて治療する側とされる側の間でどんなコミュニケーションが行われ、人々がどのように変容していったのか。学術的にも優れたバックグラウンドを持つ筆者がその解釈に苦労しながらも、鮮やかにその様子を記し、まとめているところにこの本の面白さがあります。筆者にはケアに関連した著書に『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院,2019年)がありますが,これと合わせてお読み頂くことで,沖縄におけるケアの現場がリアリティを持って感じ取ることができます。

 

 

 

 

心の治療とは、人間と人間の出会いである

 そして,筆者は文庫版の再刊にあたり,次のようなことを記しています。

 

「心の治療とは究極的には『人間と人間の出会い』なのだと思う。そして,その効果とは,人間が人間に残す痕跡のことなのだと思う」(p.388)

 

 筆者が自ら治療者として野の医者たちから治療を受けていた時。そして,そこから学問の世界に戻った時。さらには,その結果として独立研究者として生きていくことになった時。そうした判断を下す場面で筆者は野の医者との出会いが重要だったと述べています。

 

 「人生の苦境にあった時期に,私は野の医者たちと出会った。彼らは限られた時間であるにせよ,その時間を一緒に歩いてくれた。隣に居てくれた。その時の彼らの歩く速度やリズム,足の運び方が,私の心に痕跡を残した。彼らのステップの踏み方が伝染して,私の歩き方を少しだけ変えたのだ」(p.388)

 

 そして,その「少しだけ」が残したインパクトが大きかった。そしてこのことこそが心の治療の根幹なのかもしれません。

 

「心の治療とは生き方を再調整するものである」(p.389)

 

 

 

「理論的なことだけが正しい」への疑念 

 どうも学問の世界に生きていると理論的なことが正しいと思い込みがちです。が、世の中にはその理論だけでは説明できないことの方がむしろ多い。だからと言って、全てを感情的に、自分に都合よく理解するのも違います。私も研究者として経営者からその実践を学びつつ、新しい発見をしようとしつつ、教育者として成長途上の学生と向き合いはしますが、彼・彼女たちが時に心のバランスを崩してしまうことから相談を受けることがあります。そうした時に、こうしたモノの見方から学べることは多々ありました。自分と相手との関係から、自分はどのように相手と接するべきか。一方で、どれだけ自分が慎重に相手に接していても、相手の受け方1つでこちらの意図していないことが起きてしまう可能性があること。その時には「正しいか正しくないかはわからない方法」かもしれないけど、後になって相手が変わる重要なキッカケを提供できていたかもしれないこと。本当に世の中は複雑怪奇で、何が正しいのか全くわからなくなります。

 

 この本が教えてくれるのは、今私たちが正しいと思って生きている世界と同じ場所に、異なる論理で正しいとされる世界がいくつもあるということ。そして、そこに救いを求めて生きようとしている人がいるときに、それを簡単に「間違えだ」「おかしい」とは言えないことかもしれません。一方で、それを相対化して自分の中に腑に落としていこうとする視点の重要さです。どうもヒトは自分から見える視点、自分が理解できることを中心に物事を考えがちです。しかし、こうした多様なモノの見方から何が真実かを見つめようとしている筆者の姿から、「学ぶ」ことの意味を知ることができるように感じます。

 

 余談ですが、私もこの本から研究する姿勢に大きな影響を受けています。会計学は簿記や制度が中心で一定の規則性が重視される学問であるように感じています。しかし、先に述べたように、企業経営の現場で行われている実践は極めて多様で、その枠組みからは理解されないようなことでも、体系づければ正当性があるようなことは多々あります。あるいは、経営不振にある企業に「管理会計をどう導入するか」ということを議論することがあります。これはまさに西洋的なアプローチかもしれません。正しく仕組みを入れれば、仕組みが機能するはずだからと。しかし、野の医者が教えてくれることは必ずしもこれが正解ではないということです。「治療」に多様なアプローチがあるのだとすれば、どこに救える手立てがあるのか。技術を単に導入すれば良いのではなく、心の問題を解決することで前進することもあるのかもと考えています。

 

 できるだけ論理的であるべきだけれども、最終的な納得感は心によってもたらされる。だとしたら、私たちがこの本からいかに心と向き合うかを学ぶことには大きな意味があると言えるかもしれません。ぜひご一読ください。

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福岡大学商学部 准教授
飛田 努
福岡大学商学部で研究,教育に勤しむ。研究分野は中小企業における経営管理システムをどうデザインするか。経営者,ベンチャーキャピタリストと出会う中でアントレプレナーシップ教育の重要性に気づく。「ビジネスは社会課題の解決」をテーマとして学生による模擬店を活用した擬似会社の経営,スタートアップ企業との協同,地域課題の解決に向けた実践的な学びの場を創り出している。 著書に『経営管理システムをデザインする』中央経済社がある。

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