大学生ライターが行く!

オンラインもLGBTQも受け入れる香椎宮(福岡市東区)。「Eカシヒノミヤ」を通して改めて知る、神社の「在り方」。

福岡市東区にある「香椎宮」。その由緒や言われが全国に誇る素晴らしいものであること、少し切ないストーリーを携えていることは、まだまだ知られていないかもしれません。この春、新しくスタートした「Eカシヒノミヤ」という香椎宮のサイトを通して、香椎宮がどんな背景を持ち、そして「神社」が長きにわたり大切にしてきている「在り方」を探ります。取材は福岡大学3年生(2020年7月現在)の大学生ライター・大塚千尋さんに担当してもらいました。

「夫婦の神社」として知られ、全国で16しかない勅祭社の一つ「香椎宮」

昂然(こうぜん)と構える楼門をくぐると聞こえてくる
  木の葉ささやく音、鳥のさえずる声、子どもたちのはしゃぐ声 ─── 。

── 皆さんはいつ、どのような時に神社を訪れますか?

私はお正月や何かを祈願する時にしか訪れたことがなく、神様が祀られているため近寄り難く身構えなければいけない場所だと思っていました。

そんな中、今回訪れたのは福岡市東区にある香椎宮。仲哀(ちゅうあい)天皇とその奥さまである神功(じんぐう)皇后が祀られており「夫婦の神社」として知られています。

また、全国で16社しかない天皇家を祭る勅祭社(ちょくさいしゃ)の一つとして、10年に一度天皇からの勅使の参向を受ける神社でもあります。旧社格は官幣大社であり、現在は神社本庁の別表神社です。

そして香椎宮は今年5月から新しく「多様性の尊重」と「世代の豊かな更新」「世界平和」への祈りを通してインターネットにおけるバーチャルな神社の在り方を模索する「Eカシヒノミヤ」という事業を始めました。

リアルな神社とバーチャルな神社があるの?という疑問を抱いた方も多くいらっしゃると思います。私は今回の取材を通して神社に対する考え方が大きく変わりました。この記事を通して、皆さんも一緒に神社の本質を探っていただければと思います。

「今日はよろしくお願いします」
そう言って名刺を渡してくださったのは今回取材を引き受けてくださった木下英大さん。

── この名前の上に書いてあるのは、何て読むのですか?

木下さん「これは権禰宜(ごんねぎ)と言って、神職の職階の一つです。神社の規模や由緒によって異なりますが一般的には、宮司(ぐうじ)・禰宜(ねぎ)・権禰宜(ごんねぎ)が置かれていて、権禰宜の権は『』と言う意味なんです」

『権』と言う漢字は昔、官名に被せてかり=(権)に置いた地位を表していたそうなんです。仏が人々を救うために仮に神の姿でこの世に現れる「権現」と同じ使われ方ですね。

一つひとつの名称や事柄に潜む本質をしっかり考えることを大学のゼミで学んでいますが、まさにその一つと感じました

そうなると他にも…
訪れてから気になっていたので聞いてみました。


香椎宮には門の上の部分や柱などにハート型に見える模様があります。

── なぜ、ハートのマークがたくさんあるのですか?

木下さん「これはハートではなく「猪目(猪の目・いのめ)」と呼ばれ、仏教美術が由来の魔除けのための模様なのです」

取材前に伺った言葉一つをとっても、本質的な意味がそれぞれにあって、聞けば聞くほど興味をそそられます。

やはり、今回の取材はかなり勉強になりそうだとワクワクしてしまいました。
が、しかし、それはほんの入り口だったのです!

「夫婦の神社」と呼ばれる香椎宮の始まり

木下さん「香椎宮の、ことの始まりは199年。国の中心である大和朝廷は紀伊半島に置かれていたんですね。当時、南九州と大和朝廷の争いがあって14代目の仲哀天皇と奥さまの神功皇后がそれを鎮めるために九州に来られました。その時の拠点がここ香椎なのです」

── お二人は香椎を仮のお住まいとして、日々活動していたのですね。ではどんなことをしていたのでしょうか。

木下さん「神功皇后は神様の言葉を降ろすことができる特殊な能力を持っていたんです。薄暗い森の中、隣で仲哀天皇が琴を弾きながら神様からのアドバイスを聞いていたと言われています。しかし仲哀天皇はそのアドバイスを信じることが出来ず、適当に琴を弾きました。すると神様の怒りに触れたのか、灯りを当てたところ仲哀天皇は亡くなられていたそうです」

── 今ではなかなか信じがたいお話ですが、ここ香椎宮は天皇が亡くなった場所なのですね。突然愛する旦那さまを失った神功皇后は、大変悲しく心細かっただろうと思います。

木下さん「神功皇后は崩御された(亡くなった)旦那さまを悼む場所として香椎廟を建てて仲哀天皇を祀り、天皇の代わりに男装をしてその職務を全うしました。皇后ご自身ものちに崩御され、奈良時代第44代元正天皇の枕元に現れて『仲哀天皇と同じ香椎の地に祀って欲しい、一緒にいたい』とおっしゃったそうです。そうして香椎廟の建立から約500年経った724年に、思い出の地である香椎でお二人でご一緒に祀られ、この地は香椎宮となりました

夫婦でずっと一緒に居たい。これが夫婦の宮、香椎宮と呼ばれる所以であり他者を想う気持ちが込められています。

そんな香椎宮は2024年で創建1300年を迎えます。長い歴史を経て、お二人の愛が祀られている香椎宮をこれからも守っていくために新たな取組みをされています。

神社の在り方をインターネットでも伝える「Eカシヒノミヤ」

その新たな取り組みというのが「Eカシヒノミヤ」です。

人々の繋がりをまだ空白(Empty)電子(Electronic)の中で実現し、その中でも神社の本質(Essence)を見失うことなく、それぞれの想いが集まる場所としてEカシヒノミヤと名付けられました。

木下さん「新型コロナウイルスの流行により、人と人が距離を取ることを余儀なくされてきましたよね。そこで皆さん改めて感じたと思うんです。人と人との繋がりって大切なんだなと。その『繋がりたい』と思う気持ちを、夫婦を祀っている香椎宮ならではの取り組みとして、リアルな神社だけではなく、これからさらに普及していくインターネットの世界でも持てたらという思いで始めました」

自分以外の誰か、つまり他者が無数に集まって構成される社会の最小単位を「夫婦」と捉えることによって、その核(コア)となる部分には人を愛する情熱や、共に生きたいと願う気持ちがあるということを知ることができます。


神社のサイトとは思えない、AIやLGBTQなどの単語も…(「Eカシヒノミヤ」より転載)

Eカシヒノミヤの概念には「LGBTQ」と言う単語も入っています。

実は取材をするまで知らなかったのですが、私が通っている福岡大学の学生さんが同性愛や性同一性障害などのセクシャルマイノリティーへの理解を求める「福岡レインボーパレード」を企画しているそうなんです。この多様化する社会の中で互いを認め合い受け入れ、共に生きていこうという思いこそが社会を形作る本質なのだと思いました。あくまでも、そんな多様性を含めた「他者」の最小単位として「夫婦」を捉えようと言うことなのですね。

── ここまでのお話を伺ってみても、何百年、何千年続いている神社からみれば、急速に進む社会の変化などは大したことではないというような大きな捉え方があるように思えます。

木下さん「長い歴史があるから古いことを続けるのではなくて、長い歴史があるからこそ新しいものを吸収して自分を変えていくことが大切だと思います。『伝統とは革新の連続である』という言葉を聞いたことがあるのですが、まさにその通りだと思います」

現代社会の「他者との関係性の多様性」はインターネットの出現によって人々がより受け入れやすいものになり、その場所として「Eカシヒノミヤ」という存在がより大切になっていくのかもしれません。

香椎宮の過去、現在、そして香椎の町と歩むこれからの未来

── こうして見ると、神道の考え方には多様な価値観を受け入れてくれる、まるで正のスパイラルのような常にポジティブな精神が根底にあるような気がします。

木下さん「その通りです。実は神道には終末思想がないんですよね。今日より明日、明日より明後日。常に良くなるという考え方なんです。それが『中今(なかいま)』『予祝(よしゅく)』『常若(とこわか)』という言葉にぴったり当てはまるんです。今生きているこの瞬間が最高であるという「中今」の観念と、人生で次に来るであろうお祝いを予め祝う「予祝」という概念。そして「中今」の精神で「予祝」の繰り返しが常に上昇し「常若」な世になるという態度があります」


予祝、中今、常若のスパイラル(「Eカシヒノミヤ」より転載)

つまり神社でのお参りは単にお願い事を叶えてもらうためだけなのではなく、きっと良くなると未来を予祝し、中今の自分が「常若を目指していきます」と神様に誓う行為なのです。

この考え方から見てみると、人々の神社の捉え方も様々に変化してきたように思います。良いときもあれば、良くないときもあって、今がある…昔は神社が戦争と結び付けられており、敬遠されることもあったそう。今はパワースポットや、一つのオリエンタリズムだと感じている人も多いのではないでしょうか?

木下さん「ずっと良くなるはずというよりかは、きっと良くなるんだと思いながらタフな気持ちでやっているんでしょうね。そして、その気持ちを受け止めてくれる神様に感謝して私たちは生きているのだと思います」

目まぐるしく変わる社会を生きている私たちにとって、神道の考え方はなんだか背中を押してくれるような感覚になります。しかし常にポジティブに生きていても時々立ち止まってみたり、自分を見つめ直したくなる時があると思います。

木下さん「人間社会に所属している私たちが落ち込んだりくたびれてしまう時、人間社会そのものがよりずっと大きな自然環境に所属していることを、神様との交流や森や川や海の中に佇むことで感じられるのではないかと俯瞰すると、人間社会がちっぽけに思えてくるのではないでしょうか。自然環境に所属している実感を覚えて癒されたり…私も自分の人生の40年がちっぽけに思えます。1300年の歴史的な場所に身を置き、より長い時間に所属することで安心したり気が楽になると思います」

こうしたオンラインでの神社のあり方と共に、リアルな神社の存在も1300年の歴史がある香椎宮にとっては欠かせません。現に、地元の方々との関わりも深いようで、「ボランティアで僕が知らない間に伸びた木を切ってくれていたりするんです(笑)」ともおっしゃっていました。それはおそらく、氏子さんたちそれぞれの人生においても昔から身近に香椎宮があり、自分にとって大切な庭のような存在だからなのではないでしょうか。

香椎宮は本来の自分を取り戻す心のよりどころとして、リアル香椎宮とオンラインでの香椎宮の両輪、また、全国に16社しかない勅祭社としての品格を保ちながら地元に強く根ざした神社として社会に貢献していくのでしょう。

「香椎」の由来は「香り」が「椎の木」から漂ってきたから

取材の最後に木下さんはかなり大きくそびえ立つ木の下に案内してくれました。

木下さん「神功皇后が愛する仲哀天皇の亡骸を棺に入れてこの椎の木に立てかけたんです。
その時、椎の木からあたり一面に香りが漂ったことが由来となりこの地を『香椎』と呼ぶようになったそうです」

日本の平和を守ろうとし、志半ばで命を失った仲哀天皇は愛する神功皇后に「香り」で最期の別れを伝えたのでしょうか

私たち取材班が訪れたその日も、落ち着いた爽やかな椎の香りが漂っていました。

伝統とは革新の連続

ずっと継続していることを大きく変える勇気がない。例えば、よく行くご飯屋さんでいつも同じメニューを頼んでしまい違うメニューに挑戦できなかったり、いつも着ている服の系統を大きく変える勇気が出なかったり…私はよく日常の中でそんなことを思います。

香椎宮は1300年もの歴史がある中、インターネット出現などの変化を恐れず寛容に受け入れ共存しているのだと感じました。

それは「伝統とは革新の連続」という言葉に込められていると思います。

今回、革新を続ける香椎宮を「Eカシヒノミヤ」という事業を通してより深く知ることが出来ました。私は小さい頃から、実家の近くに神社があったと言うこともあって存在自体は身近に感じていましたが「神様がいる神聖な場所、お祈りをするために行く場所」と言う印象が強く、訪れる時はついついかしこまっていました。

今回、革新を続ける香椎宮を「Eカシヒノミヤ」という事業を通してより深く知ることができ、神社に対する「神聖で足を踏み入れにくい場所」という印象が「どんな自分も受け入れてくれる訪れたい場所」へと変わっていきました
このような機会がなければ決して知り得なかった神社の本質を深く探究できた取材だったと思います。この本質を学んだ上で今後、様々な神社を訪れてみるとさらに新たな発見と学びがありそうですね。これからも、ぜひ色んな場所を訪れてみたいと思います。

■香椎宮
〒813-0011 福岡県福岡市東区香椎4丁目16−1
HP http://kashiigu.com/
Eカシヒノミヤ サイト http://kashiigu1300.com/

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大学生ライター
大塚千尋
1999年生まれ、福岡県田川市出身。現在福岡大学商学部商学科3年(2020年7月現在)。飛田努ゼミナールに所属。自分自身のなりたい像を野菜に例えるなら「人参」。和洋中問わず様々な料理に使われているが、常にその存在感は失わない。そんな女性になるために今日も日々奮闘中。

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