2020年夏の福岡高校球児たち。~悲しみを乗り越えて踏み出した、未来への一歩~

新型コロナウイルスの影響により、春のセンバツに続き夏の甲子園まで中止の事態となった2020年の高校野球。本来であれば、聖地・甲子園を目指す真剣勝負で引退を迎えるはずだった3年生球児たちは、無情ともいえるこの現実をどのように受け止め、そして乗り越えようとしているのでしょうか。100年を超える高校野球の歴史において、誰も経験したことのない夏を迎えようとしている彼らの“今”を記録しようと、福岡市内のとある高校の野球部を取材しました。

コロナ期にスタートした、野球部のツイッター。

 今回取材に応じてくれたのは、福岡市西区にある中高一貫の男子校・中村学園三陽高校の硬式野球部です。部員数は31名、そのうち11名が3年生。甲子園に出場経験があるような、いわゆる強豪校ではありません。ではなぜ彼らにスポットを当てることになったのか。出会いはツイッターでした。政府による緊急事態宣言を受け自粛期間が始まったタイミングで、彼らは野球部の公式ツイッターを開設し、選手たちの自主練習動画を発信し始めます。その理由を、チームを率いる永井孝裕監督が明かしてくれました。


永井孝裕さん 福岡大学を卒業後、水産高校での講師を経て中村学園三陽高校へ。野球部部長を務めた後、2019年10月から監督に就任。現在30歳。

永井

全員集まって練習することができない状況の中で、各自のモチベーション維持のため、それからチームとしてのつながりを保ち続けようという目的でツイッターを始めたんです。また必ずみんなで野球できる日が来るから、その時に後悔することのないよう努力を続けようと。そしたら選手たちが各自の練習動画を送ってくれるようになって、発信を続けていく中で少しずつ応援してくれる高校野球ファンの方が増えていったんです


中村三陽野球部のツイッターアカウント

 父親に手伝ってもらいながら毎日トスバッティングを継続する選手、ZOOMで学んだトレーニング方法を資料にまとめて共有する選手、後輩のために手書きの打撃理論を用意しアドバイスを送る選手。野球部のツイッターには、離れ離れになりながらも、個人とチームのレベルアップのために行動する部員たちのひたむきな姿が綴られています。誰もが、夏の大会があることを強く信じ、祈るような気持ちで練習を続けていました。

監督・主将・副将の3人で涙した、甲子園中止の発表。

 しかしそんな願いも空しく、運命の5月20日が訪れます。日本高等学校野球連盟が、正式に夏の甲子園の中止を決定。それだけでなく、地方予選となる都道府県大会も開催しないことを発表したのです。その日、永井監督は練習がオフの日だったにもかかわらず、一人グラウンドにネットを立ててノックの練習をしていたといいます。
 
永井

“甲子園があるかないか”が決まる日だと思っていたので、正直そこはまだ現実的でないというか、この子たちが目指しているのは県大会のベスト8で、その目標を見失わないようにしよう、という話をするつもりでいたんです。そしたら、都道府県大会も中止って出たので絶句して、ボーっとしていたところに2人がグラウンドに下りてきて…

 
2人というのは、中村三陽の主将・平野康平くんと、副主将・濱地香士朗くん。このチームを支えてきた中心メンバーです。彼らもその日のことを振り返ります。
 

平野康平くん 中村学園三陽高校野球部主将。ポジションはセカンド。内野の要としてチームを引っ張る。
 
平野

ニュース速報が出たというのを聞いて先生のところに行って、そこで初めて正式に中止を聞かされました。それから1時間半ずっと、グラウンドに立って泣いてました。先生も濱地も泣いていて、2人がいろいろ声を掛けてくれるんですけど、全然頭に入らずただ泣いていました


濱地 香士朗くん 中村学園三陽高校野球部副主将。ポジションはセンターで、控えのピッチャーも務める。

濱地

甲子園がなくなるということはすごい大事件だと思ったし、一瞬やっぱり信じられなかったというか、僕らの代で本当に起きていることなのかなと。県大会までなくなるとわかったときは、1週間くらい何をやっても手につかないというか、授業もまともに集中できない状態でした

二転三転する状況に、揺れ動く福岡の高校球児たち。

 
夏の甲子園とその予選がなくなる一方で、各都道府県の高校野球連盟が代替大会の開催に向けて動き出すという報道が連日流れていました。甲子園はなくても、最後に集大成の場は用意してもらえるかもしれない。彼らもそこに一縷の望みを抱いていましたが、福岡県の高校野球事情だけは、その後少し複雑な経緯を辿ることになってしまいます。5月25日、福岡県高野連が、「新型コロナウイルスの感染リスクを払拭できない」として代替大会の開催も断念することを全国で唯一発表。その発表を受け、今度は有志の監督たちによって、福岡市近郊33校による交流試合を行うプランが6月5日に明らかにされます。しかしその後、県教育委員会からの要請もあり、6月12日に福岡県高野連は当初の方針を一転させ、県独自の代替大会を開催することを発表したのです。
 
日々目まぐるしく不確実な情報が飛び交う中、永井監督は自ら動きだしていました。このまま公式戦がないのであれば、自分たちで花道を用意してあげるしかない。福岡大学野球部時代の同級生が監督を務める城南高校とコンタクトを取り、2校だけの引退試合の計画を始めます。城南高校は過去に合同練習を実施したこともあり、選手同士も親交のある“同志”のようなチームでもありました。

永井

5月25日に代替大会がないと分かった翌日には動き出していました。並行して福岡地区の交流試合があるかもしれないという話も把握していましたし、代替大会の断念を発表したのは福岡県だけだったので、世論の流れとして一転して開催される可能性もゼロではないとは思っていました。でも僕自身は、公式戦がないとわかった時点で『この子たちに何かを強制する権利はない』と、自分に言い聞かせていたんです。一人一人の思いを尊重して、高校野球としての“終活”をする期間にしていこうという話をして。区切りとなるのは城南との引退試合、福岡地区の交流試合、もしかしたら高野連主催の代替大会、というのを伝えて、自分たちでよく考えて、お父さんやお母さんのことも考えて、どこまでやるかは自分で決めてこいと言って、1週間時間を与えて考えさせました

初めて「チームで揃える必要はない」と伝えた日。

 
 永井監督が掲げた野球部の指導方針の一つに、「無形財産を蓄積し、徳を積み重ねる」というスローガンがあります。徳とは、「社会的に価値のある性質で、広く他に影響を及ぼす善き行い」であると定義し、それを積み重ねることが人の信頼を得る道である、人徳にあふれた人間になってほしいということを常々選手に説いてきました。だからこそ永井監督はチームとしての和を重視し、靴をきれいに並べること、集合時間を守ること、服装も全員揃えることを部員たちに求め、そうしてきれいに揃った姿がどれだけ見ている人にパワーを与えるかということを伝え続けてきました。しかしこの時初めて、「今回はみんなで揃える必要はない。終わりのタイミングは自分で決めなさい」と、3年生の部員たち一人一人に意志決定を委ねたのです。

 

 その結果、11人中4人が最後の大会まで出場することを、残る7人が城南高校との試合を最後に引退することを決断します。主将の平野君は前者を、副主将の濱地君は後者を選択しました。
 
平野

自分は大学ではもう野球をやらないつもりなので、絶対に少しでも長く野球をするって決めて、高校野球で完全燃焼することにしました。秋から春にかけてみんなで鍛えて、チームの平均体重も10kg近く増えたので、自分たちがどこまでできるのかやってみたかったという気持ちは正直今でもあります。でも最後の大会まで出るかどうかは3年生同士で考えの違いもあって、一つにまとめることはできませんでした

主将が複雑な思いを残す一方で、副主将の濱地君はこの引退を前向きに捉えています。
 
濱地

本当は最後の大会まで出たいと思うのが普通だと思うんです。でもその時点では『あるかも』だったので、このまま続けてまた中止になってしまったらという不安と、あんな悲しい思いはもう2度としたくないというのがあって。その時に永井先生が『必ずあるよ』って提示してくれたのが城南高校戦だったんです。先が見えない中で、永井先生は僕らをちゃんと大人として扱ってくれたというか、お前らのやりたいことを受け入れるから自分で考えなさいと。本当なら、高校野球って終わりどころを自分たちで決められるスポーツじゃないじゃないですか。1校以外は必ずトーナメントのどこかで負けて、終わりを強いられる形だと思うんですけど、僕たちは今年例外的に終わりを自分たちで選ぶことができて、それは辛いながらも光栄なことだなと思えるようになりました。自粛期間みんな辛かったと思うんですけど、その間に勉強を頑張って目指す大学のレベルを上げた部員もいたので、それであれば最後の大会にこだわる必要はないし、一人一人納得して終わり方を選んだ方が、大人になって集まってからも良い関係が築けるんじゃないかなと思ったんです

 
 11人それぞれが自分で考え抜いて下した決断は、城南高校との試合が3年生全員で挑む最後の試合になるということを意味しました。

3年生全員で戦う、不揃いの引退試合。

 そして6月21日(日)、城南高校グラウンドで2校による引退試合の日を迎えます。この日の試合では、通常時の試合とは異なる光景がいくつも見られました。試合前の挨拶は、ホームベース前に整列ではなく、両チームともベンチ前から行うことに。また、試合は9イニングではなく7イニング制。一度交代してベンチに下がった選手を再度出場させることも可能という特別ルールも採用されました。その一つ一つが、コロナ期に開催された高校野球ならではの象徴的なシーンとして刻まれていきます。最も象徴的だったのが、この日グラウンドに駆けつけてくれた強力な援軍の存在でした。中村三陽高校の吹奏楽部のメンバーたちです。


中村学園三陽高校の吹奏楽部「オレンジャーズ」。この試合のために演奏練習を積み重ねてきた。
 
永井

僕がこの代の部員たちに語っていたのは、県大会で全校応援してもらえるようなチームになろうということで、それがベスト8という具体的な目標になっていったんです。ブラスバンドの演奏の中、一般生徒や友達に応援される中で終わろうと話していたので、それを実現させてあげたいなという思いがあって。それで吹奏楽部の顧問に相談をしたら、『任せてください、そのつもりでした』と言ってくれたんです。一般生徒もたくさん『応援行きますね』って声を掛けてくれて、本当に彼らは幸せ者だと思います

 
 周囲の献身的なサポートを受けた中村三陽ナインは、全力プレイでその期待に応えます。ブラスバンドの演奏が鳴り響く中、初回に幸先よく1点を先制すると、同点に追いつかれた後の4回に一気に4安打を畳みかけて3点を勝ち越し。さらに5回、この試合が引退試合となる副主将の濱地君が左中間を抜ける2点タイムリースリーベースを放つなど、相手を強打で突き放します。セカンドを守る主将の平野くんは守備でチームに貢献。5回には相手打者のセンターに抜けようかというヒット性の当たりを横っ飛びでアウトに仕留めるなど、再三の好守でナインを盛り立てます。彼らだけでなく、全力疾走で一塁へヘッドスライディングする選手、フルスイングで場を沸かせる選手、ピンチになると大きな掛け声で仲間を鼓舞する選手。一人一人がこの時間を愛おしみながら、全力で野球を楽しもうと躍動する姿がそこにはありました。試合は7-1で見事に中村三陽が勝利し、吹奏楽部の演奏のもと、公式戦さながらの校歌斉唱まで行われました。それは、3年生部員全員で歌う最後の校歌でもありました。


一瞬一瞬に全力をかけ、溌剌としたプレイを見せる中村三陽ナイン。

終わりの試合ではなく、始まりの試合に。

 
 試合終了後、応援に駆けつけてくれた保護者や吹奏楽部のメンバーに向け、引退する選手を代表して濱地君が挨拶を述べました。


 
濱地

本日はこのような舞台を用意していただき、本当にありがとうございました。また、ここに来ることができなくても、今まで応援してくださったすべての方々に感謝したいと思います。まだ部に残って練習を続ける3年生もいますが、この仲間たちと野球ができるのは、今日で一区切りを迎えたこととなります。ここまで一生懸命…

 
そう言ってしばらく言葉が出なくなる濱地君。その姿を見つめる永井監督の肩も震えています。
 
濱地

ここまで一生懸命乗り越えてきたので、今日は勝ち負けとかじゃなくて、自分たちの最高のプレイができればと思ってこの試合に臨みました。そして、この試合を“終わりの試合”ではなくて、“始まりの試合”にしようとみんなに伝えました。残る3年生や後輩たちは今後の大会に向けて、そして引退する僕たちはそれぞれの夢に向けて、みんなが踏み出す最初のステップにしようという意味です。そのステップに、今日はできたんじゃないかと思います。僕たちはこれで引退しますが、引き続き中村三陽高校野球部をよろしくお願いします

 新型コロナウイルスが、若者たちの青春に落とした残酷な影。それは当然ながら、彼らが望んだ未来ではなかったに違いありません。当たり前にあるはずだった夢を奪われ、どこにもぶつけようのない悲しみと悔しさで涙した全国の球児たち。恐らく今後長きに渡り、あの“失われた2020年の高校球児たち”として語り継がれる悲劇の世代である彼らが、この理不尽な苦しみにどう折り合いを付け、未来へ踏み出していくのか。中村学園三陽高校野球部はその一つの肖像に過ぎませんが、濱地くんが発した清らかな言葉は、彼らが確かにコロナを乗り越えて踏み出した大きな“一歩”として、この場にいた多くの人たちの心に響きました。

挨拶を終えて円陣を組んだ選手たちに、永井監督が語り掛けます。


 
永井

今の状況で、こんな幸せな環境の中で試合ができるのって、俺たちと城南高校さんだけだと思う。そのことを、これからもずっと忘れずに感謝の気持ちに変えて行動していきましょう。そしてやっぱり、明るいところに人は集まるんだなっていうことを、今日俺は再確認しました。あなたたちがこんな状況になっても、野球が好きな気持ちを手放さずに明るく取り組み続けて、頑張り続けた結果、みんなを応援してあげたいと思ってくれる方たちが今日たくさん来てくれて、最後まで俺らの背中をずっと押し続けてくださいました。これは、あなたたちがずっとこの期間、“徳”を積んできた証拠なんです。無形財産を積み重ねてきた結果、最後に一番良い舞台で野球をさせてもらえたということを絶対忘れずに、中村三陽高校、まだまだ突き進んでいこう。まだまだ野球部強くするよ、いいね?


最後は3年生全員と永井監督で、笑顔でパシャリ。

本当の意味での、高校野球最後の舞台に向けて。

 城南高校との試合を終えた今も、中村三陽野球部主将の平野くんは、昨秋から毎日続けていた早朝のグラウンド整備を継続しながら、最後の大会に向けた練習の日々を送っています。「引退したみんなには、ちゃんと有言実行で第一志望の大学に受かってほしいです。僕らは残ったメンバーで最後まで全力で野球を楽しみながら、1、2年生にもその楽しさをちゃんと引き継いで終わりたいと思います」。笑顔でそう語る姿に、もう複雑な思いは感じられません。

 福岡県高校野球連盟が主催する独自の代替大会「がんばれ福岡2020」は、7月4日に開幕します。平野くんにとって、いや、この数カ月間、彼と同じように不安と苦悩の中努力を続けてきた全ての“2020年の高校球児”にとって、本当の意味での最後の舞台。甲子園という夢が戻ってくることはなくても、彼らが懸命に積み上げてきた力を出し切り、心から納得して高校野球生活にピリオドを打てることを願い、陰ながら応援し続けたいと思います。

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ライター
前園 興
福岡在住。普段は会社員として働きつつ、時々コピーライターとしてさまざまなネタにいっちょかみ。趣味が高じて個人屋号「高校野球と共に生きる」を主宰し、高校野球に関する取材・執筆活動をライフワークとして行っている。

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