わたしたちの日々の生活でコミュニケーションは欠かせません。
仕事場では上司と部下,顧客との対応,家庭内でもパートナーやお子さん,親,そして大学に勤める私でも教員の立場から学生や生徒のように「自分ではない他人」と何かをやり取りすることから逃れることはできません。
例えば,「机の上にある鉛筆を取って」と指示が細かければ理解は可能だし,相手が望む正しい行動ができます。あるいは,どこかに買い物に行ったときに「あのお店にあった洋服,気になるんだよね」と言われても,一緒にいたときの情景を思い浮かべれば,目の前にそのモノがなくても理解ができます。しかし,「あそこのあれ,取って」のように曖昧な指示だったり,コンテクスト(文脈)が共有されていなければ,あれやそれ,あの服やこの服と言われても,他人である自分にはさっぱり伝わりません。
大学で講義をする私もそうしたことによく直面します。「先生の話は抽象的すぎます」とか,「もっと具体的に話をしてください」とか。特に私の専門領域である会計は,企業活動を貨幣的価値で測定し,決まりごとにしたがって記録し,情報に転換し,投資家や経営者といった利害関係者に説明をするものです(この時点でだいぶ抽象的ですね)。具体的に話をしているつもりでも,その手続きがどのような意味を持つのかを相手が理解できていなければ話が伝わりません。
このように,自分が具体的に伝えているつもりでも,受け取る相手が抽象的だと感じるとか,コンテクストが共有できないような状況ではコミュニケーションは円滑に進みません。では,どうすれば良いのでしょうか。そのひとつの鍵が,今回ご紹介する本の題名にもなっている「具体と抽象」をうまく使うことです。
『具体と抽象』詳細はこちら
詳細はこちら もしかしたら,みなさんの中には「具体と抽象」という言葉自体が苦手という方もいらっしゃるでしょう。が,これは著書でも述べられているようにトレーニングによって身につく思考力です。著者である細谷さんは,その冒頭に次のようなことを書かれています。
本書は主に,二つのタイプの想定読者を対象に書いています。
まず,(中略)抽象概念を扱う思考力を高めて,発想力や理解力を向上させたいと思う読者です。『具体と抽象』という概念は,学校教育でも根本になっている考え方だと思われますが,明示的にこのような形(筆者注:本書で示すような形)では教えられていません。
(中略)
もう一つの対象層は,意識的にせよ無意識的にせよ,自ら具体と抽象という概念の往復を実践しながら,周囲の『具体レベルにのみ生きている人』とのコミュニケーションギャップに悩んでいる人です。(同書p.3-4)
いかがでしょう。もしかしたら,「もう嫌だ」と思われている方もいらっしゃるかもしれません。確かに「人間の思考の基本中の基本であり,人間を人間たらしめ,動物と決定的に異なる存在としている概念なのに,理解されないどころか否定的な文脈でしか用いられていないことは非常に残念なこと」(同書p.14)と筆者が述べているほど,抽象は苦手意識を持たれているのですね。
でも,会社内における情報,特に「予算」(目標)を1つ取ってみても,実は具体と抽象から成り立っていることがわかります。
これを部門ごとに分ければ,部門長にとって重要な目標になります。会社の売上あるいは費用は,それぞれの部門が生み出す売上とそこで必要となる費用の合計ですから,目標とする利益は(部門ごとの売上高)×(部門数)と(部門ごとの費用)×(部門数)の引き算で求められます。
続いて,その部門で働く従業員の目標も同じように要素を分解して示されます。例えば,営業担当であればやはり売上になるでしょう。営業マン個人の目標は,(部門ごとの売上高)÷(部門の人員数)で求められます。もちろんキャリアや取引先の状況等で目標が人によって異なることがありますが,概ねこのように決まると言って良いでしょう。そして,営業マンがどのような具体的な活動をした成果を集約した情報として,営業マンごとの売上が測定されます。
もう少し式を示して,売上高がどのような構成要素から構成されるかを考えてみましょう。
目標売上高 = @売価 × 目標販売個数 … ①
= @売価 ×(市場全体の規模〔個数〕 × シェア) … ②
= @売価 ×(営業マン1人あたりの目標販売個数×営業マン数) … ③
このとき,経営者は目標売上高という総額を見ているでしょうし,営業マンは③式に含まれている「営業マン1人あたりの目標販売個数」や売上金額を見ていることでしょう。あるいは管理職は①式だったり,②式で部門に与えられた目標売上高に対する進捗を考えているのでしょう。
つまり,会社組織において階層が上がれば上がるほど,現場から離れていくがゆえに抽象的な情報に基づいて現場の状況を理解することが必要になるし,現場に近ければ近いほどその抽象的な数字が具体的な裏付けを持っているものかどうかを知りたくなる。同じ会社にいても,見えている世界がそれぞれの立場によって異なるからコミュニケーションが円滑に進まない場合があるのです。それは日頃見えている世界が具体的か,抽象的かの違いから生まれるとも言えるでしょう。
『「具体⇔抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問』詳細はこちら
今回は『具体と抽象』という本をご紹介するのに,私の専門である会計を例にして説明しました。著者は本書の中で「抽象化を制するものは思考を制す」とも言っています。つまり,具体も抽象も扱うことができることはコミュニケーションを円滑に進める大きな武器になるでしょう。筆者は日常の中にある「具体と抽象」を,例を出しながら20に整理しています。
もしかしたら,社会人として「具体と抽象」を操作できることは武器になる。部下から見て上司が話していること,上司はいかに部下に自分の考え方が伝えられるかは,抽象的な概念を具体的に,具体的なことの核を抜き出して抽象的にすることで決まるとも言えそうです。互いのことをよく知るには,具体と抽象の行き来ができることが大切。そうすれば相手のことも,部下のことも,上司のことも,さまざまな人とのコミュニケーションが円滑になるキッカケになるかもしれません。
本書の説明をもう少し具体的にした同じ著書による『「具体⇄抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問』というテキストもありますので,ぜひ手にとってご一読ください。
飛田先生の著書『経営管理システムをデザインする』はこちら
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