糸島の自然海塩「またいちの塩」。「見せて」伝える塩のおいしさとそのこだわり。

福岡・糸島の手づくり自然海塩「またいちの塩」が評判を高めています。元料理人が追求する“本物の塩”への高い評価に加え、工房の見せ方、ネーミング、塩を軸とした食の提案・展開、そしてユニークなコラボ商品の開発……。やぐらに竹をつるした立体式塩田でつくられる昔ながらの素朴な塩の裏側には、地道な経営戦略が潜んでいるようです。

「またいちの塩」ってなんだ? 手づくり天然塩ブームの中で目を引くネーミングの妙

 
気になったきっかけは、不思議なネーミングだった。
 
専売制が廃止されて以降、全国各地で昔ながらの「天然塩作り」が復活。その多くは「〇〇島の自然塩」「手づくり天然塩××」「古代の……」などと自然・天然の製法や地名を前面に打ち出している。
 
健康志向の時代、「塩は高血圧のもと」とワルモノ扱いされがちなだけに、工業的製法の「精製塩」との違い、ミネラル豊富な海水のイメージを打ち出すのは当然だろう。そうして、九州では熊本・天草、長崎・五島、沖縄など美しい海に抱かれた地が、天然塩の生産地として名を高めてきた。
 
その中で異質だったのが「またいちの塩」だ。製造者名には「新三郎商店株式会社」とある。代々続く老舗か? いや、福岡でそんな老舗は聞いたことがない……。
 

「食卓に置きたい!」と心そそられる文字や容器のデザイン。料理の味を引き立てるだけでなく、食卓に美しい彩りを添えてくれるのも「またいちの塩」の魅力だ

名刺交換したところ、代表取締役は「平川秀一」さん。「またいち」でもなければ「新三郎」でもない。
 
平川さん

又一(またいち)は父、新三郎は祖父の名前なんです。


 
では「塩作り」は父の果たせぬ夢だったのか?「いえ、全然」と平川さんは笑う。
 
平川さん

小難しいことが考えられなかっただけで話は単純。塩がおいしいかおいしくないかという味覚って、親から伝わるものじゃないですか。味覚って結構受け継がれていますよね。


 

「いろんな規制や決まり事も何か突破できないかと考えて……まあ、無茶と我慢でやってきたんですね」と語る平川秀一さん

ちなみに、後に触れる「ゴハンヤイタル」の「イタル」は母方の祖父(格)、「sumi cafe」の「スミ」は母方の祖母の名(澄江)からとったのだという。拍子抜けしそうな種明かしだが、「どういう意味?」と興味を引く「またいちの塩」のインパクトは大きい。
 

「うまい海水」を探し求めて。たどり着いたのが注目の町・糸島の突端部

 
「またいちの塩」の製塩所「工房とったん」は、福岡市の中心部から車で西へ1時間半ほど、文字通り糸島半島の突端にある。英情報誌「MONOCLE(モノクル)」の「輝く小さな町」ランキングで世界3位に選出されるほどの注目の町「糸島」のなかでも、観光スポットや移住者たちの居住エリアから、かなり離れた場所だ。
 
平川さんがこの地を選んだのは、そんな町外れの突端ゆえのことだった。
 

「工房とったん」から望む海。波にさらされた石は赤く色づき、波が届かない部分は白いまま。この色の違いが「海藻が多く養分豊富な海」であることを示している

福岡は北側に海を抱く地理的条件から、塩田の天日干しに向いていない。しかし、半島の突端ならば南向きに塩田を構えることができる。さらに、外海と内海=きれいな海水と養分豊富な海水とがぶつかりあう好条件で、山のミネラル(養分)を豊富に含んだ海水、そして周囲に民家が少ないため生活用水が入っていないきれいな海水が使える。
 
平川さん

だから、海水がうまいんです。


 
海の澄んだ美しさで言えば、沖縄の方がずっと勝っている。しかし、懐石料理の板前として働くなかで「塩に味がある」ことを知って塩作りを志し、「うまい海水」を求めて各地を訪ね歩いた平川さんの舌を納得させたのは、糸島半島の突端の海水だったのだ。
 
 

「この味がわかる人に」。販促もかけず、ただただ我慢の10年

 
立体式塩田で1週間から10日ほど、自然の日と風にさらして塩分濃度を高めうまみが出やすい状態にしたうえで釜炊きへ移る。
 

逆さにつるした竹の枝からしたたり落ちる海水が日の光にキラキラ輝く。見事に糸島の海と調和、美しい景観を創り出している

大きな鉄釜に薪をくべ60度程度で2日。塩分濃度が20%くらいになったら別の釜に移して1日、炊きつめる。1日寝かせた後に水分を取って乾燥させ、ふるいにかけて手で選別していく。少しでも雑味が入ったものはふるい分けして、高い品質を維持している。
 

炊き詰めて飴色になった海水から塩の結晶があらわれる。鉄釜はさびるので5年おきに取り替え、薪を調達するのも大変だが「いろいろ試した結果、鉄釜と薪で炊きあげた塩が一番おいしかった」という

海水を汲んでから半月ないし1カ月。すべてが手作業で、海水1リットルからわずか1グラムほどしか採取できない。
 
まさに「職人」の汗と真摯な営みの結晶だが、当初はまったく売れなかった。昼間に塩をつくりながら、夜は先輩を頼っては料理人として働かせてもらう暮らしを数年間続けた。それでも「市中の塩の何倍も手間をかけ、思いを込めて」つくる塩に、「価格も取り扱い先も妥協したくなかった」という。
 
平川さん

この味をわかってもらえる人に、届けたかったのです。


 
店の方向性やターゲットを見極め、「またいちの塩」の真価をわかってもらえる店使ってもらいたいと思ったところ以外には販促さえかけなかった
 
しばらくするうちに、ワンランク上の商品や本物志向の食材を取り扱う福岡の高級食品スーパーや、その周辺のいくつかのレストランが注目。業界で「またいちの塩」の名がささやかれるようになってきた。
 
そのうち「ミシュランガイド」で「星」を稼得した東京のレストランが導入。公表されることこそなかったものの、次第に「星一つ」の店から「星二つ」「星三つ」の店へ……。その噂を聞きつけた福岡のレストランが“逆輸入”。
 
ただただ我慢の10年を経て、ようやく軌道に乗ってきたという。
 
 

「たかが塩」で終わらせないための戦略とは? 視覚による訴えに力を入れたワケ

 
平川さんが、当初から強く意識したのが「視覚による訴え」「塩の見せ方」だった。
 
味の違い、栄養分の違い、製造過程の手間暇の違いを言葉や文字で表現しても、なかなか伝わりはしない。「たかが塩」と流されてしまいがちだ。
 
平川さん

塩のおいしさを伝えるには、「見せる」しかありませんでした。


 
太陽の光を受けてキラキラと竹の枝を滴り流れる海水の粒、赤々とした薪の炎、湯気のたつ大きな鉄釜、手作りの道具で攪拌し、すくいとられた塩の結晶。海と光と風と火と……豊かな自然に育まれ、膨大な手間をかけて生み出される一粒の塩のありがたさは、この目で見てこの場で味わってこそ深く実感できる。
 
立体式塩田に効率的なビニールシートを張らず、竹の枝をつるしたのも「見せる」ことを意識したため。
 
平川さん

塩の生まれる場所、きれいな海とロケーションを見て、その場で食べることができれば、と考えました。


 
工房の前に広がる玄界灘のロケーションを満喫するために、柵や手すりは一切作らず、眺めのよい場所にベンチやテーブル、展望台を設置。当然、来訪者はその場面をカメラに収めるそれがSNSで拡散、「映える」スポットとしてさらなる集客へと発展。予想を超えた現象ながら、狙い通りに「またいちの塩」の価値を高めていくこととなった。
 
新型コロナウイルス感染症の関係で、現在はクローズしている部分も多く、「その場で味わう」体験はしばらくお預け。それでもなお、半島の突端には人の波が絶えることがない。
 
 
工房の建物はすべて手作り。もともとログハウスを学ぶためにワーキングホリデーでカナダに渡った経験を持つ平川さんの腕の見せ所だ

まるでテーマパーク? 全国から集まった多様な人材を力に、塩を軸とした展開は限りなく続く

 
「またいちの塩」を大きく飛躍させたのが「SNS映え」で爆発的にヒットした「しおをかけてたべるプリン」だろう。このほか燻製風味に仕上げたサバ、塩せっけん……塩を活用した商品を次々と開発している。
 

地元の卵や牛乳など厳選した素材でつくられたプリンに特製の塩をかけて食べる。カラメルをかけても溶けない塩のカリカリッとした食感とトロトロッとしたプリンのなめらかな食感がが絶妙のハーモニーを醸し出す

さらに、「工房とったん」から車で30分ほどの地に、古民家を改築した「ゴハンヤイタル」と「sumi cafe」、塩と調味料やうつわ、日々のものを販売する「新三郎商店」がある。工房見学の後は、塩を使って地元の食材のうまみを引き出した料理を味わい、カフェで一息。お土産を買って帰る……テーマパークのように塩を楽しむことができる。
 


2006年にオープンした「ゴハンヤイタル」。糸島の食材の旨味を「またいちの塩」でさらに引き出す料理を提供。羽釜で炊いた塩屋こだわりのおむすび、糸島の鯛の塩釜焼きなどが人気だ

一人で始めた塩作りだったが、これらの事業展開につれて従業員は66人に。そこで見逃せないのがWEBサイトを活用した人材採用戦略だ。全国からさまざまな経験を持つ多彩な人材が集まった。
 
「イタル」の厨房は、静岡、群馬、東京と関東圏の人たちが集中。コスタリカ経由でやってきた日本人もいれば、アムステルダムから応募してきたオーストリア人が在籍したこともある。

 【ゴハンヤイタル】
■住:〒819-1151 福岡県糸島市本1454 ※イタル、新三郎商店、sumi cafeは同じ敷地内
■営:11:00〜17:00
■TEL:050-3503-4220(予約専用)



築120年を超える屋敷内にあった馬小屋を改築してつくった「sumi cafe」は2020年4月にリニューアルオープン。人気の塩豚バーガーをはじめ、塩を隠し味に生かした軽食とドリンク、デザートが楽しめる
 【sumi cafe】
■住:〒819-1151 福岡県糸島市本1454 ※イタル、新三郎商店、sumi cafeは同じ敷地内
■営:10:00〜17:00
■TEL:092-330-8732(10:00~17:00)

平川さん

出身が違うと味覚も違うし、刺激的で面白い。多様な人材がいることで、企業として「守りに入らない」面白さを維持していけると思うんですよ。


 
スタッフの提案で生まれた新商品は既に数多い。数年がかりで進めてきた果樹園もようやく稼働、柑橘類の栽培に着手し「香りをつけた塩」の開発にも取り組んでいる。新たな店舗を糸島市内に出店する計画もある。
 
平川さん

「塩」という軸さえ揺るがなければ、あらゆることへ幅広く挑戦していきたいですね。

「しおをかけてたべるプリン」に続く第2のヒット商品が生まれるか、あるいは思いもよらぬ新業態に乗り出すのか。今後の動きに目が離せない。
 

sumi cafeスタッフの提案で生まれた新商品「塩こんぺいとう 風雲トゲトゲ丸」。かわいいネーミング、おしゃれなパッケージデザインで、お土産品として人気だ

新三郎商店株式会社(またいちの塩)
https://mataichi.info/
■設立/2008年(創業2000年)
■住所/福岡県糸島市本1454 (製塩所「工房とったん」/福岡県糸島市志摩芥屋3757)
■電話/092-330-8732(代表)

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フリーランスライター
永島 順子
福岡市生まれ。地方紙の報道部記者として取材活動を続けた後、独立。全国紙、経済誌・専門誌などの取材・執筆に携わる。2012年から7年間、新聞社グループ企業のデジタル編集部でニュース配信・ニュースサイトのデスク業務を担当。著書に『佐賀の注目21社 志ある誠実な経営力で地元を守り立てる』(ダイヤモンド社・2017年)

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