福岡新風景10-2

福岡新風景:経営者と語る福岡の魅力

事業機会を駄菓子に見出す:日本文化を世界に伝える意義を見つけることができた福岡での暮らし|合同会社 ME FIRST 代表・駄菓子屋ROCK糸島店 店主 中松正樹さん

福岡大学商学部・飛田先生の"福岡新風景:経営者と語る福岡の魅力"では、福岡へ新たに根を下ろした経営者たちの生の声をお届けします。さまざまな背景を持つ経営者がなぜ福岡を選び、どのように彼らのビジョンと地域の特性が融合しているのか、また福岡がもつ独特の文化、生活環境、ビジネスの機会はどのように彼らの経営戦略や人生観に影響を与えているのかについて、飛田先生が、深い洞察と共に彼らの物語を丁寧に紐解きます。福岡の新しい風景を、経営者たちの視点から一緒に探究していきましょう。福岡へのIターン、Uターン、移住を考えている方々、ビジネスリーダー、また地域の魅力に興味を持つすべての読者に、新たな視点や発見となりますように。

 

※この記事は、Podcastでもお楽しみいただけます。

 

「駄菓子」「お祭り」と聞けば,日本人の誰もが記憶に残っているであろう,懐かしさを感じる言葉ですよね。

東京でビジネスパーソンとして活躍していた方が新型コロナウィルスを契機に新たな事業機会を見出したのが「駄菓子」と「お祭り」。そして,ここで広げたビジネスは世界へ飛び出していこうとしています。

 

今回は,「駄菓子屋Rock」というイベントを福岡で開催する合同会社ME FIRST代表を務めておられる中松正樹(なかまつ・まさき)さんにお話を伺いました。ぜひご一読ください。

 

 

 

 

駄菓子屋文化との出会い

飛田 まずは,ありきたりですが,中松さんの自己紹介からお願いします。

 

中松 私は現在、合同会社ME FIRSTの代表を務め、駄菓子屋ROCKという移動式の縁日イベントを福岡県糸島で展開しています。縁日といえば、多くの方が古き良き日本の伝統文化を連想されるかと思いますが、私たちはこの日本文化を国内外に広めることを目標としています。2022年に糸島で初めてこの祭りを開催し、コロナ禍が落ち着いた2023年から本格的に活動を開始しました。現在では、多くの方々から関心とご声援をいただいております。

 

 

飛田 ありがとうございます。「駄菓子屋Rock」っていうイベントは「駄菓子屋」と「Rock」が合成している言葉になっていますが,聞けばこの取り組みはもともと湘南で始まったそうですね。

 

中松 

「駄菓子屋ROCK」は、湘南発祥の移動式駄菓子屋で、創業者が20代の頃に抱いた夢から始まりました。当時、彼は「35歳で駄菓子屋になる」と周囲に宣言していたそうです。しばらくその夢を忘れていましたが、35歳の誕生日の半年前に急に思い出し、「夢を実現しなければ」と焦りを感じたとのことでした。そして、「移動式なら駄菓子屋を実現できるかも」というアイデアが浮かび、リヤカーを使った移動式駄菓子屋「駄菓子屋ROCK」が誕生しました。

 

正直なところ、駄菓子屋が商売になるとは思っていなかったそうです。実際に運営を始めると、十分に生活できない現実も痛感しました。しかし、その一方で、子どもたちが目の前で喜ぶ姿や、それを見守る親御さん、さらには祖父母も一緒に笑顔になる光景を目にして、「もっとみんなを喜ばせたい」「その喜びを届け続ける駄菓子屋を残していきたい」と考えるようになり、続けられる方法を真剣に模索しました。これが、現在の「お祭りイベント」という形の原点になったのです。

 

 

その後、「駄菓子屋ROCK」は駄菓子の移動販売だけでなく、スーパーボールすくいや射的、輪投げといった縁日でおなじみのゲームも取り入れ、地域の神社や公園を巡りながら徐々に規模を拡大していきました。応援してくださる方々の声に応える形で、提灯やお神輿も加えた本格的なお祭りパッケージへと成長し、今では子どもから大人まで地域全体が楽しめるイベントに発展しました。

 

「駄菓子屋ROCK」の主なターゲットは小学生を中心とした子どもたちです。駄菓子の移動販売に加えて、スーパーボールすくい、射的、輪投げなど、神社の縁日さながらのコンテンツを用意しています。また、私が運営する糸島店では、地域の豊かな森の資源を活かし、糸島の間伐材を使った移動式ボーリングなども提供し、糸島の魅力を伝えられるような工夫も行っています。こうしたイベントを通じて、子どもたちが日本の古き良き伝統文化を身近に感じ、笑顔になる機会を提供しています。

 

飛田 そもそも「駄菓子屋Rock」自体はいつ始まったんですか?

 

中松 2015年です。

 

飛田 それから2年後に中松さんが出会って,今は何ヶ所くらいで行われているんですか?

 

中松 拠点は現在2箇所あります。本家である湘南と、初のフランチャイズ1号店となる糸島です。移動式イベントのため、日本国内では全国各地でお祭りを開催しており、海外ではアメリカ・ボストンに初進出しました。来年はニューヨークや、ベトナム、カンボジアなどへの展開も視野に入れています。

 

飛田 海外からのオファーは日本人がオファーしてくるんですか?それとも外国人がオファーしてくるんですか?

 

中松 主な活動の対象は日本人ですが、ありがたいことに、日本での活動を応援してくださる方々が、海外で活躍されている方々とのご縁をつなげてくれています。

 

飛田 なるほど。そして,それは駄菓子屋,お祭りっていうコンテンツがいろんな世代に受け入れられるっていうことなのでしょうし,海外の場合は現地にお住まいの日本人の方がよく来られるってことですか?

 

中松 ボストンに出店した際は、体感として約7割が外国人の方でした。日本の文化を届ける場として、多くの海外の方々に興味を持っていただけたことを感じています。

 

飛田 そういう外国人の方は典型的な日本文化を感じたいと覗きに来られるんですか?

 

中松 

私たちが出店したのは「Japan Festival Boston」という、日本文化を伝えるためのイベントでした。10万人規模のイベントで、来場者の多くが日本文化に触れたい、日本文化が好きという方々で、会場全体がエネルギーに溢れていました。

 

特に、日本の縁日文化は海外にはないため、ヨーヨーすくい一つにしても来場者の方々は非常に興味を持って遊んでくれました。また、日本とは違い、子どもたちだけでなく20代の若い方々も多く参加していて、世代を超えて楽しんでいただけたことが印象的でした。

 

飛田 なるほど。外国人の方々からすれば,着物や寿司に加えて「駄菓子」といった感じですかね。

 

中松 

日本の駄菓子はとても人気がありました。来場者の皆さんが口を揃えて「日本の駄菓子は美味しいんだよ」と、にこにこしながら語ってくれる姿が嬉しかったですね。

 

また、物価の違いも実感しました。例えば、あるメーカーの箱入りのとうもろこしのお菓子は、日本では約150円ですが、現地価格だと600円ほどになります。販売前は「こんなに高くて大丈夫だろうか」と不安もありましたが、現地の方々には「安い」と感じられたようで、すぐに売り切れてしまいました。

 

 

 

福岡・糸島に移住しなければ,今のビジネスは始まらなかった

飛田 確かに香港でもシンガポールでも,ドン・キホーテに行くと日本のお菓子が倍以上の売価で普通に売ってますものね。そりゃ日本に来たらドン・キホーテに行って,お菓子を爆買いするわって納得します。

 

ここまで海外の話を聞きましたが,中松さんがそこまで「駄菓子屋Rock」というものに惹かれたポイントは何だったんですか?

 

中松 きっかけは湘南から糸島に移住したことですね。移住する前は駄菓子屋ROCKの一ファンで、運営するなんて全く考えていませんでした。

 

糸島に移り住んで半年ほど経つ中で、周りに駄菓子屋がないことに気づいたんです。子どもが3人いるのですが、当時は小2、年長、年少で、湘南でのような駄菓子屋との出会いがあればいいなと思いました。駄菓子屋が大好きな子どもたちのために夫婦で何かできないかと考えながら、糸島で出会った方々と話をしていると、「移動式の駄菓子屋をみんなでシェアできたら、糸島の子どもたちにとって素晴らしい環境になるのでは」という話になったんです。

 

 

その時、「そういえば、湘南に『駄菓子屋ROCK』という移動式駄菓子屋のスペシャリストがいる」と思い出し、久しぶりに連絡を取ることにしました。軽くオンラインで相談するつもりだったのですが、なぜか話が進み、開始30分後には「28日後に糸島でお祭りを開催するよ」という話になっていました(笑)。

 

飛田 すごいですね。

 

中松 わざわざ糸島まで来てくれるという気持ちは本当にありがたかったです。でも、その後は本当に大変でした(笑)。私たち夫婦は、イベントを開催した経験がまったくなかったので、すべて自分たちで準備しなければならず、どこで開催するのが良いのか、どう許可を取れば良いのかなど、分からないことばかりでした。そこで、イベント経験のある方々や行政の方を紹介していただき、いろいろな方に相談しました。そしてなんとか、28日後に無事お祭りを開催できたんです。これが私たち夫婦と『駄菓子屋ROCK』の始まりです。

 

飛田 それはいつ頃の話なんですか?

 

中松 

2022年9月、まだコロナの影響が残る中、筑前前原駅前の丸田池公園で「いとしま放課後秋祭りイベント」を開催しました。この日をきっかけに、地域に根付いた活動を続ける中で「子どもたちのためのイベントとして育てていきたい」と、明確な目的を持って取り組み始めました。

 

当時はコロナ禍の真っ只中で、私の子どもたちは小学校で給食を食べる際も、皆前を向き、マスクをして黙って食べていました。一方で、大人たちは夜に飲み歩く姿も見られ、子どもと大人の間で大きなギャップを感じていました。

 

そんな状況の中、「放課後」という日常の一部が失われつつある子どもたちに、楽しく遊べる環境を取り戻せないかと考えました。そこで、イベントを平日の夕方、放課後の時間帯に開催し、子どもたちが自由に遊べる場を提供することを目指して取り組みを始めたのです。

 

飛田 なるほど。当時どれくらい子どもたちは来たんですか。

 

中松 当時、駄菓子屋ROCKの縁日コーナーで実際に遊んだ子どもたちは約700人にのぼりました。さらに、公園に遊びに来ていた子どもたちも含めると、1,000人以上の子どもたちが公園に集まっていたのではないかと思います。

 

飛田 その数って近所の小学校の児童が丸ごと来たみたいな感じですよね。それで,2024年の今まで糸島で何回ぐらい「駄菓子屋Rock」を開催されたんですか。

 

中松 糸島店としては、2023年に9回のイベントを開催しました。そして、2024年には22回まで増やすことができました。

 

飛田 2年で31回!2024年に至ってはほぼ毎週みたいな感じですね

 

中松 実際には糸島だけでなく、福岡市内にある護国神社のみたま祭りなどでもイベントを開催しています。こうしたイベントはシーズンが限られているため、特に夏場は毎週土日に開催するようなペースで行っていました。

 

飛田 これまでイベントを開催してきた中で印象に残るお客さんの声とか反応とかってありますか。

 

中松 

はい、たくさんありますね(笑)。毎回印象的なのは、子どもたちが射的などのゲームで夢中になり、「もう一回挑戦したい!」「あの景品を取ってみたい!」と何度も挑戦する姿です。特に、景品を取った瞬間にガッツポーズをする姿は、本当に嬉しくなります。その時、子どもたちは封筒に入れたお小遣いを見比べながら「どうしようかな」と悩んでいるんです。彼らにとって大切なお金を一生懸命考えて使い、心から楽しむ姿を見ていると、毎回感動します。スタッフも同じ気持ちを抱いていますね。

 

また、親御さんから「去年もやっていましたよね」と声をかけていただいたり、「毎月やってほしい」とリクエストをいただくこともあります。丸田池公園での「いとしま放課後秋まつり」は年に1回と決めていますが、そうした声は本当に嬉しいです。そして、遠くから見守っているおじいちゃんやおばあちゃんが、「昔はこんな感じだったよね」と懐かしそうに言い、「こういう文化を絶やさないでほしい」と伝えてくださることもあり、心に響きます。

 

 

飛田 なるほど。駄菓子屋とか,お祭りって3世代で楽しめるんですよね。10月のイベントには私も娘を連れてお伺いしましたが,娘がちゃんと経済活動に参加しているんですよね。ゼミの学生が手伝いをしていたというのもあって,お客さんとして楽しみながらも,大学生のお手伝いをして運営側にもなったりする。そういう経済活動に参加しているということがとても大事だなって感じました。

 

駄菓子って今はコンビニとかスーパーで買うものになっていますが,昔あった駄菓子屋さん,あそこにおばあさんがいて,子どもたちが楽しそうにしているのを見守ってくれているというシステムは本当に意味があったんだなってつくづくと思い知らされます。子どもたちがお金を握りしめて買い物するという経験が無くなっていくのは,学びの意味ではどうなんだろうと思うこともあります。

 

ところで,ここからは糸島に移住する前の話をお伺いしたいんですが。そもそも糸島という場所に移住しようと思ったキッカケは何だったんですか?やはりコロナだったのですか?

 

中松 

はい、コロナが大きな要因です。移住する前は2016年に湘南に家を購入し、そこで定住するつもりでした。しかし、2020年の初め頃からコロナが始まり、当時住んでいた場所が「住みたい街ランキング」で1位に選ばれ、東京からの移住者が増えました。これにより小学校のクラス数も2クラスから4クラスに急増し、私は「子どもは少人数の環境で学ばせたい」と考えていたため、この状況が果たして良いのかと悩むようになりました。

 

また、私の仕事も中小企業経営者向けの研修事業に関わっていて、コロナ前は出張で家を空けることが多かったのですが、コロナになって出張ができなくなり、ずっと家にいることになりました。そこで「家でも仕事ができるんだな」と考えが変わり、副業の話もいただくようになりました。このタイミングで夫婦で「少し場所を変えようか」と話し合うようになったのです。

 

糸島には移住の半年前に旅行で訪れたことがありました。それまで福岡には仕事で数回行ったことがある程度で、特に知識がありませんでした。しかし、実際に訪れてみると、福岡から車で40分で行ける距離にあり、自然も豊かで食も美味しく、子どもたちものびのびとしている姿を見て、「思い切って移住してみよう」と決断しました。理由を挙げ始めたらキリがありませんでしたが、「もう決めよう」と思い、行動が早く、引っ越し先が決まっていないにもかかわらず、湘南の家が先に売れてしまいました(笑)。結果として、行かざるを得ない状況で糸島に移住することになったのです。

 

 

 

新しい発見の連続:福岡・糸島での暮らし

飛田 非常にざっくりとした質問なんですけど,糸島移住はどうですか。

 

中松 

本当に素晴らしい経験でした。家族との時間が圧倒的に増えたことも喜びの一つですし、糸島の人々の温かさも心に残っています。移住を決意していたものの、住む家が見つからず湘南の家を売却してしまっていたため、住む場所がなかったのです。そんな状況を見かねた地元の不動産会社が、築150年の古民家を貸してくれることになりました。

 

その古民家での生活は楽しいものでしたが、湘南では見たことのない虫や動物たちがたくさん現れました(笑)。最初はみんな怖がっていましたが、徐々に慣れていきました。大変なこともありましたが、そうした不便な状況で過ごしたことで、家族の結束が強まったように感じています。東京育ちの私にとって、「生活はこうあるべきだ」という価値観がありましたが、糸島でその考えが柔軟になり、自然と視野が広がりました。

 

また、会社勤め時代はネット広告が当たり前で、地元紙には懐疑的でした。しかし、糸島で実際に暮らしてみて、糸島新聞や市の広報誌の影響力の大きさに驚き、いかに自分が無知だったかを痛感しました。地域によって異なる価値観を実感できたことは、大きな収穫です。

 

さらに、地元の方々も移住者も、「糸島を良くしたい」という共通の想いを持つ人が多く、異なる分野でも共通の目的を持つ仲間ができやすい環境だと強く感じています。

 

飛田 なるほど。それで言うと,ゼロのところから人間関係を作って,「駄菓子屋Rock」を2年で30回ぐらいやるところまでできたっていうのは,人の繋がりが大きかったということですね。

 

糸島は移住地として注目されていて,とても人気のある場所である一方,この時点でここに移住しようとするにはかなり勇気のある一歩を踏み出す必要があるように思います。そのときにそれまでの人間関係が切れてしまうことを不安に思う方もおられるでしょうから,中松さんに人間関係を気づくコツをお伺いしたいです。

 

 

中松 

実は、私の妻は人間関係を築くプロフェッショナルで、彼女から常に学んでいます。私たちが最初に引っ越した場所は、糸島の中でも古くから住んでいる方々が多い地域でしたが、最初は周囲の人たちから声をかけられることもなく、地元の方々も「何者だろう?」という感じだったと思います。

 

そこで私たちは、毎日庭の雑草取りを始めました(笑)。人が通る時間に雑草を抜くことで、自然に人々から声をかけてもらえるシチュエーションを作り、地元の方々との接点を増やすことを意識しました。

 

さらに、人を紹介された際には必ずその人に会いに行き、話題に上がった場所や紹介されたお店については、時間があればその日のうちに、たとえ時間がなくても翌日や1週間以内には訪れて体感し、感謝の気持ちを込めて報告しに行くようにしていました。このように、地道な積み重ねを続けていくことが大切だと実感しています。

 

飛田 そういうコミュニケーションって男性はやりたがらないですよね。もうそういうスキルって普遍的に求められるような気がしますね。

 

中松 特に古くからある集落で暮らしていると、地元の人々は新たに来た人に対して非常に警戒心を持っています。ただ、一度相手のことを知ると、ウェルカムな気持ちが芽生えることもあります。しかし、地元の人々は、「この人が自分の住んでいるエリアに入ってもいいのか」を確認するために声をかけてくるように思います。

 

さらに、私たちが住んでいた家は、周辺の人々なら誰もが知っている築150年の古民家でしたので、特に目立ちました。その1年間はプライバシーがほとんどなかったですね(笑)。加えて、地元の人々は子どもに対して非常に優しく、うちの子どもたちが「営業担当」として活躍してくれました。

 

 

 

福岡・糸島から世界へ旅立つ「駄菓子屋Rock」

飛田 なるほど,なるほど。それは素晴らしいお話ですね。

ということで,コロナをキッカケに糸島に移住され,湘南で出会った「駄菓子屋Rock」を福岡で広めるという活動をされてきた中松さんですが,実は湘南に戻ることを決意されたんですよね。それはどういう経緯なんでしょうか。

 

中松 駄菓子ROCKを展開する中で、今年ボストンを訪れたことが大きな転機となりました。日本の「お祭り文化」や「駄菓子文化」が、海外の方々に強く求められていることを実感しました。また、日本人は非常に努力を惜しまない一方で、海外の方々はより自由な発想を持っていると感じました。このような違いを考慮すると、日本人が英語をある程度話し、その文化を理解することで、世界で十分にやっていけると確信しています。

 

この経験を通じて、駄菓子屋ROCKの想いを海外に広げたいという意志が芽生え、ボストンでの体験をきっかけにニューヨークへの展開も視野に入れるようになりました。特に、日本の駄菓子やお菓子メーカー様に向けて、世界で一緒に駄菓子文化を広めるためのプレゼンを行い、手応えと課題を感じています。

糸島店の現場では地元の方々に認知が広がり、これからが楽しくなる時期であることを理解しています。そのため、糸島店での成功を日本全国、さらには海外にも展開したいと考えています。そのためには、自分の役割をどのように位置づけるかが重要だと感じています。

 

現場を楽しみながらマネジメントに集中することが目標達成への近道だと気づきました。現場とマネジメントの両方を行いたい気持ちもありますが、スピード感を持ってチャレンジを続けるためには、マネジメント側に集中する時期だと感じています。また、自分が拡大できる環境を作る役割を果たせるのではないかと思っています。

 

 

夏祭りを各地で開催する中で、「来年もまたやってほしい」という声をいただき、事業が成立する手応えを感じています。ありがたいことに、糸島店を任せられる人材も育ちました。任せられる人がいるのであれば、その人に任せて自分は現場から離れ、より多くの現場を作るために、駄菓子屋ROCKの創業者と共に連携して活動することで、より一層日本の古き良き文化を国内外に伝えるスピードを加速できると確信しています。

 

飛田 その話は非常にポジティブですよね。さまざまなことをチャレンジしたいっていう自分に気付けたっていうのはアントレプレナー的な発想ですよね。

 

中松 「お祭り」というのは、無礼講の世界だと思っています。さまざまな方が集まり、その中で人々をどうまとめていくかというマネジメントの側面もありますし、外部の方とのコネクションを作る必要もあります。しかし、お祭りは誰もが楽しみにしているもので、年齢を問わず、さまざまな人と楽しむことができるのです。だからこそ、日本の文化とされているものが、海外でも受け入れられるきっかけになるかもしれません。

 

飛田 はい。中松さんが福岡から離れられるのはとても寂しいですけど,こうした気付きをこの街で得てくださったというのは良いなと思います。

 

中松 本当に多くの気づきがありました。東京から見ると福岡の糸島は地方かもしれませんが、移住前には想像もしていなかった出来事がたくさんあり、東京では経験できない貴重な体験をたくさんしました。観光ではなく、地元の暮らしにどっぷり浸かる経験は大切だと思います。一方で、地方に住んでいる人が都会に行くことも重要だなと考えています。場所が変わることで今ある常識が常識でなくなる体験を通じてお互いの理解が進むし、何より自分自身の人生が豊かになります。

 

飛田 ですよね。中松さんご一家にとっては3年間という時間でしたが,この糸島,福岡での暮らしが新たなステージに進む良い気づきを得られる機会になったのだなと感じました。ぜひ,ますますのご活躍を祈念しております。今日はありがとうございました。

 

中松 本日は貴重な機会をありがとうございました。

 

 

 

いかがでしたか?

「駄菓子」や「お祭り」という日本の伝統文化がコミュニケーションツールとして世界に通じるのではないか。それが糸島での暮らし,子どもたちが楽しめる機会を創りたいという想いから生み出されていった。そして,一つひとつ活動を続けているうちに,世界とつながっていく。こうしたストーリーはまさにアントレプレナー(起業家)的な行動様式です。こうしたアントレプレナーが福岡を離れるのは寂しいですが,「駄菓子屋Rock」はこれからもまだまだ開催されます。

 

中松さんの明るい未来を期待して!

 

 

  

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福岡大学商学部 准教授
飛田 努
福岡大学商学部で研究,教育に勤しむ。研究分野は中小企業における経営管理システムをどうデザインするか。経営者,ベンチャーキャピタリストと出会う中でアントレプレナーシップ教育の重要性に気づく。「ビジネスは社会課題の解決」をテーマとして学生による模擬店を活用した擬似会社の経営,スタートアップ企業との協同,地域課題の解決に向けた実践的な学びの場を創り出している。 著書に『経営管理システムをデザインする』中央経済社がある。

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