フランス料理から和食へ——“郷土料理の再定義”を目指す料理人の原点
神奈川県出身の奥津啓克(おくつ・ひろかつ)さんは、辻調グループでフランス料理を学び、東京・パリの一流レストランで経験を積みました。
そんな奥津さんの進路を大きく変えたのが、あるフランス人料理人の「日本人なのに、なぜ日本料理をつくれないのか?」という一言でした。
その言葉に衝撃を受け、26歳で和食の世界へと舵を切ります。
福岡に初めて足を運んだのは2000年。九州各地の豊かな食材が日常的に流通し、個人経営の飲食店が街の文化を支えている——そんな“食の街”の可能性に惹かれ、2004年に福岡へ移住されました。2007年に創作和食の「手島邸」、2012年には博多の伝統料理を受け継ぎたいという想いを込めて水炊きを軸とした「博多水炊き とり田(でん)」をオープン。福岡を拠点とする飲食グループ「studio092」の代表取締役として、今では国内外に複数の店舗を展開されています。
奥津さんが目指しているのは、「伝統を受け継ぐ」だけではありません。福岡という土地で、地元に根ざした“新しい郷土料理”を生み出し、それを起点に文化の起源をつくること。人気の「博多担々麺」や、自家製の「黄金ぽん酢」、さらにはマレーシア・クアラルンプールへの海外展開まで——その挑戦はとどまるところを知りません。
そんな奥津さんのスタイルは、SNSなどでもたびたび話題になります。こだわり抜かれた空間設計や、ハイエンドな調理器具・音響設備への投資は、「良いものを長く丁寧に使う」という職人としての哲学の表れです。照明から調度品に至るまで、「どう在りたいか」という信念のもとで選び抜かれた道具や演出ばかり。100円の器と100万円の器の違いを語る場面でも、「職人である以上、良い道具を使いたい」という一言が印象的でした。
今回は、そんな奥津さんが新たに手がけられた複合型店舗「STUDIO092」の誕生をきっかけに、これまでの歩みや福岡で飲食を続ける意義、そしてこれからの展望についてたっぷりとお話をうかがいました。
“大人の遊び場”をテーマにした複合型店舗「STUDIO092」が美野島にオープン
奥津さんが新たに手がけられたのが、2025年4月に福岡市博多区・美野島エリアに誕生した新業態「STUDIO092」です。「博多水炊きとり田」や「博多担々麺とり田」「博多シーフードうお田」など、地元福岡で人気の飲食ブランドを展開してきた株式会社studio092が提案する、“今までにない複合型空間”です。
コンセプトは、「大人の遊び場」。1階のカフェではオリジナル焙煎のハンドドリップのコーヒーや水出し八女茶を良い音楽とともに楽しんで。自家製スイーツ、明太フランスや薬院ブロートランドのパンをイートインできます(テイクアウトも可能です)。
クラフトビールやナチュールワインなどのアルコールもすべてのフロア(1~4階)で楽しめます。
1階のカフェメニュー。
また、2階の創作中華レストランとMUSIC BAR、3階のカラオケ・プライベートルーム、そして4階のルーフトップテラスまで、まるでLDKのように“人が自然と集まり、つながる場所”として、ビル全体がまるごと「遊び」の舞台になっています。
2階のMUSIC BARの壁一面に並ぶレコード群は、40代・50代の音楽ファンにはたまらないラインナップ。出張で訪れたビジネスパーソンがふらりと立ち寄るもよし、仕事帰りに一杯だけ飲んで帰るもよし。若者向けではなく、あえて“自分たちの世代”に焦点を当てた空間構成は、「ちょっと落ち着いて遊びたい」と思う大人世代にとってまさに居心地の良い“遊び場”となっています。
特に注目は、2階レストランで味わえる「Meta中華」です。伝統的な中華料理にstudio092らしい未来的なエッセンスを加えた創作中華と火鍋が楽しめるほか、22時以降はMUSIC BARに切り替わり、レコード壁から好きな曲をリクエストすることも可能です。週末にはDJイベントも予定されており、ナイトカルチャーとの親和性も抜群です。
2階フロア。壁一面に飾られたレコードの中からお気に入りの一曲のリクエストも。週末はDJイベントも開催。さまざまなDJプレイヤーが登壇予定です。
リクエストは、紙に鉛筆書き!このあえてのアナログ感がたまりません。
前菜5種盛り。
火鍋。
3階のAスタジオ。靴を脱いでゆっくりくつろげます。
Bスタジオ。打合せをして、中華を食べて、カラオケまでできてしまいます。
Bスタジオには、奥津さんが最初に手掛けた「手島邸」時代の調度品も。
梅雨~夏季を除いた季節は、4階のルーフトップでも楽しめます。
そして空間演出は福岡在住のグラフィックアーティスト・YOICHIRO UCHIDAさんが手がけられ、すべてのサインやアートはハンドペインティング。メッセージや映画の名セリフが随所にちりばめられ、訪れるたびに新しい発見がある“遊び心”あふれる空間です。
館内すべてハンドペイント。建物がなくなればなくなってしまう、その究極のアート性も奥津さんのこだわりです。
奥津さんが語る「人・箱・街がそろって初めて良い店ができる」という信念。それを体現するような、文化と人が交差する“都市型の遊び場”が、また一つ福岡に誕生しました。
STUDIO092が生まれるまで
STUDIO092が誕生したのは、奥津さんが担々麺ブランドを展開するなかで、セントラルキッチンと事務所を探していたことがきっかけでした。
「物件探しの条件は、安くてアクセスがよくて、調理設備を整えられること。たまたまこの美野島の物件に出合って、“ちょうどいい”と思ったんです」
当初は裏方的な役割を担う予定だったこの場所。しかし、コロナを経て街が再び動き出すタイミングで、「人が自然に集まれる空間をつくりたい」という構想が動き出します。
「全部、趣味の延長みたいなものです(笑)。でも40〜50代になって、“ちょっと落ち着いて遊びたい”という気持ちに応える場が必要だと思ったんですよ」
福岡という街との“ちょうどよい関係”
神奈川県出身の奥津さんが福岡に移住したのは2004年。
最初に訪れた際、「地元の食材だけで店が成り立つ」という環境に驚いたといいます。
「東京では東西南北の4拠点、大阪でも南北の2拠点を同時に動かさないと成り立たない。でも福岡は、すべてが一カ所に集約されていて、無理なく“生活している感覚”を持てると思います」
コンパクトな都市設計と、海・山・市場といった地域資源の豊かさ。福岡には、料理人としての創造力を刺激する要素が揃っていました。さらに、街のスケール感も、起業や独立にとってちょうどよいと感じたといいます。
「東京では“暮らしている感覚”が持ちづらかった。福岡に来て、“ちゃんと生活している”という実感があるんです。街の循環が見えるし、文化を育てているという手応えがあるんですよね」
和食に転向した理由、そして“郷土料理”の再構築へ
「日本人なのに、なぜ日本料理をつくれないのか?」
かつてフランス人の料理人にそう言われた言葉が、奥津さんの人生を大きく動かしました。フランス料理を学び、東京・パリで経験を重ねたのち、26歳で和食の世界へ。器やしつらえまで含めて料理と考える“和”の哲学、そして表現の自由度に惹かれたのが転機でした。
その後、完全予約制の創作和食店「手島邸」をオープン。アルバイトと二人で始めた小規模な店でしたが、「東京ではできないような規模感で、料理を突き詰めることができた」と語ります。
さらに、水炊き、担々麺、火鍋など、福岡の文化と地元食材をかけ合わせた“新しい郷土料理”を再構築。とくに担々麺は、最初は月替わりのランチメニューとして提供していたものが好評を得て、専門店へと発展しました。
「テストマーケティング的に月替わりメニューにしていたなかで、担々麺の反応がとてもよくて、これはお店として成立するなと確信しました」と奥津さん。
「まずは自分でやってみろ」——博多での創業が教えてくれたこと
福岡に移住した当初、奥津さんは東京での感覚をそのまま持ち込もうとしていました。しかし、博多という街には、地元ならではの文化と独自の空気感がありました。
「昔、屋台で飲んでいたときに“自分の店も持ってないのに偉そうなことを言うな”って、隣にいたお客さんに怒られたことがあるんです(笑)」と振り返る奥津さん。店を持っていないのに語るだけでは、この街では認められない——そんな体験を通じて、「小さくても自分で背負ってやってみることの大切さ」に気づかされたといいます。
福岡には、しがらみの少なさや外からの人を受け入れる土壌もありますが、一方で“地に足のついた行動”が信頼に直結する土地柄でもあります。
「やっとこの街に入っていけるような感覚があったのは、自分の店を持ったときでした」
こうして奥津さんは、都市としての規模感、地産地消の循環、そして“生活の実感”が得られる福岡という街に、少しずつ根を張っていきました。
「STUDIO092」に取材が入ったのはフクリパが初だそう!「せっかくなら、2Fで撮影してもらおうかな」と言いながら、チェッカーズ、井上陽水、松田聖子と、福岡出身アーティストのレコードをセレクトしてくれました。
いいものを、丁寧に。日常から始まる文化づくり
現在は複数の店舗を経営し、STUDIO092のような複合型施設をプロデュースする奥津さんですが、最初は年商2,000万円に届かない規模からのスタートでした。
「銀行もお金を貸してくれなかった時代ですね。でも、少しずつでも実績を積み重ねていけば、いつか力になる。だから、最初から力を持とうとしなくていいんです。やりたいことの“理由”があればいいと思ってやってきました」
そのうえで、奥津さんが貫いてきたのは「いいものにはきちんと投資する」という姿勢。たとえば、器ひとつをとっても——
「100円の器も、100万円の器も、丁寧に使えば価値は変わらない。でも、どう在りたいかという“心持ち”が、その場の空気をつくるんじゃないかと思っています」
福岡から、文化の起源をつくる。それは派手な戦略や一発勝負ではなく、「自分が使いたいものを使い、自分が行きたい店をつくる」という等身大の実践の積み重ね。その姿勢こそが、静かにこの街の文化を育てているのだと感じました。
「STUDIO092も、出張の合間にふらっと立ち寄ってもらえるような場所になったら嬉しいですね」
来るものを拒まない博多の風土。そこに自身の信念と想いをのせてきた奥津さんの静かな挑戦は、これからも続いていきます。
【STUDIO092】
■住所:福岡県福岡市博多区美野島1-4-1 [MAP]
■営業時間:11:00〜25:00(金・土・祝前日は〜27:00)
■TEL:080-7155-6945
■Instagram:https://www.instagram.com/studio092_fuk/