私たちが待ち望んでいたのは、なぜ自閉症の子は独特なふるまいを見せるのか、その理由の、彼による説明だった。
ー「自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫/東田直樹)」 解説にかえて/デイヴィッド・ミッチェル (P181) より
映画「僕が跳びはねる理由」は観客に、自閉症者がどのようにこの世界を見て・感じているかを擬似体験させる。極端なフォーカスで切り取られた視界。あらゆる物音が音量差もなく一律に鳴り響く聴感。そこに現在と過去という時間感覚まで混ざり合う。周囲から知覚される感覚と情報が、洪水のように一挙に流れ込む。それはまるで全身が感覚器になったような、鮮烈な体験である。
映画の原作となった「自閉症の僕が跳びはねる理由」は、当時13才だった自閉症者の東田直樹が綴ったエッセイ。それまで理解されていなかった自閉症者の内面を、会話のできない少年が文字盤を駆使して完成させたことからも注目を集めた。この本を、日本に縁のあった英国人作家デイヴィッド・ミッチェルが手にする。自らも自閉症の息子を持つミッチェルは、本書を「天の啓示といってもいい、思いがけない贈り物」として、翻訳してより多くの読者へ届けることを決意。出版された「The Reason I Jump」は30ヵ国以上でベストセラーとなり、世界中の自閉症者とその家族たちへ希望を与えた。
©2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
映画は、世界各地の5人の自閉症の少年少女たちとその家族の証言を紡ぎ、自閉症者と世界のあいだで起きていることを映し出す。彼らはすべてを見て、聞いて、理解している。いつでも私たちと同じかそれ以上に複雑な思考を重ねているが、ただそれを伝える手段”だけ”を持ち合わせていない。私たちは、もっと彼らのことを知る必要がある。彼らだけが見出すこの世界の圧倒的な美しさを知れば、誰もがそのことを理解されるだろう。
今回、この映画を一緒に見てくださったのは、盛田美代子さん。「公益社団法人スペシャルオリンピックス日本・福岡」と「福岡市自閉症協会」を兼任されながら、この街で自閉症者の社会参加のための活動を続けている。そして、自閉症者の息子さんを持つ、お母さんでもある。
盛田美代子さん
それは、〈障害〉なのか?
「2人いる息子のうち、次男が知的障がいをともなう自閉症です。1歳半の定期検診の際に、病院でその可能性を伝えられたときには、驚きました。2歳違いの上の子とは様子が違うとは思っていましたが、小さいうちはそれが本人の個性や性格なのか、障がいによるものなのか、区別できずにいましたから」
自閉症の定義はとても難しい。まず「発達障害」と「知的障害」という2つの大きな障害のグループがある。うち「発達障害」にはさらに、①広汎性発達障害、②学習障害(LD)、③注意欠陥多動性障害(AD/HD) という3つの小グループがあり、自閉症やアスペルガー症候群は、その①広汎性発達障害に含まれるものだ。
自閉症の症状には「こだわりの強さ」「想像力の欠落」「コミュニケーション能力の不全」などが挙げられるという。いまだ原因も解明されておらず、健常者と重度の自閉症者のあいだに明確な境界が引ききれないことからも、近年では「自閉症スペクトラム(=グラデーションのような連続体のこと)」とも呼ばれる。
「発達障がいも知的障がいも、見た目では分かりづらいんです。そのうえ、自閉症者のなかには、知的な遅れがまったくない、むしろ天才の領域に近いような人もいます。周りの人もなかなか理解しづらいでしょうし、どこをどうサポートしてあげたら良いか分からない、ということもあると思います」
幼少期の次男さん
映画のなかで、自閉症のこどもたちは突出した力を発揮する。通学時に何気なく見ただけの情景を帰宅後に仔細に描き起こしたり、幼少期の記憶と2分前の記憶を同じような鮮明さで語ったり……。
「うちの子どもは、カレンダーでした。何年何月は何曜日、を100年前でも200年先でも即答できるんです。適当に江戸時代の年号と日付を与えたって、ぴったり曜日を言い当てる。どうやって理解したか想像も出来ませんが、閏(うるう)年による暦のズレまで呆気なくクリアしていました。
我が家に2段ベットが届いて、当時小学生だったお兄ちゃんと彼が、上の段を取り合ったときにも面白いことがありました。彼は即座に『今日は僕が上に寝る、明日はお兄ちゃんが下に寝る、明後日はまた僕が上に寝て、その次はお兄ちゃんが下だよ』と提案したんです。はじめはお兄ちゃんも、うんうん良いよ、と答えたのですが、分かりますか? 実はこれ、彼がずっと上の段に寝続けるということを、言い換えてるんです。それが分かって、家族みんなで驚きながらも、ケラケラ笑い合ったことがありました。
こんな風に驚かされたこと、笑わせてくれたことは、これ以外にもたくさんあります。たしかに大変ではありましたけど、普通の子育てでは味わえないこんな楽しさをたくさんもらったことを思うと、これで十分だなぁ、とも思います」
作品のなかにも驚くべき力を発揮する子どもたちの様子が登場する ©2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
エジソンやアインシュタインなど、世界に新たな未来像を描いた偉人の多くにも、発達障害の傾向が見られたとも言われる。彼らは、この世界をまったく違う視点から見ている。
「物事どうしを区別するボーダー(境目)って、実際には”無い”んですよね。そこを超えてしまえる彼らのような存在が、確かに歴史をつくってきたのかもしれません。私の息子は、偉業を成し遂げる人物ではないかもしれませんが、彼らのだれもが〈ユニークな存在〉なんですよ。私たちとはちょっと違った視点で物事を見たり、行動したりする。そんなユニークな彼らが”そのまんま”居ても良いんだという社会になるといいなと思っています」
病気でもなければ、症状の定義さえもあいまい。おまけに日常生活に支障をきたさない人までいるとなると、果たしてこれを〈障害〉として一括りにして良いものだろうか? それは〈個性〉の差でしかないのではないか?
「私たちと彼らの間で異なるのは、目の前の事実をどう捉えて反応するか。その違いだけです。そういう意味では仰るように〈個性〉なんです。ただそれが日常生活に支障を生んだり、人との関係のなかでのトラブルに繋がったりするところに〈障害〉があるからこそ、簡単に〈個性〉と言い切れない難しさもあります」
彼らの特別な〈個性〉を〈障害〉にしているのは、社会の方かもしれない。
©2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
福岡という社会のなかで生きる
盛田さんの息子さんは現在38歳。就労継続支援A型事業所で働いている。A型事業所とは、厚生労働省による障害者福祉支援法に基づく福祉サービスで、一般の就労が難しい障害者などを対象に、様々な企業が就労機会を提供している。
「息子は、エフコープさんがやっているA型事業所で、椎茸の菌床栽培と、蓄冷剤のパッキング作業をやっています。仕事に関してはきっぱりと『しなくちゃいけないもの』と決めているようです。単純な作業でも、一度やると決めたときに発揮する力は、驚くべきものがあります」
「お休みの日にはスポーツですね。子どもの頃から身体を動かすのが好きな子でした。体が大きくなるにつれて、私たち大人が付き合ってあげるのが難しくなってきたときに、現在私が事務局に携わっている『スペシャルオリンピックス日本・福岡』と出会いました。スペシャルオリンピックスは知的障がいの方のためのスポーツ団体で、日常のトレーニングプログラムを提供しています」
現在170ヵ国以上の加盟国を数える「スペシャルオリンピックス」。福岡には1996年に設立された。
自閉症者の社会参加を考えるときには、当事者のご家族へのサポートも不可欠である。福岡の状況は、どのようなものなのだろうか。
「『ペアレントメンター※』という活動が、数年前から全国的に広がっています(※自らも発達障害を持つ児童の子育てを経験した親が、相談支援に関する一定のトレーニングを受け、共感的なサポートを行う制度)。福岡でも様々な団体がこの活動を行っており、私が副会長を務める自閉症協会も、そのひとつです。親同士が経験談や悩みを気軽に話し合えるこのサポートは、自閉症者の社会参加のための、重要な第一歩だと考えています。なぜなら子どもの社会参加の要(かなめ)になるのはいつでも母親であり、そのサポートが必要だからです。
私も子どもが小さい頃、一番役に立ったのは、発達障がいの子育てを経験してきた先輩たちの言葉でした。もちろん専門家のアドバイスも大切です。しかし、同じような思いを何年か先に経験してきた人たちの話は、すっと入ってくるところがありましたし、話を聞いてもらえるだけで解決できるものもありました。
もっとも、発達障がいは一人ひとりまったく症状が異なるので、アドバイスがそのまま自分の子どもに応用できるわけではありません。しかし具体的なイメージを持つための手がかりにはなる。このようなサポートは、自閉症者本人の社会参加に先立つものとして、不可欠なものだと思っています」
福岡市自閉症協会でもペアレントメンターの活動を行っている
聞こえなかった本人たちの声を、聞こえるように
盛田さんに、自閉症者の社会参加が困難になっている理由を尋ねるほどに、そこには「当事者自身が気持ちを伝えられないこと」があった。
「息子も中学生や高校生くらいまでは頑張れていたんですが、ある年齢を超えた頃から、回答を伝えづらい質問には『わかりません』の一言で片付ける術を覚えてしまった。小さい頃は好奇心の塊で、なんでもかんでも突進してはやってみる、を繰り返せていましたが、そのうちにチャレンジしなくなってしまうものが増えてきました」
彼の内面を思うと胸が痛む。映画の原作となった本には、以下のような一節がある。
つまり、感情の乏しさも、人といることを嫌うのも、自閉症の〈症状〉ではなく〈結果〉だということなのだ。
自己表現に対しての、かれらの頑なな封鎖のせいであり、自閉症者の頭の中で何が起きているのかについての、ほとんどあっけらかんとした社会の無知のせいなのだ。
ー「自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫/東田直樹)」 解説にかえて/デイヴィッド・ミッチェル (P183) より
©2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
世界中の障害当事者が集まり、2006年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」の理念は〈Nothing About us without us (私たちのことを、私たち抜きで決めないで) 〉。いま、私たちにはもっと〈本人たちの声〉が必要である。
「この映画は、自閉症者本人たちからのメッセージが軸になっています。自閉症者はずっと、言葉で伝える術を断たれてきたからこそ、他の障がいにも増して〈本人たちの声〉の数が残されていません。時には『それは本人のメッセージでなく、親が言っていることでしょ』とされてしまうことさえあった。だからこそ、こうして本人たちのメッセージが表現されたこと、それを誰もが分かりやすい映像というかたちで届けられたことは、ものすごく意味があることだと思います。
この映画は、きっと当事者のご家族はご覧になるんだと思うんです。だけど、そこからもう一人。一人ずつでも良いから、新しい誰かに届いてくれたらと、願うんです。映画をきっかけに、彼らのことに関心を抱いてくれる人が、たったひとりでも増えてくれたら、と」
自閉症者とともに在る新しい世界は、私たちが彼らの声に耳を傾けることから始められる。
映画は世界自閉症啓発デーの4月2日(金)に公開される。
©2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
『僕が跳びはねる理由』
https://movies.kadokawa.co.jp/bokutobi/
原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)
翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)
監督:ジェリー・ロスウェル プロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー
撮影: ルーベン・ウッディン・デカンプス
編集: デイヴィッド・シャラップ
音楽: ナニータ・デサイー
原題:The Reason I Jump 2020 年/イギリス/82 分/シネスコ/5.1ch/
字幕翻訳:高内朝子/字幕監修:山登敬之/配給:KADOKAWA
© 2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
スペシャルオリンピックス日本・福岡
http://www.son-fukuoka.gr.jp/
福岡市自閉症協会
https://fuk-autism.com/